【目印を見つけるノート】1620. 小泉次太夫なのですけれど……。
フランシーヌ(ハリケーン)、どうか弱くなってくれますように🙏
今日はふたつめの短編がまだ完成していないので(ひとつめとみっつめは一応できた)、リフレッシュ?でちょこっと歩いてきました。スペシャル・ゲストウォーカーとしてLouさんも参加です。
相変わらず炎天下なので、短めです。
呑川(のみかわ)という川を細切れで歩くのですが、今日はまた下流に向かうことにして蒲田駅の方に向かいます。ただ、川にまっすぐ出るわけではありません。
途中で、昔の水路の跡をちょこちょこ確かめます。
この辺りには六郷用水という長い水路が引かれていました。
引いたのは駿河出身の人、小泉次太夫吉次(1539~1623)です。水路の工事としては玉川上水より前になります。土木の腕を家康に買われて任命された次太夫は、六郷用水(大田区側)だけでなく、二ケ領用水(川崎側)も築きました。これらは城南地域の農業用水を確保するために築かれたのです。六郷用水は慶長11年(1606)に完成しましたが、取水地点は遠い。現在の狛江市元和泉の多摩川から引いてきました。
この前、野川歩きで近くを通ったなあ🤔
水は世田谷から大田区全域を通り、地域の重要な用水となりました。
この話は歴史小説にできるぐらい壮大なので、また別にしようと思いますが、水路は呑川ほか近隣の河川とも取水・放流のやり取りがあったと考えられます。なぜなら、水路跡は呑川に向かって真っ直ぐ通されていたからです。
六郷用水の流路は緑道になっていて、案内板で次太夫の紹介をしているところもあります。呑川と並走しているところも。そこから田圃などに水を引く水路は多数、縦横無尽に走っていたようです。
地元の人とちょこっと話したら、45年前にはまだ水路があったそうです。昭和の後半にも残っていたんだ👀‼️と目から鱗でした。貴重な情報✍️
ただ残念なことに、その方は六郷用水を引いたのが、玉川兄弟と思っていらっしゃるようで、「玉川兄弟は偉い!郷土の誇りだ」と……。
コイズミ・ジダユウ・ヨシツグです!
と主張するのも世間話の範疇を越えるなあ😑と思って、うん、うんと頷いてお礼を言いました。
玉川兄弟の出身地ってどこだっけ🤔
次太夫さん、書いた方がいいですかねぇ。
さて、水路の検分をいくらかして、蒲田に向かいました。
JR東海道線と京浜東北線と……の線路の辺り。ずいぶん川幅が広くなった。水は緑色だけれど、ちょっと感動。ガード下では、カワウが休憩していました。
きのうも書きましたが、鳥もこの猛暑がかなり堪えています。日陰で休んでいて、水に入っていない。もっとびっくりしたのは、行きに公園で見た2羽のハシブトガラスが、帰りも同じ木陰で休んでいたことです。1時間は経っているのに。
妙に前髪の長いハシブトガラスを見て、「キミもたいへんだね」とつぶやいたのでした。
高架を越えると柵も高くなって、きのう上流で見たような小さな川ではなく、船も通れるような大きめの川になっていました。多摩川に比べたらまだ小さいですけれど。
今日は京浜急行の京急蒲田駅を目安に歩きました。大した距離ではないですが、変化は多かった。ここから工事中の箇所が増えてくるのでした。
今日はLouさんの様子を見ながら、夫婦橋まで進んで戻りました。川も川沿いの公園も工事中です。
ここから河口まで2.5km、今度は一気に歩こうかと思います。
うーん、もう少し涼しくなったらにしようかな。日灼けヒリヒリ😵
さて、今日の曲です。
Led Zeppelin『Travelling Riverside Blues』
えーと、前にいちど引っ張ってきましたね。
ツェッペリンさんがRobert Johnsonさんのところから持ってきた曲です。
Robert Johnson『Travelling Riverside Blues』
同じ曲とは一瞬思えませんが、これが彼らのリスペクトなのでしょう。
あまり澄んでいない河口、ナマズがいたりするのかなとイメージし、ミシシッピ川のことなのかなと思ったりしますが、
どうか無事でありますように。
それでは、お読み下さってありがとうございます。
尾方佐羽
#エッセイ
#ブログ
#日記
#9月
#短編
#創作
#川べり歩き
#蒲田
#川
#カワウ
#川の終点
#緑道
#下流へ
#呑川
#音楽
#LedZeppelin
#RobertJohnson
#TravellingRiversideBlues
#毎日note
#noteの書き方
#弱めでお願いします
#夕暮れ野川は武蔵野の果て
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?