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書籍【生命知能と人工知能~AI時代の脳の使い方・育て方】読了

https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/B09P88FBLQ

◎タイトル:生命知能と人工知能~AI時代の脳の使い方・育て方
◎著者:高橋宏知
◎出版社:講談社


人工知能の進化が凄まじいことになっている。この先の未来を生き抜くために、我々は何を学べばよいのか。
人間はAIの進化に対して抗うことはできないだろう。
それでは、どうすれば共存して、活用する側に回ることができるのか。
一つのヒントは、人間とAIの違いを改めて認識することだ。
AIがどういう構造で、どういう仕組みで動いているのか。
それでは人間の脳はどういう構造で、どういう仕組みで物事を考えたり、見たりしているのか。
そういう違いを理解することで、「人間の生きる道」が見えてくるのかもしれない。
本書では「熱力学第二法則」(エントロピー増大の法則)について触れているが、人類含めた生命の進化は、本当に不思議だと感じてしまう。
我々の日常生活を見てみても、秩序の取れた状態から無秩序に変化していくのは当たり前のことで、逆の状態を見ることはない。
固まった氷であれば、溶けて水になる訳だし。
コーヒーにミルクを垂らせば、いずれ混ざってカフェオレになる。
時間が逆流するかのように、カフェオレからコーヒーとミルクに都合よく分離してくれることはあり得ない。
(水は冷やせば氷になるが、それは「冷やす」というエネルギーを別途与えていることになる)
生物の進化は、一体これに反しているのか。
それとも、これもエントロピー増大の法則に則っているのか。
実際のところは分からないが、とにかく生物は今まで進化を続けてきて、これからも進化をし続ける。
小さな小さな単細胞の生物から、悠久の時を超えて、こんなに複雑な人間の脳を作り上げたのだから、本当にすごいことだ。
これは一体どういうことなのだろうかと考えてしまう。
だからこそ人間は神の存在を感じた訳であるが、意志や意識というものが、何か別の次元で世界に影響を与えているような気がするのだ。
実は、これこそがAIと生物の違いなのではないだろうか。
自己成長段階に入ったAIに、果たして意志はあるのか?
AIに意識は芽生えるのだろうか?
そもそも「意識」とは何なのだろうか?
当然ながら人間の意識は、いまだ解明されていない。
数々の脳科学者がこの難問に取り組んでいる。
寧ろAI科学者の方が、人間の意識について研究をしているとも言えるかもしれない。
肉体を持つ人間は、脳の処理もAIと違って、ものすごく複雑だ。
脳には機能ごとの地図があって、手の動きなどを司る部分、口や喋るための領域の部分が分かれているらしい。
そして、例えばピアニストなどは、手の動きを司る脳の領域が、普通の人と比較して広範囲に成長しているらしい。
これは個の人間が生まれてから獲得した特性であるから、遺伝で継承されているものではない。
(多少は遺伝の影響もあるのかもしれないが)
つまり鍛えれば、その範囲の脳が刺激を受けて、活動野が広がるのだそうだ。
逆に鍛えなければ、脳は衰退していってしまう。
運動不足で筋力が落ちるのと同じで、無数の脳細胞がつながって、信号を出し合っていなければ、その範囲は段々と縮小するそうなのだ。
つまり頭を使わなければ、脳の動きは鈍っていく。
人間には普通にできて、ロボットには苦手なものの代表的なものは、指先を使うことだ。
人間のような指を、ロボットが獲得するのはまだまだ時間がかかりそうだ。
会話については、AIでもだいぶできるようになってきた(大規模言語モデルのおかげか)が、果たして人間と話すように会話できるだろうか。
コールセンターのようなQ&Aであれば対応ができても、落ち込んだ人を励ましたり、明るい気持ちにさせたりすることができるのだろうか。
人に寄り添って心地よい気分にさせることは、会話だけで成立する話ではない。
そんな時にAIはどうやって対応していくのだろうか。
こう考えても、まだまだ人間にしかできないことはある。
だからこそ相当に意識して、AIではなく、人間にしか出来ないことを探さなくてはいけない。
人工知能は益々進化して、データを分析しながら、アルゴリズムによってあたかも意思があるかのように全てを決定していくのだろう。
しかし人間には、アルゴリズムでは決して到達できない部分を持っているはずなのだ。
本書内で事例として紹介していた部分が、個人的にはこの問に対して、すごく重要なヒントになっていると感じた。
例えば盲目の人がいたとして、交差点を歩くとする。
AIはアルゴリズムを駆使して、この盲目の人をナビゲートできるかもしれない。
合成音声で「正面に1人、右斜め前に1人います。左に一歩ずれて歩いてください」と指示するとする。
しかし実際は、交差点の人ゴミの中でこんな指示をされた方が混乱する。
そもそも盲目の人はナビがなくても、実は交差点をぶつからずに歩くことができる。
(そんな光景を私は何度も遭遇している)
何なら盲導犬を連れて歩けば、AIアルゴリズムよりも優秀にナビしてくれるだろう。
本当に小さなことであるが、こういう人間や犬の「感覚」というのは、実は相当にすごいものなのかもしれない。
意識・感覚・直観・雰囲気・気配。
これらをAIが獲得するのは、今後どれだけかかるのだろうか。
そう考えると、生命知能はすごい。
AIに抗わずに、共存していくために。
結局、自らの脳を鍛えていけということなのだ。
(2024/3/18月)


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