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人に奢られることを生業とし、4000人以上に奢られ、Twitter・TikTokでは、それぞれ100,000人以上のフォロワーを持つ、稀代の浮浪者(?)である「プロ奢ラレヤー」の「生の声が聞ける唯一の有料マガジン」をご紹介します。 購読者の特典 ▼契約月に更新された マガジン記事すべて読み放題 ▼読書サークルへの参加権。 現在、主に4つの連載があります。 (更新頻度は気分ですので、 毎月必ず連載があるわけではありません。) 1.「奢ログ プロ奢ラ
「完璧にやらないと気が済まない!」「だから、完璧にできそうにないことは始めたくない」という思想に絡めとられているひとびとはよくいる。じぶんもそのうちの一人だった。 けれど、「たった3つの手順」をきちんとこなすようにしてから、その思想からは卒業できた。完璧主義を卒業する方法について。そもそも、あなたはホントに完璧主義者なのだろうか? ほとんどの「完璧主義者」というのは、じつは「すべてを完璧にやりたいひと」なのではなく、ただ「そのタスクのほんとうに重要な部分を理解していない
陽気なひとが好きだ。いや、というより、陽気なひとを好まないひとはいない。陽気さとは、まさに最も汎用性の高い武器であり、だれしもが「そうなりたい」と思っている。 しかし、そもそも陽気さとは、なんだろう? どうしたら、ひとは陽気になれるのだろう? 陽気さと「無能さ」について。
あんまり人助けをしない方がいいな、と思う。 というより、これは人助けだ、という認識が先にやってくるのなら、それは一旦保留したほうがよさそうだ、と思う。 人助けと、じぶんの暮らしとのバランスについて。
この世界は「話し手」で溢れている。みんな自分の話がしたい。だから、あらゆる情報が向こうからやってくる。話される。聞かされる。しかし、そこに「聞き手」はほとんどいない。多くの場合に、それは「聞かされている」だけなんだ。 もしもあなたが「良い聞き手」になることさえできたら…。そのときはまさに「引く手数多」の貴重な存在となるだろう。まさに今!聞き手のコスパが最高になりつつある。 「良い聞き手」は、どのような場所においても軽んじられない。 もしもあなたが良い聞き手になれたら。も
いま抱えている問題への向き合い方、というものには、やはり「その人らしさ」が大きく反映されがちだ。 ただただじーっと考えこむ人もいれば、なにくそがッとなってローラー作戦でどうにかする人もいるだろう。 こうした問題解決、あるいは「コミュ力の低さ」まで、じつは解決する方法がいくつかある。 今日はその中でも「移動する」ということがもらたす効力について語ってみようかと思う。これはちょうど、7年前のはなしだ。…えっ?7年? あるいは、おれが奢られて暮らせるようになったキッカケにつ
おかげさまでどんどんマガジン読者が増えている!ということで、ひさびさにマガジン限定の記事でも書きます。さいきんの活動をベースにして、おれが実践しているコスパ重視の活動術なんかをお送りしたいと思うところです。 今日は「じぶんの商品価値を下げない、使い回し」について。 まず、その代表作がコレ。
ひとびとを観察していると「生きるのがうまいなぁ」と感じるひとほど、うまく物事を「継続」してやっている。時間を味方につけたひとは強くて、このあともきっとうまく生きていくんだろうなぁ、とすら感じさせる。ここまで続けてきた、という能力は、ここから何かを始めたときには「これから続けていく能力」に化ける。つまり、継続はすべてをうまくいかせる魔法の粉なのだ。 今日は、そんな継続のコツについて。そのヒントは案外「マイナス思考」とかにあったような気がする。
「なにか役に立つことができていないと、不安になる」というひとは多い。とりあえず資格の勉強をしたり、お金を稼いだり、なんかそれっぽいことに片っ端から手を出す。充実していそうなスケジュールで毎日を埋めて、忙殺されようとする。 でも、「生産性」に逃げ続けてはダメなんだと思う。
多くのひとをみていると、なんだか「借りをつくる」ということを必要以上に避けているひとをよく見かける。ひとりの力でできることはなるべくひとりでやるべきだし、ひとに頼ったり借りをつくることは危険なことだ!という勢いも感じる。しかし、ほんとうにそうだろうか? きょうは、 じつは「借りをつくる」のって、コスパいいんじゃねえか? というお話しをしていこう。
流行り廃りっていうのは常で、高速で流行ったものほど高速で飽きられる。鬼滅の刃!…っていつぶりに聞いた?一応、アニメ続編まだ終わってないらしいよ。 さて、ものごとはオワコン化する。これが他人事のうちは「諸行無常〜!ちゃんちゃん」って感じのテンションでいられるのだが、そこに自分も関わってくるという現実を目の当たりにすると、突然必死こいた感じになっちゃうわね。あ〜、大蛇丸のモノマネしながら料理つくってた人とか元気かな〜。 そんなわけで、きょうは「どうやってオワコン化せずに、8年
インターネットが得意すぎるせいで、ときたまに「どうして、そんなことするの?」と素朴な疑問をぶつけられることがあって、その中でいちばん多いのが「特定の属性のひとに酷いことを言う(じっさいは言ってないけど、言っているように見せる)」という部分だ。 なぜ、あえてインターネットのひとに冷たく接するのか?
なにかしら「人生ラクして生きていこう!」と思ったときは、じつは「今すでにラクに思えること」をやっても仕方ない。それよりも「これからラクにできそうなこと」をやるべきだ。ラクに生きるための立ちまわりについて。
なぜツイッターのコミュ障たちに「挨拶しろ!」「呑み会しろ!」と言い回っているかというと、それが最も効果的な行動のうちで「回数」で計ることができる「客観性のあるもの」だからだ。 なぜ、挨拶と呑み会がオススメなのか?