【関西グルメ考】 #7 〜 たこ焼きの歴史編(後編)
「たこ焼き」はいつからあるのか?
関西グルメの「たこ焼き」の歴史を調べていたら
コレがなかなか面白く、今回も2本立てでお送りします😅
前回は戦前のお話でしたが、今回は戦後のお話です。
前回の話はこちら
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(1)戦後のたこ焼き
昭和20年(1945年)8月15日、
ようやく終戦を迎えた日本ですが、戦前から続く、食料不足の問題は依然逼迫していました。
当然、この間の「たこ焼き」に関する記述は残っていないようで、時代を考えると、世の中は、たこ焼きどころでは無かったのでしょう。
たこ焼きの創始者、遠藤留吉氏の「会津屋」も、
終戦から4年後の昭和24年(1949年)、天下茶屋にようやく店を構えます。
この頃の「たこ焼き」は、生地が醤油で味付けされていて、ソースをかけて食べるものではなかったそうです。
コレが、いわゆる「元祖たこ焼き」と呼ばれるもので、今でも会津屋にて販売されています。
一方、今のようにこってりしたソースをかけたたこ焼きが出回るのは、「とんかつソース」が誕生して世に定着した昭和30年代以降。
この辺りから、ソースに青のり、削り節をかけ、経木の舟皿に爪楊枝という、お馴染みのスタイルが確立していったそうです。
(2)ウスターソースについて
お好み焼きとたこ焼き、あと、焼きそば、串カツ。
いずれも欠かせないのが「ソース」です。
大阪の「粉モン文化」発展には、ソースの存在が不可欠ですが、普段イメージするドロドロのソースが誕生したのは戦後。
それまでは、シャバシャバした「ウスターソース」が使われておりました。
明治時代の初め、神戸に輸入されたイギリス発祥のソース。
元々はイギリスのウスター市で誕生したことから「ウスターソース」と呼ばれていました。
ウスターソースは、幕末に貿易港として開港し、外国人も数多く暮らしていた神戸に伝わります。
洋食店が「西洋の醤油」としていち早く取り入れたことで、日本人にも知られるようになり、舶来品が珍しい当時、洋食にソースをかけて食べるのが人気となりました。
現存する最古のソースメーカー「阪神ソース」も神戸が発祥です。
関西では、このウスターソースが「ハイカラで美味しいもの」の“象徴”とされ、なんにでもソースをかけることが贅沢だとされていました。
子どものおやつとして、全国的に広まっていた
東京発祥の「もんじゃ焼き」を改良した「どんどん焼き」も、
関西では、ソースが塗られ「洋食焼き」、更にワンコインの「一銭洋食」と呼ばれるようになります。
ソースの風味がちょっと贅沢なイメージとなり、いずれも人気となっていきます。
また、
昭和初期の阪急百貨店・梅田本店の食堂では、不況の影響で、ライスだけを注文し、卓上のウスターソースをご飯にかけて食べるお客が増えていったそう。
ところが、
社長の小林一三氏はこれを歓迎し、
「ライスだけのお客様を歓迎します」
という貼り紙まで出して、お客さんを迎え入れたといいます。
なにわ商人の心意気というべきか。
客単価が低くくても客数が増えれば売上は上がりますしね。
こうして、ご飯+ソースは「ソーライス」と呼ばれ、庶民の間で人気になっていったそうです。
このように、関西ではソースの人気が広がり
日本人の好みに合った様々なソースが製造されるようになります。
関西で粉モン文化が定着したのは、こうした背景があったのかもしれません。
(3)ドロドロソースの誕生で、今のたこ焼きが完成した
昔から不思議だったのは
スーパーのソース売り場にあるソースの種類。
・ウスターソース
・中濃ソース
・とんかつソース
この3種類が基本で、その他、お好み焼きソースなどが売っているのですが
子どもの頃、お使いでソースを買いに行かされた際に、どれを買えば良いのかわからずに、「とりあえず中濃でいいか」と、適当に選んで買って帰ったのを覚えています。
北海道でもソースというのは、その程度のスタンスでした。
ただ、この話を以前、関西の友人にしたら
「信じられん😤」
と言われたことがあります😳。
彼曰く、関西人の冷蔵庫には
「ウスターソース」と「とんかつソース」の2本が必ず入っていて、
トンカツにはとんかつソースだが、エビフライやコロッケにはウスターソースという具合に
食べる物の種類によってキチンと使い分けているそう。
中濃なんて、そんなどっちつかずのソースは使わないと言います。
ソースに対する関心度合いが、東と西では随分と違う訳ですね😅。
そんな「ソース」ですが、粘度の高い「とんかつソース」が誕生したのは
終戦直後の昭和23年(1948年)のことです。
