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「孤独」も悪くない。あなたはひとりじゃないの本当の意味


いつも読んでくださっている方は既にご存じかと思うが、
自分はうつ病と双極性障害をもっている。

それももう十数年と長めだ。

人間関係が途絶え、社会生活から隔絶した。
誰もが感じている焦りや苛立ちを覚え
そんな気持ちを共有できる友人も既にいなかった。

毎日ひとり悶々とする日々を過ごしていた。
どうして自分はひとりなんだろう?

「孤独」が押し寄せ、寂しくって怖かった。
なぜ自分がこんな辛い目に合うのかと泣いた。

だから「孤独」とどう向き合うかを
必死に考えていた。

正直、症状は行きつ戻りつで、
風邪のように熱が下がり咳も止まって治ったね、
とはならない。

なので、鬱状態の時はなにもする気になれない。
数日~1週間くらいダメ人間になる。

躁状態の時は出かけたり
喋ったりしているかというとそうではない。
インドアは変わらないみたいだ。

ただ脳がギンギンに興奮した状態が続く。
薬を飲んでやっとシャットダウンする。

これの時、noteの執筆や
手帳への膨大な書き込みが止まらず、
ネットで気になった物をアレコレ検索しまくり、
必要のない買い物をしてしまう。

これも数日続いて、
その後はヘトヘトに疲れてしまう。
まったくやっかいだ。

前置きが長くなって申し訳ない。

今日は、どうして孤独感を感じるのかを考えてみた。

先日意識と自我と心についてを書いた。
気になった方はリンクからどうぞ。

そこで自分なりに解釈を付け加えたいと思う。

「孤独」とはとGoogleさんに聞いてみたところ、
他者や社会からある種「切り離されている」状態を指す。
物理的に一人と言うのではなく、感情的な問題と出た。

また孤独感とはと聞いてみたところ、
自分はひとりぼっちだとと言う感覚や、
心の通じ合う人がなく寂しいと言う気持ちとあった。

では心が通じ合うとはと更に聞くと、
互いの気持ちや考えなどがぴったりと一致すること、
気が合うことを意味するとなている。

うーん。どれも正しいと思う。

人間は個が集まり、共同体となって生活する。
自分が誰かの役に立っていると感じることで
やりがいや満足感を得られるという構造だ。

おそらくこれは不変なのではないかと思う。
みんな誰かのため、何かのためという
モチベーションで動いている。

でもそれらの答えはきっと
脳の「意識」や「自我」の問題に対する回答だと思う。

他者とか社会は人間が作り出したルールであって、
そこに属せず「不適格」となってしまった。

大きな集団からこぼれ落ちてしまったのだ。
だから不安になり「孤独」だと思い込む。

だけど、集団(コミュニティ)はひとつじゃない。
視野が狭くなっているせいで見えなくなっているのだ。

この世界には無数の集団(コミュニティ)が存在する
それ気づくことができるか
また、そこに飛び込む勇気があるかにかかっている。

人間関係というのは、こじれると修復は難しいと思う。
というか、こじれた相手との修復は必要ない。
その部分にエネルギーを浪費する必要はなかったんだ。

今だから言えることだけど、
どこでも居場所は作れるんだってこと、忘れてた。

だから、もうこの世の終わりみたく感じていた。
病気になる前にさっさと転職すればよかったと思う。

そして3つめの心が通じ合う人というのが解せない。

人は誰とも同じにはなれない。
ぴったり一致することなど不可能だと思う。

似たような考えの人と親しくなることはあるだろう。
でも「似ている」だけで「同じ」ではない。

さらっと「心」という言葉を使っているが、
自分の考えでは、
心とはエネルギー体であり宇宙の理と
地球上の全ての物質や生物、水や空気、
ありとあらゆる物と同一(同じ物で出来ている)
であり「全体感覚」が備わっているのだ。

