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【Step11】憧れの頂へ… 富士山(7/20㈯〜7/21㈰)

 お店のお客さん達と行く月一回の山の会。今回はいよいよ日本一の山、富士山にチャレンジする。僕たちの山の会の始まりは「日本一の富士山に皆で登ろうぜ!」という酒場での会話から始まって今年で3回目。毎月の登山を積み重ねて、年に一回のこの富士山への挑戦が集大成ということになる。今年は総勢11名でのチャレンジだ。


山行計画(往路/復路)

保全協力金を払うともらえる記念品

 往路は富士宮口からスタートしてプリンスルートを登っていく。プリンスルートとは、天皇陛下が皇太子殿下だった頃の2008年に登られた事が由来となった登山道のことを指す。登山口は南麓の富士宮口から始まり、宝永火口を横断して御殿場ルートの六合目に合流してから山頂を目指していく。道中の景観が地味だと言われる富士山にあって、このルートは景観の変化に富んでいて歩いていてとても楽しめる事から、僕たちの会では昨年からプリンスルートでの登山を定番としている。

 復路は御殿場ルートを下る。このルートの最大の魅力は『大砂走り』と呼ばれる長い下り坂。御殿場ルート下山道の7合目から御殿場口の入り口太郎坊までの厚い火山灰地。この火山灰は1707年に起きた宝永火山噴火の際に降り積もったものなのだそうだ。約7Km続く柔らかな火山灰地は足を踏み入れる度に足首まで埋まり、まるで転げ落ちていくようにズンズン足が進むのが面白い富士山でも屈指の名物ルートを下って新御殿場口五合目におりて山行を終える計画だ。

山行記録(7月20日)

富士宮口〜宝永山まで

富士宮口登山口

 今年は個人的都合で富士山に金曜日に前日入りしたため、土曜日は皆との山行が始まる前に僕は一度早朝に登頂した後富士宮口まで下山してから、皆を待って合流した。なので、今回は皆にとっての富士山チャレンジでもあり、僕個人的にも富士山を一日のうちに往復するというチャレンジでもある。この山には、この山行にはいつも僕自身にとってもチャレンジングな意味合いを持たせるようにしている。

 バス到着後、身支度を整えて10:50に出発。行程の最初の休憩ポイントである雲海荘、宝永山荘までのなだらかな上り坂はこれから富士山頂を目指す前の足慣らしにちょうどいい。雲海荘辺りでトイレ休憩をして、これから宝永山へ向かう。

宝永山から見た雲に隠れた富士山

 宝永火口まで降りて小休止の後、天気も良いので先ずは宝永山へ上がることにした。この時期の富士山は僕達同様グループ登山も多く、ツアーで来られる人も多い。高橋ガイドは顔が広くあちこちに仲間のガイドを見つけては挨拶に回っている。

「酒場のグループ登山というタイプは珍しいのか、皆から良いなぁって言って貰えるんですよ。」

そう言って笑うガイドは少し浮かれ気味である。しかし無理はない。ただでさえ勝手知ったる間柄に、この富士山に向けて毎月一緒に山を歩いているのだから、手前味噌だがチームワークや雰囲気は良いもんな。

 宝永山への登りはサラサラの砂地で足を取られやすい。僕はここを勝手に蟻地獄と呼んでいる。足を踏ん張れば踏ん張るほど、砂に足が埋まって上手く進まない。

 皆が黙々と歩く中、ひとり、身につけていた帽子が突風で飛ばされてしまった。あららと皆で眺めていると、帽子はそれほど離れていないがルートから外れた宝永火口の斜面に着地した。あれなら、取りに行けないこともないな。なんて思っていたら、帽子を飛ばしてしまった方が取りに行こうとふらっと斜面に足を踏み出してしまった。

「危ないよ!」「止まって止まって!」と皆が一斉に声を出す。ちょっとヒヤッとした。風に吹き飛ばされた帽子に手を伸ばす。こういう時は人間は反射的に動いてしまうのだなと言うのがよく分かる一瞬だった。改めて、身に着けておく物の調整や、手から離れたあとに場合によっては諦める気持ちの切り替えも必要なのだと思う。

「悪いんだけど、取りに行くのお願いできる?」と高橋ガイドから任されたので、僕は一度列から離れて帽子を取りに向かう。多少傾斜が急な事に加えて砂利で足場が崩れやすいから、ここはやっぱり注意が必要だ。

