減退するコミュニティの建て直し方とは?すべての人は、カルトにハマる素質を持っています。◆『遠くへ行きたければ、みんなで行け』(7)【ぷろおご伊予柑の大預言 番外編】



『遠くへ行きたければ、みんなで行け』読書会


2022年12月8日に行われた読書会は、『遠くへ行きたければ、みんなで行け』の訳者の方々を特別ゲストにお招きしました。
こちらはその対談を加筆編集したものです。

◆『遠くへ行きたければ、みんなで行け』編


No.1 木曜の読書会スペシャルの背景とゲスト紹介
No.2 『People Powered』のコミュニティ観について
No.3 「遠く」ってなんだろう
No.4 コミュニティは手段?それとも目的?
No.5 心地のよいコミュニティってなんだろう
No.6 コミュニティの価値に気づくには?
No.7 コミュニティに入るときに気をつけたいこととは?
No.8 コミュニティのサイズとバリエーションの相関関係




自分だけのためにできないことでも、他人を巻き込むと続けられる


高須さん:コミュニティを開く側とか催す側にみんな注目しがちなんだけど、同じくらいに大事なのは入っていく方の視点で、僕は入っていく方もよくやるんだけど、


ぷろおご:新しいコミュニティに?

高須さん:うん。あと自分のやっていることをコミュニティ化しようと思った時に、入っていく方のポイントとしては、なるだけトクする方に入っていったほうがよいですよね

トクする方っていうのは、たとえば、僕はよくインターネットに翻訳した部分を公開しながらボランティア共同翻訳みたいなのをやってるんだけど、あれは英語ができるようになりたかったんですよね。

つまり、英語の勉強とか僕は全然好きじゃないし、今の時点でも全然好きじゃないんですよ。だけど、自分のためだけにドリルを解くっていうのがモチベーション的に続かなさすぎて、翻訳したものを読んだ誰かが褒めてくれるとか、普通の仕事に比べると時給は全然安いんだけど、お金になるとか、そういうのがある方が続きやすいんですよね。

もちろん人間はどこまで頑張ればものを好きになれるかわからないし、それも幅が広い人と狭い人がいると思うんだけど、酒を飲むのを趣味にするより筋トレを趣味にした方がトク度は高いともいえるじゃないですか。それができるのかっていう話ではあるんだけれども。

だから、自分自身が、なにか自分を騙せる余力が残ってるうちはやっといた方がトクになるようなことに向かって、People Poweredした方がいいかもしれないですね。

健康問題は結構大変で、ダイエットとか筋トレとかジョギングをやらなきゃいけないんだけど、続かないわけですよ。どうやってやるとこれが続くのかは一個のテーマだったりします


ぷろおご:どうしたら自分にとってトクなものを特定できるんですかね。だいたいの人はわかってないとおもうんですよ。そこがまずスタート時点ですよね。自分がなにをしたら気持ちいいのか楽しいのかっていうのがわからないので、とりあえず資本主義だし、貨幣経済だし、お金だねってなって、カルトにハマって死んでる。

「私はなにをすればトクなのか」っていうのはむずかしいですよね。みんなが言ってるトクと私のおもうトクっていうのはぜったいにちがうわけで、


高須さん:絶対に違うね


興味は深めてもひとりだけど、広めれば人を動かすことができる


ぷろおご:さっきのたとえをそのまま使うと、筋トレするよりお酒を飲んでる方がおトクな人もいるんですよね。たとえば、ウィスキーがめちゃくちゃ好きで、っていう人もいて、そもそもなにが自分にとっておトクなのか、それを知ることが超難題ですよね


高須さん:難題ですね、その通りです


ぷろおご:僕が着手しているというか、キーワードに設定しているのが興味を見つけようねというもので、これをコミュニティのテーマにしていて、よくわからないけど興味を持つと人生がすごく豊かになっている気がする。まずはここだとおもうんですよ。

「とりあえず、なんかお金を稼いだらいい気がする」をすり替えただけなんですけど、「お金を稼ぐのはいいことだし、シンプルなんだよな」っていうのはだいたいの人間が理解していて、どうしようもないねってなってる。そこをまずズラす。

