【北海道観光】道の駅紹介vol.5 「望羊中山」/名物「あげいも」だけじゃない。驚きの中山峠😳
私、【オジロワシ🦅】の勝手な想像ですが、
恐らく道民の9割以上が、生涯で一度は「中山峠」で羊蹄山を眺めたことがあるのではないでしょうか?
まぁ、実際に調べた訳ではないので何となくですけど、それくらい道民には馴染みのある場所だと思います。
一応HPや雑誌では年間400万人訪問とか、
名物の「あげいも🥔」が年間40万本売れると書いてありますね💦
今回は、そんな中山峠の道の駅「望羊中山」を紹介します⛰️
●基本情報
(北海道開発局HPより)
羊蹄山が一望できる道の駅⛰️
本日の出張先は函館🚙。
札幌から結構離れている函館出張の時は、
札幌から高速道路を使って
登別、室蘭経由で行くか、
中山峠を抜けて豊浦ICから高速道路にのるか
いつも迷います。
因みに
上の場合、札幌〜函館は310㎞。
移動時間は約4時間で、高速代が6,540円。
下の場合、札幌〜函館は260㎞。
移動時間は約4時間半で、高速代が3,120円。
高速を一切使わずに、下道の一般道だけを走っても計算上はそれほど変わりません
(かなり疲れるけど💦)。
微妙なところですが、ガソリン代も値上がりしているし、経費節約もあって、今回は久しぶりに、中山峠を経由して函館に向かいます。
ということで、石山通(国道230号線)を走り、定山渓を抜け、中山峠へ。
札幌から約45㎞。1時間ほどの距離にある、道央と道南の境界線となる峠です。
久しぶりの中山峠。
中山峠の頂上付近にある道の駅「望羊中山」は、「道の駅登録制度」が始まった平成5年(1993年)、北海道7番目の道の駅として最初に登録された施設の一つです。
「望羊」の「羊」は、「蝦夷富士」こと羊蹄山のことで、この場所は、羊蹄山がくっきりと見える、絶好のビューポイントとなっています。
この休憩場所は、中山峠の山頂に昔からあるので、逆に「道の駅」と言われて驚くほど、道民にはお馴染みの場所です。
隣接する「中山峠スキー場」は、北海道で最も早くオープンするスキー場で、独身時代、毎年滑り始めには「中山峠」に行っておりましたね⛷️
中山峠がある喜茂別町は、「ホワイトアスパラ」本格栽培の発祥地とも言われ、人気の名産品となっています。
羊蹄山の右手にある三本のモニュメント、実はこれ「アスパラ」のモニュメントなのです。
何度も見ているのに、気づかなかったなぁ💦
道民のソウルフード「あげいも」とは🥔
そんな中山峠では、当然「あげいも」を食べます🥔
全国的にも有名な、中山峠の「あげいも」。
大きなジャガイモが3個、割り箸の串に刺さったあげいもは、サクサクの甘い衣に包まれていて、食べ応えも十分。
年間40万本も売れるという「あげいも」は、まさに北海道のソウルフード(なのかな?)😅
「望洋中山」の前身は、昭和40年(1965年)に開設した国民宿舎と物産館。
峠を越える旅人の休憩施設として整備され、昭和43年(1968年頃)から、「あげいも」の販売がスタートしたそう。
険しい山道を登ってきた旅人の空腹を満たすため、誕生したのが「あげいも」だったという訳です。
子どもの頃、修学旅行で洞爺湖に向かう途中で食べたような気もしますが、それが最初だったかな??
そんな「あげいも」にこんな誕生秘話があったとは知りませんでしたね。
2階にあるイートインスペースで、羊蹄山を眺めながらあげいもをいただきます。
久しぶりながら、旨い😋
この「あげいも」の旨さの秘訣は、門外不出の「魔法の粉」と言われていて
自宅であげいもの味を再現できる「ミックス粉」もお土産用に販売されています。
詳しくは「食べログ」で紹介しています
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「中山峠と喜茂別町」について
と、この投稿も「あげいも」の話で終わる予定でしたが、中山峠と喜茂別町には、更に興味深い話がありました。
喜茂別町のHPなどより一部加筆して転記します。
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●喜茂別の地は「日本書紀」にも記されていた??
現在(2024年)放送中のNHK大河ドラマ
「光る君へ」。
そこに登場する、左大臣・藤原道長のご先祖様が、藤原鎌足。
「大化の改新」で、中大兄皇子を助けた家臣として有名ですね。
そんな中大兄皇子と藤原鎌足が活躍していた7世紀の飛鳥時代に、蝦夷地にやって来たとされるのが、阿倍比羅夫です!
阿倍比羅夫は、唐・新羅連合軍と日本・百済の連合軍の間に起こった「白村江の戦い」を指揮した豪族としても知られています。
その阿倍比羅夫が、なぜ北海道に???
実はこの頃の日本は、大和朝廷を中心に中央集権が進められていた時代。
中大兄皇子の母・斉明天皇が、東北や北海道の蝦夷を討伐するため、阿倍比羅夫を派遣したという話が『日本書紀』に残っているのです。
この時、阿倍比羅夫が、政所を置いた後方羊蹄(シリベシ)が、この喜茂別の辺りではないかと伝えられています(諸説あり)。
因みに、幕末の探検家・松浦武四郎は、この古事にならい、羊蹄山を「後方羊蹄山(シリベシ山)」と名付けました。
PCで「しりべしやま」と入力すると「後方羊蹄山」と変換されます😳!
