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私の私による私のための愛の定点観測(31歳地点)

 21歳の誕生日を迎えたばかりの私はルーブル美術館にいた。今から10年前、若さと無知という無敵の友人達と仲良く手を繋いで日本を飛び出した私は、初夏の清々しい日差しと乾いた風の吹く6月のパリで、肥大化した自意識と時間を持て余していた。

 別に宇多田ヒカルぶるわけではないが、21歳の私にはモナリザもミケランジェロもなんてことはなかった。大階段の下から見上げたサモトラケのニケは荘厳なオーラを放っていたと思うが、残念ながらそれに感動するには人ごみに疲れ過ぎてしまっていた。

 それでも、10年経った今こうやって書きたくなる程に心に残っている絵画がある。人もまばらなフランス絵画の集められたホールの一画、突然目の前に現われたそれの放つ神聖さに一瞬にして心を奪われた私は、しばらくその場から動くことができなかった。

 ポール・ドラローシュの『若き殉教者の娘』という絵画だった。死体が浮かんでいるその絵は、単純にインパクトがあった。両手を縛られた状態でテヴェレ河に投げ込まれたその少女の顔を見てはいけないようなものを見るかのように恐る恐る覗いたことをよく覚えている。ファーストインプレッションが薄れていくと、立ち現れてきたのは親しみだった。将来に対する漠然とした不安と、進みたい道が見つからない自分への諦めを感じていた私にとって、全体に塗り込められた深い黒は心地が良かった。そのままその暗闇に吸い込まれて溺れて死んでしまえたらとさえ思えた。その暗闇の中で少女の死体は青白く静かに発光している。ドラローシュは悲哀な情景を通して無音という音を奏でていた。その絵画は誰が見ても分かるようなはっきりとした静謐を纏っていた。その場所だけ、温度が1度も2度も下がっているようだった。

 モナリザを前にしても心動かない、それくらい美術の教養を持たない21歳の小娘だ。もちろん、ポール・ドラローシュのことなんてまるで知らない。それでも、そんな事とは関係なく1枚の絵画で10年後に思い出されるような感動を体験できた。今思うと、私はあの瞬間にはじめて美術の魅力を理解したのだろうと思う。この時の事を思い出すと、いくら文章を読んで理解したつもりでいても一瞬の経験に勝ることは無く、また何かを本当に理解するとき、言葉は必要ないのだという事実を突きつけられ、言葉を書いている身としては少し寂しい気持ちになってしまう。言葉にすることで、慣れ親しんだ部屋の中で新しいドアを見つけるような驚きに出会うこともあれば、言葉で掴んだ瞬間に興が醒めてしまうような感覚や感情もある。

 脳科学者である茂木健一郎氏がアートの批評性による認知の更新について語った際にこんな事を話していた。アートにおける批評性とは、つまりは無意識の前提を問い直すことであり、優れたアートは私たちの認知を更新すると説明した上で、

アートの批評性が私たちの認知を更新するとしても、この更新には時間がかかる。したがって、あるアートを前にして、衝撃を受けたり、強く印象を残したりしたとしても、その意味はすぐにはわからない。だから、心の中で何かが起きているという事自体を留意して、とりあえずは停止するしかない。

と続けた。そもそもインパクトの強い絵画だったこと、暗闇の深さや縛られた両手と自分の現状を重ね親近感を抱いたこと、絵画の奏でる無音や冷たい感触に感嘆したこと、それらが衝撃の正体だと思っていた。もちろんそれも間違いだとは思っていない。けれど、それより重要だったのは、感動を体験したことにあった。ほんの数分足が止まったその時間は、10年後の私に芸術の存在意義を理解させた。言葉にできないことは無いとどこかで思っていた。言葉にする事が何より大事だとも。10年経って、言葉には到達できない領域があることをドラローシュは私に突きつけた。

 爆発が大きければ大きいほど、爆心地を見つけるのは困難になる。衝撃も大きければ大きいほど、その衝撃の本質は見えなくなる。ちょうど、テネットを劇場で観た帰り道に無口になってしまうあの感じと似ている。


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 愛について考える時、同じようなことを思う。愛の本質を掴むのは難しい。愛こそ、言葉で理解するのが不可能な領域だと分かっている。言葉にすればした分だけつまらなくなってしまうことも分かっていた。それでもこうして書いてしまうのは私の性みたいなものか。愛という領域で衝撃がおこる度私は立ち止まり、砂埃が収まった頃を見計らって考えてはその認知を更新してきた。

 10代の頃の愛は恋の延長線上にあって、これから経験するであろう感情として捉えていた。20代になって結婚すると、愛は決意や約束、誓いの類に変わった。「愛する」ということは、一時の感情といった不安定なものではなく安定した意思なのだと確信した。