興味を見つけようっていうのは、すごくぼやっとしたテーマなんだけど、あなたは、なにに興味ありますか?それを探すという大きな目標を持って、読んだことのない本を読んだり、会ったことない人に会ってみたら、なんかいいんじゃない?ってかんじで、オンラインサロンは3年ぐらいきたんですよ。

で、見つけたら、「オレ、こんなことに興味があったぜ、感動したぜ」っていうnoteを書いて共有して、それに対して他の人が100円投げる。

うちはカルトなので、そういうやつに対して100円投げて、すごいねって言おうっていう文化があるんです。自分の興味を見つけて、感動したっていう経験をnoteでシェアすると、なんか褒められて嬉しいし、友達もできる。

「あの、noteを読んで僕もそうかもってやってみたら〜」みたいなことが起きたりして、親になった気分にもなれる。

僕らはそういうことをしながら、自然に、じわじわとコミュニティを構築していってて、やっぱり興味がすごく重要なポイントなのかなっていうのを再確認しましたね。興味がないと詩人にもなれないし、むりですよね。英語やりたいともおもえないじゃないですか


ゆーさん:みんな教祖になれるんでしょ?

ぷろおご:そうみんな教祖

ゆーさん:押しつけるときに問題になるわけで、ひとりでカルトやってるぶんには全然問題ないじゃん。興味を持つということは、自分だけ、誰につまらないと言われてもおもしろいと言えることで、それはひとりカルトだ。そこを目指してるんですね


伊予柑:今言ったやつが『People Powered』に書いてありまして、アクセスして、貢献して、自信を持って、尊厳を持って、他人へのインパクトを与えると帰属意識がうまれるよっていう

人のなかには魂という密室があり、そこはカルトで充満している


伊予柑:カルトというのがそこから足抜けできない度合いと定義した時に、ひとりで自分の興味から逃れられないという人もいるんですよね。たとえば、ゲーム、ひとり用ゲームテトリスにハマり狂ってしまい、テトリスしかできなくなる人間はいるわけで、それはひとりカルトをやめられないとも言い換えられると思いますね


ぷろおご:恋愛とかもそうですよね

伊予柑:「片思い」

ぷろおご:ひとりの作業


高須さん:めちゃくちゃイケてるエンジニアとかそういう人多いですよ。僕はPeople Poweredした感じで、何人かがついてきたからこの分野に詳しくなったんだけど、これじゃいけないレイヤーはありますよね


伊予柑:カルト度1~100のどこがいい、ってマジで正解がなくて、わりと今日の議論ではカルト度は高めの方がいいのではっていう話になってますよね。カルト度100は不幸だけど、高めの方がいいのでは?


ぷろおご:おれは人間のカルト部分だけ見てる

ゆーさん:抜けられないところ?

ぷろおご:そうそう。人間、本来は抜けられるはずなんですよ。死んだら終わりだし、生きていても気にしなきゃいい。だけど、私はどうしてもお母さんが許せなくて、みたいなのがある。

それって参加者はひとりじゃないですか。だから、むしろそこだけが、ある種その人の個性なんですよね。その人がその人である所以はすべてそこから発生してるんですよ。

何かができる。ー東大に入る学力があるとかもそうですけど、やたら言語化能力が高いとかもそうで、基本なにか、個人的な逃れられない部分があって、それと共存するために、たとえばジャングルで生活しなきゃいけないから木の名前だったり、食べられるキノコを分類できるとか、友達をめちゃくちゃつくれるとか、結果としてそういう能力が育つわけです。



ぷろおご:外圧的なものでも自分だけのものでもいいんだけど、必ずどこかにカルトの部分があって、それが今のその人を構築しているので、会うと、「ああ、この人はこういうカルトなのかな〜」ってわかるんです。きっとこれ系のカルトだな、って、ニオイがするんですよ。「たぶんこっち系だろうな、あ、いいね、はいはい。」

興味のある人が映画鑑賞をするときみたいに、たぶんこの映画はあの作品の影響で、あの系列のやつだな、と1000本、2000本見ると分類化されていっちゃうようなもの


ゆーさん:勝手にね

ぷろおご:どうしてもね



ぷろおご:それを見てるから、カルトを避けるみたいなムーブがまったくわからないんですよね。たしかに人間のカルト的な部分が凝縮して伝播すると不思議なことになるんだけど、それでいうと人間は集まらない方がいいみたいな話になってしまうし、それはそうなんだよ。

