【目印を見つけるノート】1231. 「見せたかった」と水辺で思う
きょうもお出かけです。
行きたいなと思っていたところとは97マイル離れているのですけれど、移動しています。
なにしおはば
いざこととはむ みやこどり
わがおもふひとは
ありやなしやと
在原業平
みやこどり(ゆりかもめ)、飛んでいたなあ。
しもつけの あそのかはらよ
いしふまず そらゆとこぬよ
ながこころのれ
(万葉集・東歌)
作るのも自己流でいたしますが、やはり人さまの歌で想像したり仮託するのが、自分にはしっくり来ます。移動しながら詠んでいると、なおさら旅をしている気分になれます。まあ、辺りの景色は観光地のそれなのですが、いくらかは想像に入れます。ナリヒラさんはどうだったのかなとか、東国まで来て彼女の気持ちを聞けたのかなとか、そのようなことです。
あ、今日は俳句の日だった😜
短歌の日ってあるのかしら。
あ、5月7日❗
失礼しました。
万葉集や百人一首を見ていると懸想する歌がたいへん多いですね。
もちろん、すぐ会える近い相手に詠むことも多いのですが、ずいぶん遠くの人に宛てていることもあります。会えない想いを今いる場所に投影したりするのですね。まあ、ストレートだったり掛け言葉で技巧を凝らしたりもして人それぞれです。ただいずれも、とても心に訴える力が強いように思えます。
例えば、
今ならば写真を撮ってメッセージを瞬時に送ることができますが、誰もがリアルタイムでできるようになったのはせいぜい、ここ30年ぐらいではないでしょうか。
それまでは、「相手は今頃離れたところで何をしているのかな。会いたいな」と思いつつ、慣れない土地を歩いたりしていたのです。そこには相手を想像する「不在の空白」とでもいうものがありました。そして、自分が見ている景色と相手への想いを重ねていくのです。
今は、想像する前に相手の動向が分かってしまいます。ちょっと怖いですが、どこにいても追跡可能なのですね。そうなると「不在の空白」は減っていきます。上手くは言えませんが、短歌の作者を想像するとか、仮託するとか、そのような「あそび」をするのは当世風ではないのかもしれません。
あそびをせんとや うまれけむ
(『梁塵秘抄』)
この有名な言葉もいろいろな解釈ができるのでしょうが、噛んでよく味の出る言葉です。あそびというのは『隙間、余分な部分』という意味もあります。生まれてから終わるまでは、うたかたの『あそび』だと詠んでいるように私には思えます。
そうだ、今日は川辺で鶴のペアが羽ばたくのを見ました。
生まれて初めてかもしれません。
撮れないんですよね、ははは。
少し検索しましたが、
ツル、特にタンチョウは渡り鳥で冬にしか日本では見られないとのこと、しかも、留鳥としては北海道東部にしか生息しないとのこと。
ちょっと軽く打ちのめされました。
ダイサギと間違えやすいということですが、ダイサギはたまにうちの近くの川でも見ます。飛び立ったときは私もダイサギか白鳥かなと思いました。でも首が黒くて頭が赤かったのです。
などと躍起になって主張しても明確なエビデンス(例えば写真)はありません。一人でしたしね、とほほ……ありがち。
ということで、まぼろしか間違いだったのだろうという結論になりそうですが、そこまで稀有な鳥のまぼろしを見られたなら、よかったと思うことにしました。
あまりメジャーではないですが、
とびきりきれいな水辺です。
あなたに見せたかったな😔💦
私はどこにいるでしょうか。
Rosemary Standley & Dom La Nena『Bird On The Wire』
レナード・コーエンさんの曲のカヴァーですが、いいお声ですね。
電線の鳥のように、
深夜の聖歌隊で酔っぱらうように、
自分のやり方で自由になろうとしてきたんだ
という歌詞が最高です。
いつかは、日本のどこでも
タンチョウが飛んできてくれたらいいですね。
それでは、お読み下さってありがとうございます。
尾方佐羽
追伸 明日もがんばろう✨
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