精神の分裂と統合について

「さよならを教えて」というノベルゲームがある。

統合失調症の主人公が自身の生み出す妄想から「さよなら」できず、現実感を取り戻せないまま終わる話だ。


統合失調症の前駆期にみられる症状は以下の通りに示されていた。

• 集中力・注意力の低下
• 意欲低下、モチベーション(動因)の低下
• 抑うつ
• 睡眠障害
• 不安
• 人付き合いからの退避
• 役割機能の低下
• 易刺激性

↓参照URL↓

私はこれかも知れないと思った。母は学生時代、これにかかって大学を中退したと聞いたことがある。恐らく遺伝なのだろう。病識を捉えられたのはここ最近のことだった。付き合っている人が、私のLINEや発言に対し、違和感を示す機会が多かった。例えば、LINEが長文になって相手の読む事や返信に対する負担にまで気を配れていなかった。しかし、相手の負担にならないLINEの文面というと、何を書けばよいのかわからなくなってしまった。私の考えていることは脳内で言語化され、それが手元を通して次々に出てくる感覚だった。私のLINEの文面は、どうしたら相手の負担にならず、相手が心地よく読めるものになるのかと友人や祖母に相談した。すると、LINEを送る際には、相手がどんな反応をし易いか等ある程度考えてから送る、と友人は教えてくれた。LINEはスタンプが特徴であり、長文というよりも短く簡単にコミュニケーションを取るサービスであることを祖母は丁寧に教えてくれた。そして、世間一般的には時間や労力のコスパを考えてコミュニケーションを行っているというのがどのコンテンツにおいても最近の主流であるということを、私はようやく思い出した。

ここ数か月の間、私は一日一食生活をし、人との情緒的な関わりをなるべく遮断し、睡眠時間は大体12時間で、起きている間は時計やカレンダーを止めて時間を廃して生活していた。その結果、手に入れたのは一方的な孤立であった。目の前にもオンラインを介したその先にも人がいた。しかし、私は一切の情緒を人と接続せず、相手に一方的に刺激を与え、相手に起こっている現象を観察していた。あらゆる現象に対する観測の記録。それが私の娯楽、暇つぶしであった。インターネットさえあれば、こんな倫理の欠片もない冷酷な遊戯を一人で行える。だからこれからも一人で生きていけるだろう、そう思った。人の思うことなんて、どうせ全てフィクションなのだから。そう思って私はフィクションを作るプロになりたいなと思った。そして人々の感情を滅茶苦茶快感漬けにし、私から離れられなくしてやろう・・・そう考えた。それが人を幸福にできる方法である、と大きな間違いに気づかないまま過ごしていた。

そんな私の様子を見かねたのか「気持ち悪い」と言われ、半ば強引に目を醒まされ、リアルで会った人とたまたま付き合うことになって、今に至る。

今でさえ、私は人と情緒を結びつける事を恐れ、人と話しているようで孤立している時が多々ある。友人にこの感覚を打ち明けると、やはり私の文面は会話のキャッチボールにはなっておらず、壁打ちを永遠に行っているに過ぎないと言われた。会話のキャッチボールとは、何のことなのだか。


相手がうまいことキャッチできる言葉を考えられる心の余白が必要なのだと思う。それを得るためには、やはり自分自身を満たすことを避けていてはいけない。思考は道具でしかなかった。思考で遊ぶことは楽しい。今度は私が苦手だと避けて来たものと仲良くなる為に、思考を使ってみるのもありかもしれない。そうして目の前のことを裏返して見れば、苦しいと思っていた事が楽しいに変わるかもしれない。


物の見方を増やす為に、料理を楽しんでいる人に「何故それが楽しいのか、好きなのか」と聞いてみた。すると、「大切な人に美味しくご飯を食べてもらいたいからだ」と話してくれた人がいた。「料理が美味しくなるコツは?」と聞くと、「丁寧に行うこと」と言っていた。ただ生きる為にカレーライスを5日間連続で食していた私からすると、衝撃的な発見であった。料理に限らず、何事にも言える話だ。

ただ生きるっていう生き方は、人間にはどうやら不可能なのかもしれない。ようやく人間と馴染むきっかけと巡り会えたので、これからも人間の心を知っていきたいと思う。

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