広島ノスタルジー
年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからず。
7世紀の中国の詩だ。
今から1,300年前の人々も、人の世の儚さを感じていたのだろう。
人口は7世紀頃で世界2.5億人くらい。2024年現在で約79億人。数字で見ると儚さもクソもなくなってしまうので、今は忘れよう。
私はよくあちこちポタリング(自転車で散歩)するのだが、我が街広島もこの数十年でずいぶん様変わりしたことに気がつく。
高校の頃までアストラムラインなど無かったし、いわゆるショッピングモールと呼ばれる「ゆめタウン」や「イオンモール」なども無かった。
西区観音では広島空港がバリバリに現役だったし、当時はシートベルトも着用義務はなかった。
休みの日に自転車に乗り、自販機でコーヒーを買い一休みをする時にフッと
「そういえば昔ここには…」
と古い景色を思い出す事がある。
同じ空間でありながら、歳をとった自分と様変わりした景色に少し寂しさを覚える。
不思議なことに私は物覚えが悪い割に、過去の記憶が相当古くまで遡れる。
最も古い記憶は、2歳の頃に亡くなった曽祖父の記憶だ。
母の故郷の祖父母の家で療養していた姿と、葬儀の後に火葬場に向かう景色が残っている。
3歳4歳頃からは、かなりはっきり覚えているから、街の景色の移ろいもよくわかる。だからもしかすると人より強い郷愁感を覚えるのかも知れない。
ウィズワンダーランド
今はドンキホーテになっている本通りの東端。
若者のファッションの中心だった。大学の頃の飲み会の待ち合わせと言えば「ウィズ前」が相場だった。
テレビでは「ウィズワンダーランドバザール!」のCMが流れたりしていたのを覚えてる人も多いだろう。
その後、ヤマダ電機になり現在はドンキホーテになっているが今も待ち合わせに使われているのだろうか?
太田川花火大会
私が若い頃、花火大会と言えば太田川と宮島がど本命だった。宇品の「みなと花火」は当時はまだ行われておらず、広島のカップルは太田川か宮島に行くのが通例だった。
宇品のみなと夢花火大会は、とにかく交通が大変だから絶対に行きたくないが太田川は何処からもアクセスしやすくて良かった。
当時の彼女と行ってあちこち蚊に刺されて痒かったのをめちゃくちゃ覚えている。
ちなみに太田川花火大会のラストは2002年。
ナタリーと呉ポートピア
何処の都道府県でもそうなのだろうが、広島にもかつては遊園地と呼べる施設が二つあった。
一つは阿品のナタリー。今はフジグランが建っている場所だ。
そしてもう一つは呉ポートピアランド。今も跡地はポートピアパークとして活用されている。
呉ポートピアの方は当時話題になり私も行ったことはあるが、たった7年で閉園になった。
ナタリー然り、ポートピア然り。ついでにマリーナホップもそうなのだがとにかく強いコンセプトがない施設はあっという間に終わる。
遊園地が閉園を迎えた姿はとてつもなく寂しい。少なくともその空間で時間を過ごした人たちの思い出が詰まっているのだから。
広島駅(その周辺)
広島市内はここ10〜20年で大きく様変わりした。西風新都周辺もだし、商工センター、旧市民球場周辺なども30年前とはまるで変わった。
一番象徴的なのは広島駅周辺かも知れない。
以前は政令都市の駅とは思えないほど小さくて、さほど買い物も出来ないショボさだった。
取り分け北口(新幹線口)の寂れた雰囲気は何とも形容し難いものがあった。
南口には古い街並みがずっと残されていて、パチンコのナショナル会館などは男性方には懐かしいのではないだろうか。
駅の東側には当時はアーケードの市場があって、昭和の雰囲気が色濃く残るエリアだった。
あの頃が懐かしいと言う気持ちが時折湧いてくるが、時代は流れていくもの。
20年後にもきっと同じように「あの頃は…」とノスタルジックな気持ちになっているんだろう。