【目印を見つけるノート】937. ディラン・トマスさんのお誕生日なので
今日は10月27日です。
私がこの日、まず思い出す人を書きます。
詩人のディラン・トマスです(Dylan Thomas 敬称略、以下同じ)。
10月27日がお誕生日なのです。
ありがちな説明をすると、ボブ・ディラン(Bob Dylan)はこの詩人の名前を取って苗字にしたのです。ボブ・ディランが好きな人なら高確率でご存じかもしれません。
それならばアメリカ人? と思いきや、ウェールズ・スウォンジーの出身です。ウェールズはイギリスのある島の西側にあります。彼はウェールズの生家で詩や小説、戯曲を書いていましたが、ロンドンで紹介されると一気に有名になりました。
ただ、彼は長くは生きませんでした。
1914年に生まれて、1953年に亡くなります(享年39)。亡くなったのは、プロモーションで逗留中のニューヨークでした。前にも紹介したチェルシー・ホテル(Chelsea Hotel)に滞在していて、ホワイト・ホース・タヴァーン(White Horse Tavern)という有名な飲み屋さんで酩酊して倒れ、病院に担ぎ込まれましたが、そのまま還らぬ人となりました。
英語なのですが、もっと格調高い紹介を。
今の感覚でいうと長めの詩が多い方ですので、ひとつだけ引用します。ひとつだけでもう。
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ファーン・ヒル(Fern Hill)
あの ぼくが 軽やかに歌う家のまわり 林檎の木のしたで
若くてのんびり、草が緑だったように楽しかったころ、
谷間の夜空に星は輝き、時は
元気溢れる眼のなかに
ぼくを金色に輝かせながら 大声をあげ登らせてくれた、
そして荷馬車の間であがめられ ぼくは林檎の町の王子だった、
ものごころつかぬむかしのこと 偉そうに
木々の葉っぱを雛菊や大麦といっしょに
引き連れて、風落ちの光の川をくだっていった。
また ぼくが、おさなく くったくなく、楽しい庭のまわりの
納屋のあいだで名を売って、農場をわが家と思い歌っていたころ、
ただ一度だけ若い太陽の光を浴びて、
時はそのもてるものを恵み
ぼくを遊ばせ 金色に輝かせてくれた。
そして緑と金色に彩られ 僕は狩人で牧人だった、
子牛は角笛にあわせて歌い 丘の狐は澄んだ冷たい声で啼いた、
すると安息日の鐘はゆっくりと
聖い流れの小石の中に鳴り響いた。
太陽の照っているかぎり、日は駆けめぐり、日は楽しかった、
家ほど高い乾草畑、煙突から流れる調べ、日は軽やかな風であり、
遊び戯れ、愉しくさらさら水のよう、
草のように緑の火であった。
そして星ばかりの夜な夜なは
ぼくが眠りに入っていくと 梟は農場を遠くへ運んでいった。
月の照っているかぎり、ぼくは、馬小屋の中で祝福され、
聞いていた、夜鷹が乾草の山とともに飛びまわり、
馬が闇の中へ身を閃かせて駆け込む音を。
やがて目覚めると、農場は露に白く濡れた放浪者のように、
肩に雄鶏をとまらせて、帰ってくる。それはすっかり輝いて、
アダムと乙女そのものだった。
空は再びかたまって
その日 太陽はぐんぐん丸くなった。
だからそれは、最初の回転の土地にあの一条の光が生まれた
そのあとだったに違いないのだ、魔法にかかった馬は
漸く緑の馬小屋から賛美の野原に
おだやかに歩いてきて。
そして新しくできたばかりの雲のした 陽気な家のそばで
狐や雉たちにあがめられ、心のどかに幸せで、
いくたびも生まれ変わる太陽のもとで、
ぼくはむこうみずに駆け回った、
ぼくの願いは家の高さもある乾草のなかを走り抜け、
紺青の日々の営みに、ぼくはちっとも気にとめなかった、
時がその順調なめぐりのなかにこうも珍しい朝の歌を許していても
やがて緑と金色の子供たちは恩寵を離れ
時のあとについていくということに、
また子羊のような純白の日々、ぼくはちっとも気にとめなかった、
いつも昇っている月の光のなか、時がぼくの手の影を引いて
燕の群がる屋根裏へ連れて行ってくれたことに、また
眠りに入るとき、ぼくは時が高地の野原とともに
飛ぶのを聞いていなければならず、子供のいない国から
逃げてきた農場を見てずっと目覚めていなければならなかったことに。
ああ ぼくが時のもてるもののおかげで若くてのんきだったころ、時は
ぼくを若さと死に結びつけていたのだった、
ぼくは海のように鎖に繋がれ歌っていたけれども。
引用 『双書・20世紀の詩人11 ディラン・トマス詩集』松田幸雄 編・訳 小沢書店
※古書で購入可能です
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回想の形で、同じようなイメージの言葉が続きますが、楽園を追われるように出ていかなければならない、というストーリーに少しづつ変化させています。
「年を経た自分が子供の無垢なこころから永遠あるいは有限を見る」というテーマはウィリアム・ワーズワース(Wiliam Wordsworth)の『Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood: With a Brief Annotation』に通ずるものがあると個人的に思っています。
また、ボブ・ディランの『Don't think it twice, it's alright』という曲に雄鶏の一節がありますが、何となく思い出してしまいます。どうなのでしょう。聞いてみないと分かりませんが。
この項目で紹介しきれるものではありませんが、「ボブ・ディランの名付け元」というところから少し進んでいくと、かの詩人の素晴らしい点も見えてくるのではないかと思います。
☘️
(以下、敬称つきです)
Dylan Thomasさんを少しでも紹介したくて書きました。
そして、
引用した本の編・訳をされた松田幸雄さんは、昔、私の在籍していた詩の同人誌にたびたび寄稿されていました。
いちど同人の集まりでお会いしたことがありますが、私はその場の皆さんの前でしくじってしまったのです。パティ・スミスさんのようにカッコよく詩の朗読がしたくて、ギターを持っていってブルースを弾きながら朗読しようと思ったのです。でも、弾きながら朗読は無理じゃん!ということを、やってみて気づいたのでした。譜面台もない。
なぜできると思ったんだろう。ギター下手くそなのに。
ギターでなくCDをかけてもらうべきでした。
どんよりしている私に、「なかなか雰囲気があってよかったですよ」と慰めてくださったのが松田さんでした。ディラン・トマスさんの専門家に慰められて、私は嬉しいやら悲しいやら……でした。
松田さんはディラン・トマスさん研究の第一人者でご著書も多数あります。2013年に逝去されました。
詩を書く方はたくさんいらっしゃいますが、詩を紹介する方は今日あまり多くないように思います。私は今詩を書くのをメインにしていませんが、読むのは本当に大好きですし、機会があったらまた紹介していきたいと思います。
それでは雄鶏の曲を。
Bob Dylan『Don't think it twice, it's alright』
実はまだ、こぼれ話がいくつかあるのですが、もうこれ以上書けません😵💨モエツキタ
それは明日書きます。
それでは、お読みくださってありがとうございます。
尾方佐羽
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