そこに「孤独」という言葉は不要だ。
なぜならすべて通じているから。
繋がっているで同じものでもない。
ただ「コネクト」しているのだ。

ただ現代の我々世代の生き方が合理的になりすぎて
全ての調和をはなはだしく乱している。

それ故本来誰でも持つ「全体感覚」を感じる力が
弱くなり五感以外の感覚機能が麻痺している。

スピリチュアルは誰もが持っているのに
忘れてしまっているのだ。
この感覚は教えられるものではなく
始めから備わっている機能だ。

共感力というと人間だけが対象のようだが、
共振力とでも呼ぼうか。

例えば、森の中を散歩したり、滝や水辺に佇んだり、
公園でただ空を眺めたりするだけで、
何か満たされたように感じたことはないだろうか。

犬や猫、子供達を見て温かい気持ちになったり、
お寺や神社やパワースポットなどで
研ぎ澄まされたような感覚を持つこともあるのではないだろうか。

この目に見えない力こそ、共振力であり、
エネルギー体である心を満たす事が出来る要素なのだと思う。

都会を離れて田舎に行くと空気がおいしいとか
のんびりリラックスした気持ちになるのは、
それが本来の生き方であって、
毎日あくせく会社で働くことの方が
不自然だからではないだろうか。

みんなワーカホリックになりすぎだと思う。
特に日本人の勤勉さときたら賞賛に値するが、
休むことを申し訳ないとかすみませんと言わざるを得ない
風潮は早く無くした方がいいと思う。

「孤独」について自分も色々考えてきた。
「誰にも話せない」
「話せる相手が居ない」
「世界は動いているのに自分だけ取り残されてる」
「自分は必要とされていない」
「生きてても意味がない」
長いことそんなことばかり考えていた。
この無限ループからどうやって
抜け出せばいいのか分からなかった。

ここからはただの持論なので、
さらっと聞き流してもらいたい。

「孤独」の無限ループは「脳」が勝手に作り出した幻だ。

さらに「脳」は情報収集に長けており、テレビやスマホ、
SNSなどで更に悲惨で重篤な情報などを集め、
「そうなったらどうしよう?」と
不安をかき立てるよう仕向けてくる。

それを何度も繰り返し自分に
見せ続けるということは自傷行為に等しい。
しかし「脳」という器官の故障なら投薬で治せる。

では「脳」の故障の原因は何か。

それは精神エネルギー体である心が衰弱している。
エネルギー体に効く薬などない。
エネルギーの枯渇はエネルギー溢れるところで
チャージするのが一番だ。

森林浴や散歩に誰かが必要か?
逆にひとりの方がいいくらいだ。
誰かがいなくても十分いい気分を味わえる。

まず自分が心地よいと感じる場所で過ごすことだ。
そして外部情報を遮断する必要がある。
家が好きなら家でいいと思う。
公園でもコンビニでも。

大事なのは自分が心地いいと感じているかだ。
そうでないとチャージは出来ていない。

何も考えずただぼんやりしていればいい。

そこがざわざわしているのか、
風が吹いているのか分からないけど、
まずは五感で自分が置かれている場所にフォーカスする。
それから自分の感覚を研ぎ澄ませるよう集中してみる。
パワーの流れを感じることが出来たら成功だ。
あとはそれを繰り返せばエネルギー体の心は
完全復活することが出来る。

「孤独」とはそんなに悲惨な状況でも何でもなかった。
自分で自分を追い込んで怯えさせて居ただけだったのだ。

エネルギー体である心は全ての物と繋がりがある。
それが他の人間もそこいらの雑草も変わりない程度だ。

だから地球上のずべて、宇宙もかな?
みんな繋がりがあって影響しあっている。

だから孤独などありえないのだ。
感覚を取り戻したなら自分が全体の一部であり
自分が世界だということを思い出せるはずだ。


今日も読んでいただいた方ありがとうございます。

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田中もなか
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