【目印を見つけるノート】630. きよらかに、しずかに、うけいれる。それと……。
いい天気でした。
仲良しのサトちゃんを激写😆♥️
バラのドライフラワーが間に合えば、クリスマス用のブーケを作ろうかとも思いましたが、ちょっとまだ早そう。今年最後の鞆の浦(バラの種類)の花もドライフラワーにしようとぶら下げているのですが、お正月になりそうです。
ニコルの花が咲くのもお正月になるかもしれません。年越しのバラですね。
先日よりチクチク縫っている、バラのちびリースに加えて、
バラのボールも作っています。
トピアリーにしたいところですが木の幹をどうするか思案中です。ワイヤーに糸を巻くぐらいしか思い浮かばないなあ🤔
どうしたことか、私はバラ三昧になっています。この前も横浜でバラを撮りまくっていましたね。
バラは聖母マリアの花でもあります。
バラの気持ちになっているのは、そのイメージがあるのかもしれません。
清浄、静謐、受容、愛というイメージです。
宗教というのはたくさんありますが、このような部分は通ずるものがあると私は思っています。
今日もいつものルートを回ってきました。73日目です。あと数日で「あがる」つもりですが少し間を開け、初詣時期も控えて1月8日で結願にします。
今日は面白いことがありました。
お寺の本堂(本堂とは呼ばれていませんが)をお参りしているとき、若いお坊さまと信徒の方が脇でお話をされていました。信徒の方は何度かお目にかかっていますがたいへん熱心です。そして、ふっと飛び込んで来た言葉に釘付けになりました。
「新幹線で福山ですか」
「そうです」
若いお坊さまのご出身が福山なようです。おかげさまで気もそぞろ、お題目もふにゃふにゃです。
お参りしたあと、便乗して一言ふたことお話してきました。奇遇ですね。
もう、お参りするときに個人的な願掛けなどはしていないのです。
何日もお参りして毎日まいにち同じお願いをするのは、健康や大事な人のためなら分かりますが、個人的な運などについてだと逆に執着心になってしまうような気がします。
手を合わせるのは、やはり神仏の前で自分を洗い清めるためではないのかなと。
それは、お寺でも神社でも教会でも大きくは違わないと思います。
今日は、
「東京の端にあるお寺でたまたま聞こえた会話ですが、驚くほど符号が合っています。力づけられました。ありがとうございます」と心でつぶやき頭を下げました。
そうですね、なぜこれを始めたのかよく分かりませんが、修養のときだったのかもしれません。
うーん、それより前からずっとずっと修養な気がします。
ずいぶん長いのね😊
今日はご多分に漏れず、クリスマスソングを。
Alison Moyet『The Coventry Carol』
キース・ヘリングのイラストジャケットのこのアルバムが好きです。ここからスタンダードになった曲は他にいくつもありますが、私はこの曲がいいなと思いました。
清浄、静謐、受容、愛という感じがします。
きよらかに、しずかに、うけいれる、愛。
それは、祈りというものと同義かもしれません。
世界中の皆さま、よいクリスマスを。
尾方佐羽