ひとりだって人間は狂ってるし、害なんだから、いっぱい集まったらそれは害だよね。でも、社会が設定したこの害はいいよ、みたいなルールは決まっていて、その害をたくさん世界に与えようみたいなかんじ。人間を増やそうっていうのもめちゃくちゃ害。経済発展させようも、ある目でみれば害。

どのカルトがカルトでなくて、どれがカルトなのか。それを決めるルールがあってルール外のカルトがダメだよねって言われている。それによって、人を殺したり、ロシアがだめになってくる。

構造的にみたら、なかの人はたまたまロシアで軍人だったタイミングで戦争が起きたから殺しましたみたいな話じゃないですか。それって命令されて嫌な仕事してる人となにも変わらないわけで、なんなんだろうなあと、そういうことを僕は普段考えてますね


ゆーさん:カルトだって看破していて、抜けられると気づいてるから苦しくないのか。でも、僕らみたいなのはカルトだってまず気づいてないし、気づいても抜けないんだ。だから、ぷろおごを見てると、カルトなんだ、しかも抜けられるんだ〜、死んだら終わりだしってなる

ぷろおご:カルトについて語りだしてから元気になってしまった



一度萎れたコミュニティを再び盛り上げたいときはどうればよいか?


伊予柑:根本的には『People Powered』への山形さんが持っていた違和感みたいな、『People Powered』のもつ善とか、前提の話が今回のほとんど主題だと思っていて、

それは、『People Powered』(「遠くへ行きたければみんなで行け」)は合理的で、ほとんどの場面において正しいんだけど、その一方で多くの人がそこまで遠くに行きたいわけではないよね。じゃあなんでこれが必要なんだっけ。という議論だと僕は理解しています。

強制力が小さくなってきた社会だからこそ、遠くに行くような大きい運動みたいなものが求められているし、寂しさを埋められるからいいよね、というふうに解釈すると、この本は意識つよつよマンのためだけのものではないように読める。そうすると、もうちょっと僕らにとって身近な本になっていくと僕はなんとなくまとめます。

ほかに発言したい人はいますか。


(柊さんが挙手)

伊予柑:はい、柊さん

柊さん:僕はこの本をなんで読んでるかというと、いま所属している学部で活動するにあたって、参考になる部分が多くあると思ったからです。

もともと、僕がいま所属している学部には、元学長の「俺は遠くに来たぜ。」というところから「お前ら若いやつも遠くに行こう、そのために優秀な教員を集めるわ」というのがあって、文理関係なく面白いことをやりたいだったり、遠くに行きたい人たちが集まっていて、学生はそういうのに魅せられて所属しているという背景があります。

僕の代が学部1期生で、設立1年目は勢いがあって色々やったんですけど、うまくいかなくて、みんなの勢いが削がれちゃったんですよね。お互いのこともあまり知らないし、それぞれが別の場所で好きなことをやっていて、結果的に学部としてのまとまりがなくなっているのが現状です。

そこで、いまの状態はなんかもったいなくない?だっておれたちみんな、遠くに行きたくて集まったんだから、と学部をまとめるようなコミュニティを作ろうとしているというのが前提にあって

そういう状況に陥った時にまずやるべきことは、あんまり難しいことを考えずに、やる気あるやつらだけで集まって、とりあえず実績を作って突っ走っていく方がいいのか、一旦コミュニティ設計を見直した方がいいのかどっちがいいのかな、と読みながら考えてましたそれを高須さんに聞いてみたいです


熱のある人が集まっているのであれば、まずは水をささないこと


高須さん:僕個人の話でいうと、意識してるのは、人にドヤるためにやるのではなく、なるだけ自分が面白がれることをやろうっていう部分がある。

それは僕が歳をとったからだと思っていて、今はドヤ顔したい欲は低いけど、若い頃は高かった。といっても、ドヤ顔したい系は、もっとすごい人がいくらでもいるから僕はあんまり楽しめなかったんですよね。

でも、僕が面白がることのほとんどをあんまり他の人は面白がらないから、結構簡単にその分野では一番になれたりするんです。たとえば世界中の発明大会に120回行ったという話をしたと思うんだけど、僕の次によく行っている2番や3番の人は、僕の参加回数の半分より下のはずなんですよ。

