【Step5】春の歴史探訪ハイク(御岳山〜日の出山)
お店の皆と行く山の企画。今回は、春の御岳山。
コース概要は以下の通り。()内は通過時刻。
JR古里駅(9:00)→丹三郎尾根→中ノ棒山(11:00)→大塚山(11:15)→御岳山/武蔵御嶽神社(12:20)→日の出山(13:30)→つるつる温泉(15:10)下山
コースタイムは6時間10分。
歩いた距離は約12km。
標高差は登り1117m、下り1029m。
山行記録
春の丹三郎尾根
直前まで危ぶまれた天候もなんとかもち、今回の山行も雨にやられることなく行うことが出来た。今回はJR古里駅から歩き始め、丹三郎尾根から大塚山、御岳山、日の出山と縦走するコースだ。僕自身ランニングで何度か使ったことのあるコースだが、とにかく歩きやすくて気持ちが良い。登山口の路傍にはシャガの花が咲いているのを見つけて嬉しくなった。登山口から尾根に出るまでは、しばらく杉林の坂道をのんびりと登っていく。
丹三郎尾根ルートには、足元を見ると小さな紫の花が沢山咲いているのを見られる。高橋ガイドがそれをスミレだと教えてくれた。「スミレ」と一口に言ってもいくつも種類があるらしい。花の形や葉の形で見分けるのだけど、これは知らなければ分からない。
どうしたってパッと答えは出てこないのだが、それでも最近はグーグルレンズを活用して調べることで、比較的早く花の名前が分かるようになった。昨年から花の名前を覚えようと、その山のどこに何が咲いているのかを覚えるように意識し始めたことで少しずつ知識も蓄えられているような気もする。こういうところ、学校での勉強と変わらないなと思うが、割と嫌いじゃないんだ。
丹三郎の由来について《歴史》
丹三郎尾根の由来になったのは、小田原北条氏に仕えたとされる原島氏の歴史が元になっている。
室町時代後期、明応年中(1492〜1501)に武州忍領原島村(現埼玉県熊谷市)から移り住んだ原島丹次郎友一・丹三郎友連の兄弟とその一族がいた。兄の丹次郎は「日原」を、弟の丹三郎が「丹三郎」と「小丹波」を開拓し、次第に奥多摩各所へ勢力を拡大した。この時の原島丹三郎友連(はらしまたんさぶろうともつら)が、地名の由来だと言われている。
来住当初は現在の青梅市一帯を治めていた三田氏に属していた原島氏だったが、三田氏が小田原北条氏に滅ぼされた後に小田原北条氏に仕えるようになった。その後原島姓は脈々と現代まで受け継がれているようで、奥多摩町では原島が最も多い苗字だそうだ。
もう一つ、高橋ガイドが「昔この辺りに丹氏と言う一族がいたらしい。」と話してくれた点についても調べてみた。この話に辿り着くにはもう少し時代を遡る事になる。つまり原島一族が属していた、武蔵七党の丹党の歴史を知る必要がある。
Wikipediaからの引用によれば、武蔵七党とは平安時代後期から鎌倉時代を経て室町時代にかけて武蔵国を中心に下野、上野、相模など近隣諸国まで勢力を伸ばしていた同族的武士団の総称である。各党の名称と統治していた地域は以下の通り。
南北朝時代に成立した『武蔵七党系図』によれば、①〜⑦までが武蔵七党であるそうだ。⑧⑨についてはそれ以降の文献によって発見されたものらしく、今回は記載するに留めた。こうして見ると、どの地域名も聞いたことのある名前ばかりだ。その由来がこんなに古くに遡っているとは思いもしなかった。山行記録としてまとめるには、話が脱線してしまいすぎる…。
ともあれこの丹党と呼ばれる一族こそ、奥多摩に移り住んだ原島氏の前身であることは間違いない。昨年の秋の山行で行った埼玉県小川町と言い、冬の山行で行った三浦アルプスと言い、武蔵国から相模国にかけての一体はひとつなぎの物語だ。歩けば歩くほど歴史の点と点が繋がって、まるで謎解きをしているようで面白いじゃないか。
大塚山から御岳山、武蔵御嶽神社まで
丹三郎尾根を登り稜線に出れば、そこからは大塚山(920.6m)まで緩やかな登り、その後は御岳山までほとんどフラットな散歩道と言って良いような道が続く。
大塚山に向かって進行方向左が杉林、右には広葉樹林が広がる尾根は光の当たり方も違って面白い。この時期になるとヤマザクラとツツジが両方咲いていて、春と初夏を両方感じる辺り何だか得をしたような気分だ。
途中、御岳ビジターセンターでトイレ休憩がてら資料を拝見する。植生や生態系について詳しく展示されていて面白い。ツキノワグマの毛皮を見たり、ビジターセンターのお姉さんにムササビについて話を聞いたりとちょっと寄ったにしては充分すぎるほど、御岳について知ることが出来た。
山門をくぐり階段を登って武蔵御嶽神社へ向かう途中、鬼を見つけた。小窓からこちらを覗く鬼。延々と続く階段も、こうやって探しものがあると楽しんでいるうちに登り終えられたりする。
御嶽神社の御由緒
武蔵御嶽神社の御祭神は次のようになっている。
【櫛真智命】太占を司る神様
【大己貴命】おほなむちのみこと。大国主神と呼ばれる国造りの神様。縁結び、五穀豊穣、商売繁盛。
【少彦名命】医薬、穀物、酒造、温泉の神様
【日本武尊】奥之院に祀られる。国土安泰、五穀豊穣、武運長久、火防、災厄消除、開運招福。