開発したのは、神戸の「道満調味料研究所(現:オリバーソース)」。
このドロドロした濃厚なとんかつソースは
日本初の家庭用濃厚ウスターソースとして大ヒット商品となります。
それまでは、
何もつけずに、生地の出汁に使った醤油の風味で食べたり、表面にウスターソースを塗って食べられていた「たこ焼き」にも
とんかつソースを使う風習が定着していきます。
とんかつソースは粘度が高く、青のりや削り節をつなぎとめる効果もあります。
また、テリっとしたツヤが、たこ焼きを美味しそうに見せたり、
ソースの味で食べてもらえることで、味付けも手間も不要となり、屋台でも売りやすいという、
様々なメリットがありました。
こうして、とんかつソースが人気となった後、一気にたこ焼きを販売するお店も増え、現在のたこ焼きのスタイルが確立されたそうです。
関西の食文化に、「ソース+粉モン」が無くてはならないものとして、定着していくこととなります。
余談ながら、
「中濃ソース」が誕生したのは昭和39年(1964年)と
とんかつソースの誕生から、かなり後。
製造したのは、関東の「キッコーマン」で
それまで、ウスターととんかつソースを混ぜて使っていた消費者の声をヒントに、シャバシャバとドロドロの中間の濃さで作ったのが最初とされています。
ちょうど、東京オリンピックが開催されたこの頃、
日本の食卓が洋風化するのに合わせて、多くの家庭で、この中濃ソースが常備されるようになるのですが、
昔からソースにこだわりがあり、用途に合わせて使い分けていた関西では、
1本で事足りるオールマイティな中濃は定着しなかったようですね。
また、全国的には知名度の低いイカリソースやオリバーソースを筆頭に、
関西には多くのソースメーカーがあるというのも、今回初めて知った情報です🤔。
今回、たこ焼きと前回のお好み焼きの歴史を辿る中で、改めて関西人のソースに対する愛の深さを改めて知りました
(;^ω^)。
(4)トロトロのたこ焼きはなぜ生まれたか
出来上がったばかりのたこ焼きを頬張ると、カリカリの皮の奥から、熱々の中身がとろけ出します。
熱つつつ〜と言いながら、小さなタコの食感を楽しむ🐙。
同じ粉モンでも、たこ焼きは、お好み焼きとはまた違った不思議な口当たりの食べ物です。
このトロトロ食感にも、実は秘密があるそう。
戦後、食べるモノが無かった時代、
占領軍のGHQが放出する小麦粉は、ある意味で米の代わりとなる貴重な存在でした。
とはいえ、配給される小麦粉は十分とは言えず、少ない材料でいかに多くの量を作れるかが、たこ焼き屋さんの命題でした。
そこで、小麦粉の使用量を減らすために、水増しして、生地に含まれる水分量を増やすことになります。
水分多めの配合で作ったたこ焼きは、外はコンガリ焼けていても、噛むと、口の中で溶けるように中味がトロっと広がっていきます。
水を増やしたことで、小麦粉のモサモサした食感から、トロリとした、独特のたこ焼きの口当たりへと変化していきました。
まさに『怪我の功名』ともいうべき
熱々トロトロたこ焼きが誕生した背景には、こうした理由があったのです。
(5)粉モンとマヨネーズの話
お好み焼き同様、たこ焼きにも、マヨネーズは欠かせない存在。
ちょっとジャンク感もありますが、
およそ8割の人が、たこ焼きにマヨネーズをかけるという調査結果もあるようです。
いつからマヨネーズをつけるようになったかは諸説ありますが、
元々は、終戦の翌昭和21年(1946年)に創業したお好み焼き店「ぼてぢゅう」が起源というのが定説のようですね。
店主の西野栄吉氏が
焼け跡の闇市で、米軍のPXから横流しされたというマヨネーズを食べたことがきっかけ。
コレはお好み焼きに合うと閃いた西野氏が、試行錯誤を繰り返し、
マヨネーズをトッピングしたお好み焼きを考案します。
お好み焼きにマヨネーズは、徐々に評判となり、
宝塚のタカラジェンヌが贔屓にしたことで
いつの間にか女性を中心に広がり、人気に火がついたそう。
『芋たこ南京』という言葉にある通り、
江戸の昔から、女性は、芋と南京(かぼちゃ)、そしてタコが大好物だったということで、マヨネーズがついたたこ焼きも、女子ウケがよかったんだと思われますね。
但し、広く一般に普及したのは、家庭の食卓でマヨネーズが普通に使われるようになった、大阪万博以降、昭和45年(1970年)あたりからではないかと思われます。
因みに
お好み焼き、たこ焼きに必須アイテムとなったマヨネーズですが、
今では同じ粉モングループのソース焼きそばにも普通に使われています。
初めて「からしマヨネーズ」付きのカップ焼きそば、明星食品の「一平ちゃん 夜店の焼そば」が発売されたのが、平成7年(1995年)。
