はじめの一歩
洗脳さんは時々、鋭い言葉で人を刺すことがありますが、私はその部分が好きでした。
やんわりと言われるよりも、心に刺さる言葉の方が応えるからです!
人によっては、それが嫌ということもあるかもしれませんが、洗脳さんの言葉には絶対的な信頼がありました。
なぜかと言われると、理由はわかりませんが、そう感じていました。
洗脳さんは、聞く人によっては耳の痛い話をするのです。
周りで聞いている分には良いのかもしれませんが、自分に直接向けられると動揺します。
自分の軸が揺らぎ、一瞬の混乱と焦りを感じます。
洗脳さんらしい言葉の中に「残念な自分を認めろ」というものがあります。
この言葉の意味を深く考えてみてください。
過去にしてしまった恥ずかしいことや、非道なこと、後悔していることを思い出してみてください。
思い出したくもない、後悔と恥の過去を思い出してください。
些細なことでも、なんでも。
そんな自分を認めずに隠していれば、つらさから解放されることはありません。
どんなに深刻に悩んでも、洗脳さんは「でもそうだったんでしょ、だったら認めるしかないでしょ」と言います。
他に何も言うことはありません、といった感じです。
私はある特定のことに洗脳さんの言う事を受け入れられず苦悩しました。
どうしても自分を認めることができない自分と向き合い続けました。
気がつけば、徐々にですが、認め、受け入れることができるようになったのでしょう。
今では、どんなに残念な自分でも、認めて受け入れることが自分を愛することだと言えるようになりました。
そうすることが、自分にとって最も自分に優しいことなんです。
最初は抵抗がありますが、成長していくプロセスなのです。
洗脳さんの痛い言葉を耳にするのも、プロセスなのです。
耳に痛い愛ある言葉を受け止めて実践するのは、これ以上自分を傷つけず大切にするための、はじめの一歩です。
つらさから抜け出した楽な生き方へのはじめの一歩であって、これが全てかもしれません。
残念な自分を切り離すのでもなく、否定し続けるのでもなく、認めて受け入れるだけ。
過去は消えないし、変えることもできないけれど、生き方の質が変わると過去の意味も変わってしまう。
最近は、世間のいろんなことが取るに足らないことばかりに思えて、そんなものに振り回されていた過去の自分を笑ってしまいます。
それにしても、耳を傾けなければ何も始まりません。
洗脳さんとすずめさんの本を読まれた方、試された方、いらっしゃいますか?
私もみなさんの感想が聞きたいです。
コメントを残していただければと思います。
現在の自分を作ったのは過去の自分です。
そして、現在これを読んだり、洗脳さんの言葉を聞いたり、すずめさんの記事を読んだりするのは最新の自分です。
その現在の自分が今から先の自分を作っていきます。
過去の自分を認めるのも今の自分がする事です。
過去に起きた事、過去の自分のしたことを否定し受け入れないまま放っておくのは、過去の残念な自分が作った残念な自分を、今後も続けていくことになります。
認めて受け入れるとは、解釈せず、ただOK(問題ない)とすることです。
余計な解釈は必要ないのです。
あれがあって良かったとか、今後気をつけようとか、いらないのです。
ただそうだった、と認めることです。
こうして自分を受け入れることを意識したら、自己分析を始めると良いと思います。
やり方を間違えないように、この本をお勧めします。
上手く自己分析ができないと逃げてしまっても、また帰ってくればいい。
自分に失敗を許すことは大事なことです。
苦しみを消そうと何かに依存している自分を自覚しているのなら、大丈夫です。
なぜなら、苦しみをさほど経験しないような人は、無意識に生きているだけです。
自覚もないまま、ロボットのような人、あるいは動物以下の人。
そんな人はある意味幸せですが、馬鹿なだけです。
この世は無責任な馬鹿で溢れているのです。
こんな世界を少しでも変えて生きやすくしたいと思ったことがあるのなら、自分自身を生きやすくすることです。
他人を思いやる前に、自分のことを見つめ直してください。
残念な自分が他人に与えることのできるものは、その残念さしかありません。
残念な自分を受け入れた人からは残念さが消えて行きます。
ここから成長が始まります。
どうか苦しみから逃げることはしないでほしい。
苦しいからこそ!です。
知性的な人が知性にもっと磨きをかけるとこの世界に何が起こるのか?
楽しみです。
誰かのはじめの一歩が、今日であることを願っています。