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ですvsます 世紀の一戦

授業を欠席したネパール人学生から、「今日はおなかが好きですから、授業を休みました」と連絡がきた。

文脈と、それから数年分の日本語教師経験でふんわり培われた勘でわかる。これは多分、「おなかがすきましたから、授業を休みました」だ。

つまり、この人にとっては「好きです」と「空きます」が混ざってしまっている。

実際この人だけでなく、いろいろな場面でこの混同が散見されているので、決して的外れではなく、起こりうるミスなのだと思う。

漢字で書けば別の字なので、正直私は留学生がこの2語を混同しているのを見かけるまで、似ている語だと認識もしていなかった。母語話者の「この言葉とこの言葉、似ているなあ」という感覚って品詞を超えないのかもしれない。

国語文法の世界では「です」は断定の助動詞と言われていて、名詞・形容詞・形容動詞に接続する。一方で「ます」も助動詞の一つで、こちらは動詞に接続する、というように日本語ネイティブは学校教育で勉強する。

外国人が外国語として日本語を学ぶときの文法体系は、この「国語文法(学校で日本人が習う日本語文法)」とはかなり様子が違っていて、「これは助動詞です」といった習い方は、おそらく国内外どの現場においても、あまりされていない。

国語文法と、日本語教育文法(外国人が外国語として日本語を学ぶときの文法体系)については一度形容詞・形容動詞について下の記事にも書いたことがある。

とにかく使えるようになるという目的があること、また抽象的な概念をやりとりできる共通語がないこと(英語などの言語を媒介にして日本語を教えていればまた少し話は別だ)から、とにかく助詞や助動詞はすでにフレーズの中に埋め込まれて登場する。

たとえば、相手を何かにさそう場面で「一緒に食事をしませんか?」のように「~ませんか?」というフレーズをまとまりの状態で覚え、使えるように練習する。

このときに、「か」は疑問の終助詞で~、とは説明されることがない。

「~しなければなりません」を、「なけれ」は「ない」の仮定形で、「ば」は条件を表す接続助詞で、「なら」は動詞「なる」の未然形で…とは習わない。
「~しなければなりません」をまとめてひとかたまりとして覚える。
しかしかたまりとして記憶することもそれはそれで難しさがある、という話で記事を書いたこともある。

そう考えると、「です」と「ます」が混ざってしまうのも無理もない気がしてくる。少し話せるようになってきたらどこかのタイミングで、「です」と「ます」の使用規則について伝えてもいいのかもしれない。

そしてここまでつらつらと考えてくると、「空腹を理由に授業を休む???」という疑問を忘れそうになりますね。
これが叙述トリックです(違います)。

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