【大口真神】御眷属
武蔵御嶽神社の創建は崇神天皇7年(紀元前91年)。武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)が東方十二道わ平定する折に大己貴命と少彦名命を祀ったことが起源とされる。
文書に残る最古の記録は天平8年(736年)、「僧の行基が東国鎮護を祈願して金剛蔵王権現像を安置した」と残されていて、これ以降に蔵王信仰、修験道、山岳信仰の地として知られるようになった。
ちなみに蔵王信仰というと、蔵王という言葉に山形県や宮城県の蔵王山を想起させられるが、調べてみるとどうやらルーツは東北ではなく奈良県吉野地方にあるようだ。
現在の名称となっている『武蔵御嶽神社』は昭和27年(1957年)に『御嶽神社』という名称から変更されたものだが、それ以前、明治の廃仏毀釈の前には『御嶽蔵王権現』と言う社名で知られていた。遡れば鎌倉時代には『金峯山御嶽蔵王権現』と呼ばれ当時の有力武将たちから信仰されたそうで、特に畠山重忠は鎧や鞍、太刀などを安置したそうだ。※これらは国宝として御嶽神社内で保管されている。
この『金峯山』がどこを指すかと言うと、奈良県吉野地方の金峯山を指しているらしい。更に言えば、『御岳』(みたけ、おんたけ)という言葉自体が金峯山を指す。神様がいるような貴く高い山、という意味なので、この名がつく山では修験道が栄えた。
修験道はもともと役行者(えんのぎょうじゃ)から始まったと言われるが、修験道の本尊が金剛蔵王権現なのだそうだ。役行者が感得した金剛蔵王権現をオリジンとしてそれらが全国に派生した結果、各地で『蔵王』と名のつく地名、山名が現れたというわけだ。※ちなみに、金剛蔵王権現はインドに起源を持たない日本の修験道唯一の仏とされる。
つまり、全国の蔵王のルーツは吉野にある。現在の武蔵御嶽神社は、金剛蔵王権現によって東国を守る役割を持って建てられたということだ。そのため、現在の武蔵御嶽神社は江戸を守るために東向きになっている。これも時代とともに変わったそうで、鎌倉時代には鎌倉側を守る意味で南向きであったそうだ。訪れただけでは分からなかった神社仏閣の意味も、一つ一つ紐解いていくと分かることがたくさんある。
日本武尊と『おいぬさま』の話
もう一つ、武蔵御嶽神社にまつわる話。「武蔵御嶽神社は、おいぬさまを祀っている」という話だ。
武蔵御嶽神社では、ニホンオオカミがお犬様として祀られているが、狼を守り神とする由来は日本書紀に記されている日本武尊の伝承から来ている。
以降江戸時代には大口真神は盗難除け、魔除けの神として広まり、親しみを込めて「お犬さま」と呼ばれるようになったそうだ。ニホンオオカミは今は絶滅してしまったものの、一昔前までは御岳山周辺でも狼と人は共存していたという。狼を畏怖する一方で、畑を荒らす害獣を食べてくれるありがたい存在でもあった。近年では「お犬さま」にちなんで、御岳山は愛犬の健康を願う人で賑わうようになり、多くの人が愛犬祈願に訪れている。
そういう歴史があるため、御岳山に行くとたいてい犬を散歩する人によく出くわす。犬好きとしてはそれだけで癒やし。これが御岳山へ行く楽しみの一つでもあるのだ。
日の出山〜下山
長くなってしまったが武蔵御嶽神社で参拝して休憩した後、一行は日の出山へ向かう。4月も後半だと言うのに境内に咲く枝垂れ桜は満開で美しかった。
日の出山までの道も、最後の登りを除けば歩きやすい散歩道。杉林の中を皆でのんびりと歩く。途中の宿坊や民家で飼われている猫や山羊を見て癒やされる。こういうところに、かつて歩いたカミーノ(スペイン巡礼)の記憶が蘇る。
日の出山からの眺めが好きだ。青梅方面を一望出来る一方で、振り返れば御岳山の宿坊街を望む。歩いてきた道のりを見られるのは旅の醍醐味の一つだと思う。
下山はこころなしか足早。それもそのはず、この後には皆がお待ちかねの打上げが待っている。しっかりバスの時刻に合わせて歩く。こういう時に、高橋ガイドのタイムマネジメントは超一級だ。休む時は休む。しかし、全体の時間はしっかりおさめる。それを無理のない範囲でこなしている。どこでどうやってやっているのか、周りの人には気取られないのがすごい。(たまに露骨になることもある。笑)
妻が「山笑うだね」といった。これは、春の季語なのだそうだ。春になると木々は芽吹き、山全体が徐々に明るい様子にな ることを言う。良い言葉だと思った。山笑い、僕らも笑顔のままに無事下山した。良い山のシーズンが始まった。
今回の打上げ
つるつる温泉に下山し、武蔵五日市駅に戻る。今回の打上げ場所選びは難儀した。なにせ、街の飲食店の選択肢が少ない。どちらかと言うとランチタイム特化の街のように思う。居酒屋は少ないが、個人的には良いお店に出会えたと思う。
東町交差点付近の美松さんで今回はお世話になった。突然の大人数にも対応していただいて本当に有り難い限りだ。地元の名居酒屋のようで、僕らの他にも登山帰りの風貌のお客さんが入り、あっという間に席が埋まっていった。地元のお酒、嘉正を飲みながら山談義に花が咲く。やはり山に行ったら地元の酒場だな、と早々に酔っ払う皆を見ながら思うのだった。