しかし、昭和44年(1969年)、地元の倶知安町から名前が読みづらいと変更要請が出され、現在の「羊蹄山(ようていざん)」に変更されたそうです。
また、「ニセコヒラフ」の「ヒラフ」は、実は阿倍比羅夫の「比羅夫」から名付けられたそう!
この話だけで、別のnoteが投稿できそうなので、これはまた後日改めます。
●松浦武四郎は、喜茂別に政府を置くよう進言した?
「北海道」の名付け親、松浦武四郎。
武四郎は、安政2年(1855年)、
幕府の蝦夷地御用雇に採用され、北海道の中央にある羊蹄山の山麓を開拓して、そこに政府を置くことが望ましいと考え、この地へ続くルートを開削することを進言します。
遥か昔より、噴火湾がある虻田や有珠から、喜茂別に続く細い道があり、アイヌの人々が、サケ漁の季節になると、この道を辿って、喜茂別の尻別川にある漁場に来ていました。
安政4年(1857年)、武四郎もこのルートを辿って、蝦夷地を調査しています。
翌安政5年(1858年)、虻田を出発した武四郎一行は、再びこの道を通って喜茂別へ抜け、更に中山峠を越えて、豊平川の上流を下り、発寒や銭函を経由して、石狩に辿り着いたと言われています。
武四郎はこの時、『この地(喜茂別)には、富士山と筑波山に似た山がある。この二つの山の間こそ当島第一の霊地である』と日誌に記したと言われています。
富士山に似た山は、「羊蹄山」、
筑波山に似た山は、前方羊蹄山と呼ばれた「尻別岳」みたいですね。
アイヌは、羊蹄山を「マチネシリ(女山)」、尻別岳を「ヒンネシリ(男山)」と、夫婦の山として対で呼んでいたそうです。
武四郎の進言通り、この地に北海道の政府が置かれていたとしたら、
私も札幌市民ではなく、喜茂別市民だったかもしれなかったのです😅
●お寺が作った「本願寺道路」!?
「望洋中山」は、札幌市と喜茂別町の境となる標高835m の中山峠の頂上にありますが、この中山峠はかつて「本願寺道路」と呼ばれ、京都の東本願寺によって開削された歴史ある道です。
明治2年(1869年)、北海道の本府が札幌に置かれることが決まると、
ロシアの南下政策の脅威に対抗するため、大量の移民入植による北海道の開拓は急務となりました。
このため、函館と札幌を結ぶ道路の建設は必要不可欠でしたが、新政府の財源は乏しく、十分な建設費を用意できない有様でした。
そこで、京都の「東本願寺(浄土真宗)」が、その建設費用1万8千両を全て賄い、この道路の建設を行うことになります
(徳川恩顧の東本願寺は、廃仏毀釈の風潮もあり、新政府に忠義を示さなければならない立場にあったようです)。
翌明治3年(1870年)、若干19歳の現如上人が責任者となり、道路の開削が始まります。
太平洋側にある、現在の伊達市から札幌の豊平区を結ぶ、約103kmもの道のりは、大勢の僧侶や、伊達に入植していた旧伊達藩の藩士や平民、アイヌの手により、なんとわずか1年半で完成します。
こうしてこの道は「本願寺道路」と呼ばれたのです。
この工事を視察したのが、当時の開拓使長官東久世通禧と新政府の参与だった副島種臣。
この時、副島が、この峠が余市岳と札幌岳の間にあったことから、「中山峠」と名付けました。
札幌の街並を建設した、開拓判官・島義勇と同じ肥前佐賀出身の副島種臣。
北海道の建設は、何かと佐賀県人に所縁があるようですね。
こうして誕生した「本願寺道路」ですが、
その2年後の明治6年(1873年)、函館から室蘭を経由して札幌を結ぶ「札幌本道」が開通したことで、本願寺道路は使われなくなっていきます。
最初に私が書いた、
札幌から函館へ向かうルートの話、
少し遠回りして平坦なルート(札幌本道)で行くか
最短距離の山道(本願寺道路)を使って行くか
北海道開拓の当初から、当時の人々も、同じような悩みを持っていた訳ですね😅
なお、「本願寺道路」の建設指揮をとった現如上人の銅像が、中山峠に設置されているそうです。
こちらも知らなかった。
▶公式HP
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このnoteを書くまでは、今さら、中山峠なんて「あげいも」くらいしかネタがないだろうとタカを括っておりましたが、実に知られざるドラマが隠されていた訳で💦
こんな発見があるから、「道の駅」巡りは面白い✨
まだまだこの地のネタは豊富にありますが、それはまたいつか、別の機会に投稿します😅
それにしても、羊蹄山の眺めは最高ですね。
今の時期は紅葉がオススメかもしれません。
来月11月には、早くもスキーシーズンが到来しますね⛷️
「道の駅」巡りの参考になれば幸いです😺
●全道の道の駅を紹介中です
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それでは👋
【PHOTO GALLERY】
建物外観
駐車場
(2022年9月8日訪問)
(2024年10月22日投稿)