それは僕がとてもすごかったわけではなくて、やろうとしてる人がとても少ないことをやったからなんだけど、僕はドヤるためにたくさん行ったわけじゃなくて、行くのが楽しいからたくさん行ったんです

で、中国のオープンソースの文章の日本語への翻訳も最近やっていて、それも大学の先生に呼ばれるぐらいにはなった。それはなぜかというと、その分野をやってるのは、日本中で僕ぐらいなんですよ。

だから、本の出版ができるようなことにならなくて、お金にはならないんだけど、中国のITについて知りたい人たち、イケてる人が僕の文章を読んでくれたりするわけですよ。

Googleになろうという目標を立てる人はすごく多いんだけど-日本からGAFAを出そうみたいな-まあ、難易度は高いので。シリコンバレーでやっても成功しないことを、なんで日本でやって成功するんだみたいな話であって。

『People Powered』にもちょっとだけ書いてあるけど、ゴールを見ていて毎日がつまんないになっちゃうと結構ツラい。なので、武道館ライブが目標で行けなかったら全部失敗!みたいなのよりは、とにかくギター引いてキャーキャー言われたら満足みたいな方向、もっというとサッカーとか受験勉強とかも一緒で、ゴールだけを見て、そのために毎日つまらないことをやるっていうのだと、そもそも腕も上がらなかったりするんですよ。


高須さん:それよりは何か作れる人、作れなくてもいいんだけど、熱がある人が集まっているのであれば、これをやっていれば今よりはいいことができるみたいな方向をゴールにして、頑張って勢いをつくっていった方がいい気はします

「People Powered」って日本語にそのまま訳したら、まさに「勢い」みたいことで「信者」みたいな言い方でもいいんだけど、People Poweredというのは勢いがついた人のことなんですよね


ぷろおご:わかる。迫力あるよね

高須さん:勢いがつく状態を大事にした方がいい。勝ったら勢いがつくけど、負けたら勢いがなくなるから


伊予柑:そうですね。今の柊さんの悩みはちょっと勢いがなくなってきたんだけど、でしたね。

柊さん:すぐ折れてしまわないように勢いのつけるには、どうしたらいいかっていうところですよね


ゴールを見失うと、辿りつけなくなってしまう。頼りになる方位磁針は「楽しめているか」


高須さん:やってるだけで楽しいみたいなのを、なるだけゴールにした方が良くて、その方が強さも上がると思います。「試合に勝つ」がゴールでサッカー部を作るとブラック化して、かえって強くなくなったりするんですよ。それよりはボールが友達って言ってる方が多分強いんですよ。親から止められてもサッカーをやりたいっていうような人間の方が教官に殴られるからやる人より強いはずなんです


柊さん:それはちょっと感じますね


高須さん:もちろん高いところ目指して意識が高くなることは大事だし、難しいことをするのは悪くないんだけど、負けるとテンションが下がるみたいなことを学生がやるのはあんまり良くない気がします。スキルがない人ほど何をやっても負けるから。

そういう人はやってるだけで楽しいことをやった方がよくて、どうしても勝たないとテンションが上がらないんだったら、なるだけマイナーな競技を選んだ方がいいと思います


柊さん:コミュニティを設立して、場所だけは一応作ってあって、その方針として、<自分が今引っ掛かっているようなこと、小さな悩み事を見つけて解決していくようなコミュニティであればいいよね>っていうのを浸透させていきたいなと思ってます。

それは今、高須さんが言ってくれた、「やっているだけで楽しい」というのとつながるなあと感じていて、方向性は間違っていないんだなあとちょっと安心できました。ありがとうございます。


高須さん:なんであれ、やってる人たちがアガれる状態ができるといいですね。勝つのをゴールにすると大抵の人間は負けるから、そっちに行かない方がいい気がします


ぷろおご:むずかしいなあとおもうのが、勝って気持ちよくなってる人が目立つじゃないですか。

とくに学生は情報へのアクセスが弱いからみんなそれしか知らないし、勝つ以外に気持ちのいいことがないとおもって、ワールドカップとか見てるから、負けたら殺されるわけですよね。

社会的に抹消されるし、勝ったら手のひら返されて、それはYouTuberとかもそうですけど、不祥事があればボコボコに叩かれて、負けたらおしまいですよね

次回最終回


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