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旦那さんの他に、気になる男性がいる

突然だけど、私には今、気になる男性がいる。

会ったことはないが彼はモテるし、筆まめで、ロマンティックで知性に溢れている。噂によれば、彼が抱いた女性の数は1,000人以上。

でも彼と会うことはない。もう亡くなっているから。だからこそ全てが謎に包まれている。

私が気になっている相手は、在原業平ありわらのなりひら

古典『伊勢物語』の主人公のモデルになったのが業平、と言われている。彼は家柄良し、気立てよし、顔良し、頭良し。

『伊勢物語』は「ある男」の恋愛物語。私は女たらしは嫌いだけど、なぜか業平は気になる。彼の魅力を読み解いていこうと思う。

この本が読みやすかったから、おすすめ。


私が好きなのは、『伊勢物語』の代表エピソードだ。

身分の違いで結ばれなかった二人。男は夜中に女を連れ出し、駆け落ちを決行。途中、夜露を見た女が「あれは何?」と聞くが、逃げることに必死な男は答えず、そのまま進む。しかし、雨風が強まり、彼らはあばら家に避難。

男が外で見張りをしている間に、家の中で女が鬼に襲われてしまう。翌朝、無事だった男は女を探すが、彼女の姿はどこにもない。男は彼女に、「夜露だよ」と答えてあげられなかったことを後悔する。

業平と藤原高子ふじわら の こうし/たかいこの話が元ネタ。雨上がりの晴れた空、葉っぱについた雫が落ちるように、男の頬にも涙が見える気がした。「あの時こうしとけば…。」という後悔、多くの人が経験済みだと思う。

業平は90歳のおばあちゃんの相手をしたこともあるようだし、人妻も問題なし。傷心した人にもいい寄る有り様。

在原業平の魅力は、人間味にあると私は思う。モテ男としての華やかな一面だけじゃない。恋愛における挫折や、人間関係の複雑さなど、誰しもが経験する感情を率直に表現しているから共感する。

来るもの拒まず、去るものは追わない。でも駆け落ちしかけた高子だけは別。

業平と高子の関係は複雑だ。業平の上司の奥さんが、高子だった。そのため2人は、嫌でも顔を合わす機会は多かった。もちろん、触れることも、その想いを直接伝えることも許されない。

ある日業平は、高子が主催するお花見会に出席。彼はこんな歌を詠んだ。

「桜の花を見てもまだ満足できず、『もっと見たい』と感じるのは毎年のことだが、今年の桜はとりわけ切なく、『もっともっと見ていたい』と思う。」

ここには高子の身内や、仕事仲間がいたと思う。駆け落ち騒動を知っている人からすれば、ヒヤッとしそう。業平の心は常に、高子を想っていた。遊び人の彼からは想像できない繊細さを感じ取れる。

私は業平の知的さにも惹かれる。権力や社交辞令ばかりの飲み会にはうんざり。業平もそう思うことがあったのだろう。

業平は、兄に呼ばれて藤原氏のお偉いさんたちとの宴に出席。そこには110センチの藤の花房が飾られていた。彼は和歌を詠むように強要され、こう詠んだ。

「咲いている花の花房の下に隠れる人が多いので、以前よりいっそう藤の陰が大きくなる。」

表向きは藤の花を藤原氏に例え、藤原氏のお陰で栄えていると褒め称える。しかし、裏には「藤原氏の影響力に媚びる者が増え、藤原氏はますます増長している」という意味が隠されている。この和歌により、業平の知性と皮肉のセンスが光る。

業平は、高級チョコレートみたいだ。

高級品だから簡単に手に入らない。食べすぎると太るし、お金もかかるから、いっそ嫌いになってしまいたい。でも目の前にそれを出されると食べてしまう。その甘さと幸福感が病みつきになる。彼の魅力そのものだと思った。

業平はもしかすると、男からも「良い男(悔しいけど!)」と思われていたのかも。見た目や家柄、和歌の上手さ、立ち振舞いや知性も含めて。

まとめると、彼の軽薄そうな行動の裏にある深い感情、時に見せる人間臭さが物語全体に命を吹き込んでいる。人の心も自分の心も、モテ男だから全て思い通りにいくとは限らない。業平を知ることは、『伊勢物語』が時代を超えて愛される理由も見えてくる。