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読書録:『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』(1)~シン・エヴァ~

國分さんの先行する著書である「中動態の世界」や「暇と退屈の倫理学」、
熊谷さんの当事者研究(の研究?)を足掛かりに、共鳴するお二人によって行われたセッション。

「意志」が過去からの因果の連鎖を切断し、まるでその時点、その人を起源に事が始まったかのようにしてしまう、という見かたにハッとした。
(こういう新しい気づきがあるのが嬉しい)
能動VS受動的な言語によって、意志や責任の所在がその主語に帰着させられる、ということも、中動態の世界を知った後だと、しっくりと理解できる。

であれば、中動態的な見方からは責任は生まれないのだろうか?
いや、中動態的な見かたを経ることでこそ責任感はその人の中に現れるのではないか、ということが依存症からの回復の「AA12のステップ」などを参照しながら語られる。
そして責任をとるとは、応答することであるとも。

ところで、この本を読んで数日後にシン・エヴァを観た。
(ネタバレはしません)
その直前に庵野監督のドキュメンタリー番組を観ていたこともあって、「庵野さんは責任を果たした」という感じがしたのだ。

それがなぜなのか自分でも整理できていないけど、
エヴァは庵野監督の欲望でありながらもファンへの応答であり、
しかも、かなりしっかりとこちらを見てくれている、ということが感じられたからじゃないだろうか。

その25年もかけた相互作用は、他にはない感動を与えてくれた。

みなさんはどう思っただろうか?

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