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【読書感想文】同志少女よ、敵を撃て

皆さんこんにちは。佐々木です。最近なにかと話題の逢坂冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」を読んだので自分なりに感想を書いていきたいと思います。

物語の舞台は独ソ戦が激化する1942年。ロシアの農村にで暮らす少女セラフィマが時代に翻弄されていく様子が描かれています。

注意​、以下ネタバレを含みますのでまだ読んでいない方や内容を知りなくない方は回れ右してください!


  • セラフィマと戦争

セラフィマは本来、大学に行き外交官としてロシアとドイツの友好関係を築くという目標を抱えていた普通の少女だったにもかかわらず、突如村を襲われ、唯一の生き残りとしてドイツ兵を撃つため女性狙撃手となる道を極限の状態とはいえ自ら選ぶことになってしまったという事実にとても胸が苦しくなりました。

第六章ケーニヒスベルクでドイツ兵にセラフィマが尋問をした後ドイツ兵との会話のシーンでは、捕虜となったドイツ兵がサッカーチームのリーダー2なりたかった彼の夢を聞いて、平和のために覚えたドイツ後が戦争に使われている現状から、生まれてくる時代が違えば有能な彼女には他の生き方があったはずだったのだと、思わず考えてしまいました。

  • 同志と敵

作中彼女の中で「同志」と「敵」が少しずつ変わっていきます。
物語の中では、セラフィマの教官イリーナ、秘密警察のスパイ、敵のドイツ兵と愛し合うロシア人、幼なじみ、たくさんの登場人物が出てきます。

いくつかの戦場を経験していく中で、女性を守るためにドイツ兵を殺しイリーナも殺す。という目標のもと戦っていたセラフィマが、最終的にイリーナを殺さず、女性を守るための行動を選択した時、彼女にとっての「敵」と「同志」の考え方がはっきりと決まって思わず鳥肌が経ちました。

自分は、彼女の最後の選択は正しかったと思っています。また、最後に撃たれた彼も間違いを犯すことなく死ぬことが出来てよかったのではないでしょうか。

今回この作品を読んで、戦争について改めて考えてみました。

戦争というのは、その後国どうしで決着がつくとしても、戦った国民一人ひとりの心のなかで決着がつかない限り、「戦争が終わった」となるのは難しいと思います。

人類が誕生してからもう500万年も経っているのに、その頃から全く成長せず、同じやり方で武力で争うことでしか物事を解決出来ないのは恥じるべきことだと思います。

憎しみが憎しみを呼ぶ戦争は今現在も起こってしまっていますが、少しでも早い終戦と、もう二度と戦争が起こるようなことにならないことを祈ってます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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