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後悔を先に立たせる

40手前になって、初めてライター稼業をしている。

クラウドソーシングサイトでのやり取り、直接の営業活動、ICレコーダーの使い方、SlackやChatworkといった使用経験のないツール、MS Officeとは仕様がちがうGoogle Workspaceなど、いろんなことが初めてづくし。

文章ひとつとっても、それなりに書ける自負があったのだけれど、クライアントからの直しをていねいに確認するたび自分のおごりやあいまいに済ませてしまう怠慢が身に沁みる。文章を修正するたびに、自分自身を修正する。

いくつになっても新しい経験は人生を彩る楽しみと思う。

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後悔は先に立たず、という。でも、想像力次第でこの格言はくつがえるらしい。先日メジャーリーガーのダルビッシュの記事を読んでとても感心した。

現在37才のダルビッシュ。彼は20才のときに自軍が5点リードしていた試合に追いつかれた。試合の夜、反省とともに「40才になってホームレスになり果てた自分」を想像したという。

そして、40才の自分に神様がもう一度チャンスを与えてくれて転生したのが当時20才の自分と仮定して、2度目もホームレスにならないように栄養学に没頭したり、トレーニングに励むなど改善の行動を取るようになった、と。

このダルビッシュの想像と同じことを、ナチスの強制収容所での体験を記録した『夜と霧』の作者ヴィクトール・フランクルがつづっている。

私たちの現存在が時間的に有限であるという事実に直面することによってのみ、一種の定言命法によって人間の責任の最大限に充たすように呼びかけることが可能なのです。それは次のような命法です。

汝はいま二度目の人生を生きており、一度目の人生において何もかも誤って行為した、その同じ誤りをいま正になそうとしているかのように行為せよ。

ヴィクトール・フランクル「意味への意志」

1度目の人生の失敗を繰り返さず、2度目の人生では軌道修正を図れ、ということである。言い換えれば、後悔を先に立たせる

後悔を先に立たせる

人間は現在から未来を見る視点が当たり前になっている。けれども、現在の軌道で進んだ未来を想像して、その未来の視点で現在を反省して軌道修正を図るひともいる。ダルビッシュは良い実例だ。

自分も40近い。若いころのように体力がないことを痛感する。デスクワークで腰は痛くなるし、目はシパシパするし、炭水化物を食べると血糖値スパイクを起こして激しい眠けに襲われるようになったことも悩みのタネだ。

しかしながら、まだ改善の余地もある。やがてくる最期のときから今を見つめて、より高い軌道の弧を描けるようにありたい、そう願っている。