発売から28年。今ではすっかり人気定番商品として確立しています。
その名の通り、お祭り屋台の夜店では、マヨネーズ付きの焼きそばは、普通だったようですね。
また、人気脚本家・宮藤官九郎と長瀬智也がタッグを組んで話題となったドラマ「池袋ウエストゲートパーク」が放送されたのが平成12年(2000年)。
このドラマで、長瀬演じるマコっちゃんが、焼きそばにマヨネーズをかけて旨そうに食べるシーンが話題になったのですが、
この頃から、それまでジャンクとされていて、マイナーな存在だった、焼きそばにマヨネーズという組み合わせが、広く認知されるようになったと記憶しています。
この人気を受け、
キューピーマヨネーズは、平成17年(2005年)から
それまでの「星型」のキャップに「細口」のキャップをつけたダブルキャップを採用。より、デコレーションを楽しめるようになりました。
また、お店のように更に細い線がかける「3つ穴」のキャップが採用されたのは、平成30年(2018年)。
わずか5年前の出来事です。
意外に最近でしたね。
こうして、お好み焼き、たこ焼き、焼きそばという粉モングルメに、
もはやマヨネーズは当たり前の組合せとして、自然に定着していったようです。
(6)鉄板と銅板の違い
たこ焼きについて、色々と調べている内に判明したのが
たこ焼きを焼く板には、「銅板」と「鉄板」があるということ。
知りませんでした😳。
大きな違いは「熱伝導率」。
「銅板」は熱伝導率が高いため、たこ焼きが焼けるのも早いそうです。
焼けるスピードが早いため、その分、短い時間で数多く提供できますが、
早くひっくり返す必要があり、それなりのテクニックを必要とします。
一方、鉄製の「鉄板」で焼くたこ焼きは、
熱伝導にムラがなく、ゆっくり焼くことで全体においしい焼き色がつきます。
また、保温性も高く、熱々トロトロの状態が長くキープできます。
「銅板」「鉄板」それぞれ違った特徴があり、一概にどちらとは言えませんが、人気のたこ焼き店のHPを見ると、敢えて銅板を使う理由、鉄板を使う理由が書かれていて、お店のこだわりがよくわかります。
たこ焼きが焼き上がるのを待っている間、焼く板が、鉄製の黒なのか、銅製の茶色なのか、眺めてみるのも面白いかもしれませんね。
(7)全国へ広がるたこ焼き
こうして、戦前に生まれた大阪の「たこ焼き」は
戦後、大阪を中心に広く一般に普及していきます。
ドロドロの濃厚なソースが一般に普及したことで、たこ焼きを販売する人が増え、更に週刊誌が大阪名物としてたこ焼きを紹介したことで、一気に人気が広がります。
昭和30年(1955年)頃には、大阪市内には、たこ焼き店が5,000軒はあるという話も出ていたようです。
一方、昭和30年代は、東京には、ほとんどたこ焼き屋はありませんでしたが、
東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)前後から、徐々に広まっていったそう。
それでも、夜店の屋台が中心であまり一般的な食べ物とは言えませんでした。
私も子どもの頃は、「たこ焼き=お祭りの食べ物」という印象で、年に一度のお祭りを心待ちにしていたのをよく覚えています。
ただ、北海道では、街の「おやき屋さん」で、おやき(今川焼)と一緒に、たこ焼きも売っていたような記憶もありますね。
何となく薄っすらした記憶ですが…。
80年代には、国道沿いなどに大きな赤いタコの店頭サインが目印だった「大阪たこ焼き大将」の店舗があちこちにあったように覚えています。
いつの間にか閉店していて、見当たりませんが、
どうやらこちらは、回転寿しの「トリトン」を経営する北一食品(株)が運営していたそうです。
東京でのたこ焼き店の開店が目立ってくるのは、バブルが崩壊した1990年代以降。
中でも平成9年(1997年)に群馬県で創業した「築地銀だこ」は、表面をカリカリに焼き上げたたこ焼きで人気を博し、北海道から沖縄まで全国展開を果たしています。
北海道にもかなりの数のお店がありますね。
こうして、戦前に生まれた「たこ焼き」は
長い時期を経て我々の生活に身近な存在に育っていきました。
なるほどですね🤔
たこ焼きを食べる際に思い出してもらえると幸いです。
今回も長くなり恐縮です。
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました
m(_ _)m
※次回は関西のうどん編を予定しております。
それでは、また😉
(つづく)
(2023年8月3日投稿)
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