暗黒報道IFストーリー61 第7章 最終決戦■空から神が降りてきた
■静寂から歓声へ
選挙戦最終日がやってきた。午後8時まで選挙戦が繰り広げられる。
投票日を翌日に控え,3陣営はそれぞれに最後の訴えを展開した。
下河原陣営は、国立競技場に5万人の大観衆を集めた。真ん中に組み立てられた舞台に立った下河原信玄は1時間を超える大演説をした。
「対立候補の1人はいま集中治療室の中です。なんとか一命を取りとめ復帰していただきたいと願っています。しかし、果たして公選首相の激務に耐えることができるのでしょうか。東アジア一帯が軍事的緊張にさらされている今、私はいつもミサイルを発射させるのに必要なボタンをカバンの中にしまって持ち歩いています。いつ、他国が戦闘を仕掛けてくるかわからないからです。常に臨戦態勢です。そんな緊急事態時に、病室から戦闘の指揮ができるのでしょうか」
「できるわけなーい」。観衆から声が飛んだ。
その後、得意の弁舌で、公選首相から日本大統領、そして世界大統領を目指すという信念をぶちあげた。「『北方独国』との衝突は、下河原総理の謀略だった」という記事についても取り上げ、「大神候補によるでっち上げだ」と訴えた。
演説が終わると同時に、上空を最新鋭のジェット戦闘機10機が飛んだ。そして大空に「Ⅴ」の文字を描いた。
大神はこの日も朝から姿を現さなかった。
大神は本当に死んでしまったのではないか。もし、生きていたとしても、激務には耐えられないのではないか。
やはり、下河原か。下河原しかいないのか。投票しても「死に票」になってしまうのか。支持を表明してきた有権者の間で動揺が広がる一方だった。選挙活動を主導してきた陣営は諦めのムードが漂った。
民自党、立憲民政党など野党党首たちは夕方に新宿西口広場で開かれた決起集会に集まった。肝心の大神が不在の中で、各党の党首1人、1人が選挙カーの上に乗って、熱弁を振るい、「大神に1票を」と訴えた。しかし、聴衆は今一つ盛り上がらない。午後7時半になった。選挙運動ができるのはあと30分になった時だった。
突然、マイクを握っていた野党公選協事務局長の田島が「あれはなんだ」とどなって、空に向かって指をさした。
上空から黒い物体がゆっくりと降下してくる。
だれもがざわざわしだした。ドローンによる攻撃があったばかりだ。逃げ出しそうになる者もいた。
物体が全容を現した。
「ぼく、知ってるよ。カブトンだよ」。家族連れの中にいた子供の1人が言った。
空飛ぶクルマ「カブトン」が選挙カーの横の駐車場に降下して止まった。しんと静まり返る中、ドアから顔を包帯でぐるぐる巻きにした人物が現れた。杖を使いながら、選挙カーに向かって一歩一歩確かめるように歩き始めた。
ぎこちない動きで選挙カーの階段を一段一段、ゆっくりのぼり始めた。
SPが不審者と思って飛び掛かろうとしたが、田島が制した。
包帯をした人物は選挙カーの舞台に立った。まるでミイラだった。野党党首たちが気味悪がって後ずさりした。
「誰だ、あれは」
不気味な装いに、観衆は静まり返った。テレビカメラが追った。
ミイラは、顔の包帯を止めていた留め金を外した。包帯がほどけていく。
すべてがほどけた後に現れたのは、長髪の1人の女性だった。
「大神、由希でーす」。はつらつとした大神が現れた。
誰もが一瞬、沈黙した。
「私は元気だよー」。それでもシーンとしていた。幽霊でも見ているようだった。
「本当に私だよ。大神由希だよ。今、地獄から蘇ってきたよー」
「本物だ。本物の大神由希さんだー」。観衆の最前列にいた男性が叫んだ。
一気に会場が沸きたった。大神は生きていたんだ。元気そうじゃないか。
「お医者さんの目をかいくぐって病院を抜け出して来ました。後できつく叱られると思います。でも私は駆け付けました。みなさんに会いたかったのです。このまま終わってしまうなんて悔しいじゃないですか。明日は必ず私に一票を投じてくださーい」。どっと、歓声が沸き起こった。
「大神」「大神」と連呼が始まった。
「シー」と大神がマイクに向かって言った。一瞬の静寂に包まれた。
「この選挙は独裁主義と民主主義の闘いです。選挙は勝たなければいけない。一票でも負けたら終わりなんです。『北方独国』との衝突は下河原候補の謀略です。決して許すことのできない暴挙です。密約、北海道へのミサイル、そして、『北方独国』との衝突。ホップ、ステップ、ジャンプの3段飛びの超あざむき政権です。人の命を大事にしない。戦争をビジネスにしてもてあそぼうとしている。そんな人に日本の将来を任せることはできません」
マイクを握り直した。
「私の命なんていいんです。いりません。でも日本中の人たち、いや世界中の人たちの尊い命は救いたい、守りたい。そんな気持ちです。民主主義にも問題があります。あちこちに綻びが出てきています。でもまだ間に合います。みなさんと一緒に立て直していきましょう。政治経験はないので偉そうなことは言えませんが、ただ1つ、言えることがあります」
静まり返った観衆を見渡した。
「日本を戦場にしてはいけないんです」。万雷の拍手が起きた。
「私は世界の平和を誰よりも願っています。でも今、世界は戦争、紛争に明け暮れている。私も平和を唱えるだけではいけない。世界中を飛び回ります。紛争の解決に奮闘します。全力を尽くします。そのための力を私にください。私を日本国の首相にしてください」
選挙カーの周辺には、SPが大勢いた。ドローン攻撃を受けた反省からこの日の警備は万全だった。不審な人物がいないか目を光らせた。すでに、不審者が数人、取り押さえられていた。
大神はめいっぱいの声を張り上げた。
「私は政治については素人です。政治の世界では清濁併せ呑むなどと言われますが、その中でもやっていいことと悪いことがあります。相手候補を爆死させようとするような行為を許していいのですか」
「何を言っているのだ。下河原さんがやったのではない。まだ犯人は捕まっていないぞ。いい加減なことを言うな」。下河原の陣営から偵察に来たと思われる男がどなった。そして選挙カーに駆け上がろうとした。演説をやめさせようとしたのだ。すかさず、SPが排除した。
確かに、大神が乗った選挙カーをドローンで爆破した犯人はまだ捕まっていない。だが、選挙は戦争だった。勝つか負けるか。ぎりぎりの戦いだ。そこでは、「飛ばし」も必要だ。
「私は、法に触れるような悪いことは決してやりませーん。相手を殺そうとなんかしませーん。正々堂々と最後まで戦い抜きまーす」
集まった観衆は大騒ぎになった。「大神」コールが再び沸き起こった。
マイクを大神から受け取った田島が言った。
「神が降って来た。空から、偉大な神が降って来た」
大神はそこで力尽き、意識を失った。野党党首たちが抱きかかえてカブトンまで運んだ。カブトンはゆっくりと飛び立ち、病院に向かった。
午後8時ジャストだった。
(次回は、「殺される」。犯罪サイコパスが接近中)