 出産を経て、娘は愛について考える時の絶対的な指針になった。「この子を愛している」と口にすれば、そこには確固たる自信が宿っていたし、「愛している」以外にこの感情を形容する言葉を持っていない事をもどかしく思った。愛は単なる意思ではないことに気がつきはじめていた。

 それでも私はまだ愛は神聖な誓いであると信じて疑わなかった。小さな体を胸に抱き、沸々と湧き上がる純粋な愛情に浸りながら、この子とこの子の家族を私は一生愛し遂げると誓った。そこに、娘の為に夫を愛すという明らかに歪なニュアンスが含まれていることに当時は全く気がつかなかった。そんな決意とともに迎えた30代をいくらか過ごしているうちに、「病める時も健やかなる時も愛すと誓ったのだから、これくらいのことは飲み込まないと」と思う場面がだんだんと増えていった。本来ならば2人で解決すべき矛盾点や苛立ちをその神聖なる誓いの下、なんとか1人で乗り越えようとしていた。「愛すると決めたから」というセリフはいつの間にか呪いとなり、そのうち「愛さなければ」という脅迫に変わり、自己犠牲に支えられた愛は左手に嵌めた結婚指輪を手枷に変え私を縛りつけていた。私は限界だった。



「愛は行為だ」



 そんな時、その言葉はまるで自らの意思を持って出てきたように突然私の前に現われた。前田史郎の「海辺のマンション」という短い恋愛小説を読んでいる時の出来事だった。私はその言葉のあまりの衝撃に一体何を言われているのか理解できず、しばらくその先へ読み進めることができなかった。

 通り過ぎた後も、私の脳裏にこびりついたその言葉は、何度も何度もその箇所を開かせ私に読ませた。はじめのうちはただ単にセックスについて書いているんだろうとしか思わなかった。でも、それだけじゃないこともなんとなくわかっていた。何かをしていても、気がつくと無意識に頭はその意味を勝手に探していた。そうして、あるひとつの答えにぶつかった時、私の愛はまた更新された。

 今思うと結局、私は迷っている自分の答えとなるようなものをそこから見つけたかっただけなのかもしれない。作者の意図とは関係なく、読みたいように読んでいただけなのかもしれない。でも、それで構わなかった。そうやって自分で自分に縋って自分が助かるなら、こんなにエコなことはない。

 愛は行為だ。それは、食事や睡眠といった取るに足らないありふれた当たり前の行為のひとつでしかない。そう言い切っていた。少なくとも私にはそう聞こえた。

 私たちは食べたいから食べ、眠たいから眠る。それらの行為と同じように、愛したいから愛すのだ。愛はそういう、誰もが日常的に感じている純粋な欲求のひとつでしかない。確かに私は娘のことを愛したいという欲求のままに愛していた。

 過去のnoteで『手放しで相手を信頼し、その存在から安らぎを受け取れることは最も深い愛だと思う』と書いたことがあった。なんだ、知ってたんじゃないか。誰かや何かを愛しいと思った瞬間に、安心と幸福で満たされること。それが愛するという行為だ。そして、空腹を満たす為だけの食事がつまらないように、自分を満たす為だけの愛もまたつまらないものなのだろう。食べたいものを食べるから楽しいし、愛したいものを愛すから楽しいのだ。当然そこに、決意や誓いのようなものは存在しない。

 一方で、「食べる」や「眠る」は実際の行為を表す言葉だが、「愛する」という言葉は実際の行為を表さない。愛することが行為だとするならば、それは具体的にどのような行動を取るのだろう。きっと愛は、「気遣い」に名前を変えて、私たちの前に表出していたのだろうと思う。髪を梳いたり、食事を用意したり、用意されたものを全て平らげたり、歩幅を合わせたり、そういうささやかな日常の気遣いは愛するという行為そのものだと気がついた時、私は数え切れない程の愛に囲まれていた。そういう行為を親切な気遣いや単なる優しさで済まさず、愛だともっと積極的に認識し合えたら、今よりずっと豊かな世界になるだろうと思った。

 そして、食べたくない時無理に食べる必要がないことが当たり前なように、愛したくない時は無理に愛す必要がないと当たり前のように思えた時、手枷となっていた指輪は元の姿に戻って、私は自由になった。

 私の中の愛に対する認知が「誓い」から「行為」へと鮮やかに更新されると、今までよりもずっとずっと柔らかで身近なその感触が新鮮だった。

 これからは愛したい時に愛し、愛したくない時は愛さない。そうやって自由に愛せばいい。

 そう理解できた時、ふいに安心と幸福で満たされた。愛という厄介なそれを今はじめて愛せたのかもしれない。

 「一行の文章を書くこと、それが既にカオスに対する抵抗である」と武田泰淳は言った。私は愛というカオスに抵抗する為にこうして文を書く。これは、私の私による私のための愛の定点観測の記録である。

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