宝永火口のルート外の斜面はザラザラで登りづらい。

宝永山にて

宝永山頂より

 宝永山の標高は2,693m。宝永4年(1707年)の宝永大噴火と呼ばれる火山活動によって生まれた側火山である。側火山とは大きな火山の山頂火口以外の山腹や山麓で噴火が起きた時に作られる小火山のことを呼ぶそうで、富士山の周りにはなんと70以上もの側火山があると言う。宝永山はその中でも最も大きい山で、宝永大噴火以降に富士山は噴火していない事から、この宝永山は富士山における最新の側火山とされているそうだ。

 宝永火口から宝永山へ上がる時に見上げる景色も圧倒されるが、宝永山まで上がって俯瞰する宝永火口の景色もまた圧巻である。山体をバックリと抉ったような火口には富士山の何層もの地層が露出している。今見ている地層は一体いつのものなのだろうか、ぱっと見ただけでは想像もつかない。この、一目して凄まじいエネルギーを感じる山をこれから更に登っていくのかと思うと、何とも言い難い高揚感が込み上げてくる。

宿泊地(赤岩八号館)

今回も昨年同様赤岩八号館に宿泊してお世話になることにした。御殿場ルートの八合目にある山小屋だから、赤岩八号館(正確には、七合九勺だそうだ)。

この小屋がオススメな理由がいくつかあって、

①山頂までのアプローチと高所順応しやすい立地。
②夕食、朝食のご飯、味噌汁のお代わりが自由。
③山小屋の前からの眺望が良い。

個人的にはこの3点が凄く気に入っている。

 まず①立地面でいうと、赤岩八号館は標高3,300m地点にある。富士山頂の標高は3,776mなので、山頂までの標高差は476m。歩行時間で約2時間ほどと言われている。ご来光を目的にした夜間山行でも、夜間に歩く時間は短い方が良いという意味でも、標高3,300m地点と言うのはバランスが良い。
 それに加えて、御殿場ルートは一番下の新御殿場口五合目(標高1,440m)から登ると標高差も距離も相当かかってしまうけれど、富士宮口(標高2,400m)からプリンスルートを使えば距離も時間も負担が軽くなる上に、御殿場ルートとの合流地点から赤岩八号館まではつづら折りの砂道だ。足を取られる苦労はあるが、ゆっくり登れば疲労感は少ないし、高所順応もしやすいメリットがあると思う。

 ②の食事面も重要だ。富士山に登るなら食料は少なく身軽で行きたい。でも1日も歩けば相応に腹は減るし、栄養補給は登頂のためのポイントでもある。そんな時におかわり自由で食事を頂けるのは本当に有り難い。富士山の山小屋の中でも食事がほんのちょっと弁当程度しか出なかった所も経験した身からすれば、赤岩八号館の心遣いには頭が下がる。

 ③点目の小屋から見える眺望の良さも魅力的。天候が変化しやすい富士山では、折角行ったのに天気が悪く、山頂まで行けないなんてこともザラにある。ご来光も見られない、夕日も見られない、雲海も見られない。寒くてツラい記憶しか残らないと悲惨だ。そんな時、山小屋から良い景色が見られたら良いのに…というときは、赤岩八号館は凄くオススメだ。左手(東側)に関東平野、右(南側)に視線を移すに連れ相模湾、箱根連山、伊豆半島に駿河湾と絶景が続く。タイミングでは影富士も見えて、ここで満足してしまうほどだ。
ざっと振り返ってもこの三点は富士山の赤岩八号館の大きな魅力だった。山小屋に泊まるなら、こういう所が良いなと思う。

(山小屋HPはコチラから)

夕食のカレー

食後 〜就寝までの自由時間〜

瞑想タイム

 小屋に到着してからは自由時間になる。夕食を食べ終えることには丁度日の入りの時間を迎えたので、食後は自然と皆山小屋前のベンチに集まる。
 眼下には雲海が広がり、東側にはいかにも夏らしい積乱雲が見えた。今夜は関東、東京方面は大変な雨だそうで、東側の雲が絶え間なく光っては雷の音を轟かせていた。富士山までは来てくれるなよと雨雲レーダーを見ると、なんとかこちらは天気がもちそうだ。あとは明日の明け方になってみないと分からないけれど、予報を信じて体を休めよう。

