「死ぬほど働きたい」に思ったこと
いっとき、会社経営者のインタビューの音声を記事化する仕事を、集中的に受注していた。具体的には2週間のあいだに7件ほど書き上げた。
その中には、戦後まもなく創立された伝統ある会社の社長さんもいれば、若々しいスタートアップの社長さんもいた。変わり種では外国出身のCEOもおられた。
20代のころ大企業のトップ営業になり、独立して経営者になった人がいた。その人が「死ぬほど働きたかったんスよ。どれだけ働いても苦じゃないっつーか」と、べらんめえ口調で語っていた。
それを聞いたとき「ひゅぇ」と、のどの奥から変な音を奏でてしまった。
ぼくは平々凡々、花鳥風月と芸術・文学を愛して生きていければ十分というタイプなので、野心や向上心むきだしの方々には、おそれをなしてしまう。尻尾をまいて逃げたくなる。
「死ぬほど働きたい人」の4つのタイプ
ただ、十数年も働いていると、おおっぴらに公言しないまでも「死ぬほど働きたい」「寝ずに働いても苦ではない」という熱意を胸にはたらく仕事人にときたま出くわす。
そういう人を分類してみると、次の4つだと思う。
❶自分の存在や能力を最大化して世に問いたい
上記のインタビューで答えていた経営者のような人。幕末のサムライみたいなタイプ。能力が上がり、それが売上や利益として可視化されるさまにモティベーションを感じる。
❷携わっている学問の研究や技術の開発に没頭したい
自分の能力云々よりも、関わっている学問の研究や技術の開発への興味が深い人。没頭している時間が何より幸福を感じるという。
❸会社・団体の大義のために粉骨砕身したい
会社の掲げる社会的な意義に貢献したくて頑張る人もいる。❶と混ざっている場合もあるけれど、こういう❸のタイプは主語が「弊社」とか「われわれ」など、会社・団体になる点が見分けるポイントである。
❹死ぬほど働かないといけない状況の中で認知が麻痺している
同僚みんなが「死ぬほど働いている」ので、それが普通と思っている。
または、特定のプロジェクトの中で責任を引き受ける人もこのタイプに入る。自分が引き受けなければ他の人にお鉢が回るので、耐え忍んでしまう。
大義を背負う、責任を引き受けることの危うさ
今はのほほんと生きているのだけれど、ほんとうに一時期、死ぬほど働いたことがある。❹のタイプだった。
1年半くらい、ほぼ毎日仕事に追われて、そういう生活が1年半つづき、緊張性頭痛という後遺症がのこった。頭蓋骨の「はち」を柔らかいタオルで断続的にしめあげられる。頭のまわりで半透明な小悪魔がケタケタ笑っている。
❸や❹はときに危険である。会社や組織に良いように扱われてしまいますので。
ただ、「会社や周囲に役に立っている」とか、ひいては「社会に貢献している」という気持ちは働きがいにもつながるので、一概に「悪い」とも言えない。陶酔的な感情をおぼえるときもある。
フランスの文学者で飛行士のサン=テグジュペリが、「夜間飛行」という小説の中、登場人物にこういうセリフを言わせている。
これもまた、「ひゅぇぇ」と変な声がもれて、壁にぶちあたるまで後ずさりしてしまいそうなセリフ。「サン=テグジュペリって『星の王子さま』の作者だよね? え、こんなヤベェ奴だったの?」という声が聞こえてきそう。
頭の悪いながらにこのセリフを弁護してみると、サン=テグジュペリは「個人の幸福はもちろん大事やけど、人類とか共同体みたいなデカいモンのために生きるって選択肢もアリなんやで」みたいなことを言いたかったのだと思う。ホントに頭が悪そうで申し訳ない。
じっさいサン=テグジュペリという人は、この考えを実践して郵便飛行士の仕事に従事したり、戦線におもむいて散っていった。ほんとうに行動する哲学者だった。
でも、そういうことを素でやってのけるためには、大局的な視野と自分の生命を顧みない、ある種の無鉄砲さと覚悟がいると思う。こころから納得して行動に移せる人は、さぞかし英雄的なひとだ。
しかしながら、どこか納得できない気持ちを抱えていたり、生命の危機に瀕するほどの労働に直面すると、そうした高邁な視野や覚悟、心意気はかんたんにしぼんだり、歪んでしまうこともよくある。
そして、自分の心身を過度に苛むか、周囲にも同じハードワークを強要するような態度に豹変したりする。克己心を持って「死ぬほど働き続けられる」人は案外に少ないように思う。
「金や出世のため」が健康的だったりする
けっきょく何がいいたいかというと、「大義や責任」のために頑張る場合、いざというときに自分を支えきれない危険があるということ。本能的な危機の前にすると、知性を苗床にする草花は、はかなくも散ってしまう。
先の4パターンだと❶や❷が、ひとを支えるものとしては強固だと思う。
もっというと「金や出世のため」くらいの、仕事自体と一定の距離を保っている人は、❹のような過剰な責任を負う役割を回避しやすい。
だから、「金や出世のため」に働いている人が健康的であり、そういう人が結果的に安定感がある、というのも真理なのでは、と結論づけている。