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団地のふたり

イラストレーターながら今はネットで不用品を売って生計を立てるなっちゃんこと奈津子。大学の非常勤講師を掛け持ちしながら生活するノエチこと野枝。
そんな幼なじみの二人は50歳を迎え、共に独身。生家の築古団地で暮らす。奈津子の部屋で手料理を一緒に食べ、時にはささいなことでケンカもする。高齢のご近所さんのために、二人で一肌脱ぐことだってある。
平凡な日々の中にあるちいさな幸せや、心地よい距離感の友情をほっこりと優しく描いた物語。

文庫本、裏表紙のあらすじより



この本をオススメしたい人

・日々に少しの退屈さを感じている方
・意識高い系な世界からちょっと離れたい方
・TVドラマ版をご覧になった方、ぜひ原作も!


感想

あなたにとって「親友」って何ですか?


その定義は人それぞれだとしても、本著に登場する主人公2人の関係は、おそらくほとんどの人が親友と呼ぶのではないでしょうか。


同じ団地でずっと一緒に育ってきた幼なじみ、なっちゃんと、ノエチ。
約束もなくお互いの家に遊びに行けちゃう、気の置けない間柄のふたりは時にケンカもするけれど、しばらくすればまた元通り。

食べること、お出かけすること、歳を重ねた団地の先輩たちのお手伝い。
ときに楽しく、ときに断りきれずに、団地での日常に溶けこんで生きる2人の暮らしは、特別な華やかさなど無ければ、読んでものすごく感情が揺さぶられる瞬間もありません。

けれど、彼女たちの日々は、そこに親友が当たり前に存在していることそれだけで、はたから見ていてなんとも幸せな気持ちになるのです。



わたしの妹も、同じような友情を築いていました。
小学校1年生から、クラスが変わっても学校が変わっても、ずーっと関係が続いている特別仲良しな友人がいて、親友の彼女といるときの妹は、まるで家族といる時そのままの自然な姿。

そんな妹たちの関係に、わたしはずっと憧れを抱いていたような気がします。
だって、当時のわたしはといえば、学年が変わってクラスが変わるたび、仲良しなお友達が違っていたのです。

小さかったあの頃は妹のように、ずっと関係が近しくあり続ける間柄こそ親友なのだと考えていました。


だけど今、30代も後半になって振り返ってみると、近づいたり離れたりを繰り返しながら、気付けば10年、20年と長く関係が続いている友人がいることに気付きます。

平成から令和を生きてきたわたし達は、お互いのライフステージや環境が変わっても、SNSで当たり前に繋がっています。だからかはわからないけれど、しばらく離れていても自然に、ふいに連絡を取ることができるのです。
嬉しい近況を聞けば自分のことのように幸せな気持ちになれるし、何かのきっかけがあればまた再会して関係を温められたりもする。

こういうのもひとつの親友の形なのかもしれないと、今になって思っています。


なんだか親友の定義について真剣に掘り下げてしまったけれど、本著の2人は別に
「わたし達って親友だよね!」
なんて力の入った感じは微塵もなく、ほんとうに自然体そのまま、当たり前に親しい。

50代を超える年齢に達したとき、「団地のふたり」のようにゆるく楽しく繋がり続けている友人が、わたしの近くにもいたらいいなと思います。





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