 カメラを構えて何度かシャッターを切ってみる。ピントを合わせる場所によって光や色合いも変わって面白い。日が暮れるにつれて明暗がはっきりと分かれていってスポットライトを浴びたような雲がやたらと幻想的に、神々しく見えた。環境変化だなんだと叫ばれたって、こうやって見ている景色は今も昔も大きくは変わらないのかもしれない。過去の人々がこの雲海や空を見て何を思ったのかを知る由もないが、仲間達と同じ時にこれを見ていることには何かしら意味を感じずにはいられない。

 瞑想していた昔からの常連さんと話をした。僕は日頃店での営業では仕事に追われることも多く、ゆっくり心を落ち着けて話が出来る機会も少なかったりする。だけど、泊まり山行で山に来ればそういうことも出来る。酒場の皆と普段と違った付き合い方が出来るのも嬉しいから、こうやって山に行こうと言ったりするのだと思う。

夕焼け

 山の向こうに日が沈み、良い色に空も焼けて1日が終わっていく。今夜は満月だそうで、次は月だと皆が空を眺めている。僕はそろそろ休もうかと小屋に戻って布団に入った。明日は午前2:30に出発する予定だ。

山行記録(7月21日)

夜間山行

 午前2:00起床。既に周りは準備でガサゴソと音がしていた。僕たちが泊まったのは屋根裏スペースだったのだけど、仕切りの向こうから若い子らがいるようで、小腹が空いたのか菓子パンを食べるだのなんだのと騒いでいる。周りには寝ている人もいるのにな。「ごめん。静かに出来るか?」と仕切り越しに声をかけると、それっきり彼らも大人しくなった。何だ。静かにパン食えるじゃんか。

 午前2:30に予定通り小屋を出発。前日夜時点で何名か頭が痛いと訴えていたが、少し休んで良くなったみたいだ。全員集合して二日目をスタート出来た。毎年恒例の富士山行も今年で三回目となると、どこで何に気を付ければ良いかが分かってくる。夜間山行のように視界が悪い時間帯のグループ登山は、メンバーがはぐれてしまうと面倒くさいことになる。その辺りは元教員の妻が活躍してくれた。人数確認の点呼はお手の物だ。

 全員ヘッドライト着用で歩くと、思いの外道は明るく照らされる。それもそうか、先を見ると山頂までずっと明かりが続いている。これが全部登山者のもので、全員がご来光を見るために山頂を目指していると思うとこれぞ富士山という感じがする。

 富士山名物の渋滞は毛嫌いする人も多い。天候が悪かったら辛いだろうなと思うけれど、今夜は今のところ風も強くなく、むしろ足を止めて満月を眺められる分渋滞で得をした気分だ。だいたい、富士山も渋滞するが北アルプスだって渋滞していると聞く。あっちは良いけどこっちは嫌だなんて、個人の主観でしかないのにな。とにかく、今夜は月が綺麗だし、麓の街の灯りも美しい。

山頂へ

 途中多少のペースの違いは出たものの、午前4:00頃に全員が山頂に到着できそうだという目処が立った。昨年よりもペースが早い。この日のために準備してきたみんなの努力が結実した何よりの証拠だというのが嬉しい。
 御殿場口の山頂が見えるにつれて、風が明らかに強まってきた。時折体を煽られそうになる強風。足元がまだ暗く、岩場だということもあって少し緊張感が増す。渋滞のあとに付いて、ゆっくりゆっくり登っていくと、それでも日の出前の4:30に御殿場口山頂に到着した。

 御殿場口頂上の鳥居の前で高橋ガイドが粋な計らいを見せる。「じゃあ、富士山初登頂の人が先で!」と言って、このチャレンジの初参加者4名を先頭に隊列を変えたのだ。昨年は無かった、ちょっとしたサプライズだった。初登頂の4人を先頭にして、経験者達が後ろから見守るフィナーレは最後尾で見ていても感慨深いものがあった。そうして、今年も無事全員が登頂を完遂した。

