【目印を見つけるノート】316. お散歩の中で感じる「自由」
今日はあたたかい日中でした。
出さなければいけない書類を一通投函して、お散歩しました。
花を二種類。
しだれの白梅ですね。まだつぼみがいっぱい😊
そして、圧巻の……。
河津桜がほぼ満開です。
圧巻なので何葉か。
全然密ではありませんでしたが、近隣の方がお散歩されていました。お子さん連れから年配のかたまで。
そうですよね。
春のきざしを、お日さまを浴びて感じたいと思いますよね。
そのようなことを思いながら、ゆっくり空を眺めていました。
みんな、いろいろな経験をしてきたり、
これからいろいろな経験をするのだろうなと思いました。
私は周りにたまたま居合わせた方をよくふっと見ます。あんまり見ると怪しまれるか、誤解されるのであくまでも、「ふっと」です。
違うなあって。
私と。
そうなんだよなあ、違うよねって。
そして、居合わせたんだなあって。
そもそも、このようなことを書いているのも、
「ね、ね、そう思うでしょう?」
とか、
「私の言うことは正しいでしょ。やってみなさい」
とか、
そういうことでは全然ないのです。
なので、いろいろな人のいろいろな生活があるなと肌身で感じることがあると、嬉しいのです。
とりわけ、こんなにあたたかくてお日さまのまぶしい日には。
お釈迦様は言いました。
自身の命がもうすぐ終わろうとする頃です。それをお分かりだったでしょう。
「アーナンダよ、ベーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴータマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。タフブッダ霊樹の地は楽しい。サーランダ霊樹の地は楽しい。チャーパーラ霊樹の地は楽しい」
http://buddha-osie.com/last_trip/trip07.html
より引用。「。」を足しています。
ひっくるめて「全部楽しい」でもよかったと思うのです。
でもひとつひとつなのは、
土地だけでなく、そこで会った人々のことも踏まえておっしゃっておられると思います。想像ですけれど。
そうですね。いろいろです。
それを受容されている。
だから、「楽しい」と表現されたように思います。
⚫自由な感じではない
そのように一人の観察者として、ほかの人をふっと眺めることや、何気なく話すことは好きです。もともとは引っ込み思案で扉をパタンと閉めがちでしたが、働くようになって以降鍛えられたのかもしれません😅
そのように見て聞いていると、感想ですが、万人にあまねく適用できるような処世訓とか定言とか正解はないなあって思うのです。みんな区々です。
個人的にも、逆さにしてひっくり返せばいろいろな方のことばが出てきますが、それは常に「いろいろな方のことば」であってすべての方に同じように当てはまるわけではありません。もちろん、自分にもいえることです。
それも「違い」の例として受け取っています。
丸ごと人類共通の格言のように扱ってしまうと、何かこうどうにも、バツの悪い感じがします。
何か、自由な感じではないのです。
散歩の帰りにコンビニで格言集が並んでいるのを見て、そのようなことを考えました。
もう一度オルテガ・イ・ガゼーの本を読んでみようかな。あれ、実家に所蔵でした😢それではドゥルーズを探してみましょうか。
すべてが学びです✨
さて、今日の1曲は、こちらです。
RC SUCCESSION『自由』
今は「自由」とか「不自由」という言葉をあまり聞かなくなりました。
この歌が流れていたときは、明らかに「自由」でないことがらが、いろいろよく見えました。世界もそうです。具体的には……1980年代の『現代用語の基礎知識』などを見ていただいた方が早いかもしれません。あの分厚い事典は、去年から薄くなったのですね。
今はそのようなこと、きれいさっぱりとなくなったのでしょうか。
うーん🤔そうではないと思います。
哲学者のマルクス・ガブリエルさんも現代における自由についてよく言及されています。
なぜか、子どものテストも一緒に写してしまいました。
私たちは本当に自由なのでしょうか。
自由はバツの悪いことばになってしまったのでしょうか。
一部、真似をして問いを自分に発します。
お散歩はガブリエルさんで締めました😅
それではまた、ごひいきに。
尾方佐羽
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