朝焼けの空に向かって最後のひと登り

「そんなとこで止まらないで早く前行ってよ!」
隊列を組み替えるほんの僅かな時間でも、他のツアーガイドの罵声が飛んでくる。目の前にもうゴールがあるのに、随分心に余裕が無いと思う。まだ日の出には十分間に合うのにな。さっき暗闇の中で、道いっぱいに広がって休憩してたの知ってるよ。と心の中で思いながら、罵声を背中で受け止めた。こういう余裕のないところは、富士山の渋滞はと周りから毛嫌いされる要因の一つだろうな。

強風の山頂で

 見晴らしのいいポイントに出て日の出を待つ。高橋ガイドの計画は完璧だった。ほとんど待ち時間はなく、皆で日の出を拝む。

 独身時代にスリランカのスリー•パーダと言う山や、アンデスのワイナピチュという山にご来光目的で登ったことがあって、そこでたくさんの人達と日の出を見て以来「ご来光登山」と呼ばれるものに特別な力を感じるようになった。

 同時刻に居合わせた世界中から集まった異なる人間が、太陽が昇る一点を見つめて同じ時間を共有するという行為はとても神秘的だ。この瞬間だけは、何人も違いがないように思える。今年も素晴らしいご来光を見られたことに感謝するばかりである。

太陽と雲海
太陽を待つ人々

 ご来光のあとは浅間神社奥宮へ移動したが、大変な数の人である。ここでお参りして御朱印を頂く。お鉢めぐりは、今年は強風ということもあって中止して下山することにした。あとから聞くと、この日は風速20mはあったそうだ。どうりで寒いわけだ。トイレ休憩を待つ間にも、体はどんどん冷えていく。そんなところに大人数で長時間滞在するのは、得策じゃない。

山頂が混むのは毎年のことで、仕方のないことだ。

 強い風に体を煽られないように注意しながら、ザレた下山道を下っていく。このあと赤岩八号館に戻り朝食を食べて、デポした荷物を整理した後新御殿場口五合目を目指して下山となる。

剣ヶ峰を望む

下山と

 朝食後午前8時を前に下山を開始する。下山はいつも通り、体力のあるペースの速い人は高橋ガイドについて先行し、のんびり下る人には僕が付いていく。昨年も思ったけど、この最後の大砂走りはいくら早く降りられると言ってもゴールが見えてからの「あと少し」か長く感じる。最後尾で同行したHさんは膝が痛んでしまって辛そうだ。

 Hさんは2年前、それこそ山の会が発足した頃から参加してくれている人の一人だ。一番最初は皆で大菩薩嶺に行った。大菩薩だったり、那須岳だったりと色んな所へ行ったが、いつも「皆と色んな所へ行けるように山を頑張りたい。」と話されていた。それから足掛け2年でついに富士山まで辿り着いたわけだが、本人は謙遜するけれど本当に努力されたと思う。これは山の会の参加者で満場一致の意見で間違いない。

 長く感じる下山口までの道のりの間に、これまでのことや、これからのことを考えていた。色んな山へもチャレンジできたら良いなとも思うが、それ以上に富士山にもまた来たいと思う。他にも、ホームマウンテンにしたい山がたくさんある。三つ峠山の三つ峠山荘も良いし、編笠山の青年小屋も良い。「ここに帰って来たい。」と思える山がいくつかあるうちのひとつが富士山。もともとは富士山に登りたいという酒場での他愛ない会話から始まった物語だったが、この3年間で色んな出会いがあって、色んな物語を見た気がする。

「日本一の山が僕たちのオリジンだ。」

そんな風に言えるのも、結構格好いいじゃないか。

剣ヶ峰にて(写真は別日に撮影したもの)

 Hさんが下山すると、先におりていた皆がアーチを作って温かく迎えてくれた。僕にもお疲れと言って同じようにしてくれようとしたが、「俺は良いんだよ。」と意固地になって断ったが、あとあと申し訳なかったなとも思った。そういうの、照れくさいんだ。

 ともあれ、これで全員登頂。全員下山となった。帰りのバスを待つ列の後ろで、「お疲れ様。」と高橋ガイドに声をかけてもらう。この人にも3年間引っ張って貰って、二人三脚、妻を含めて運営三人四脚で良い会を作ってくれていると思う。

 「酒場の仲間たちと山を歩いて酒も飲む」

そういう趣旨の会。これから何をしていこうか、夢は膨らむばかりである。

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