【育児日記】できてないこともあるけど、できてることもある
「われ、ただ足る」と読む。
京都は龍安寺の庭にある、つくばいに刻まれている言葉。
つまり、足るを知る。
「いまできてることに目を向けようよ!」
ということ。
高校時代の友人に、この言葉を伝えたいできごとがあった。
先日、『エンド・オブ・ライフ』という本を読んだ。
在宅医療やそれを支える訪問看護師を描いたノンフィクション。
自宅で家族を看取ることや、どう命を閉じるかというテーマなので、目を背けたくなるような重苦しい描写もあり、なかなか読み進められない部分もあった。
でも、読後は清々しさも残って、感情の振り幅の大きい読書始めになった。
読んでいて、ふと高校時代の友人のことが頭に浮かんだ。
彼女はたしか、訪問看護師をしている。
早速、LINEしてみた。
去年の秋ごろから体調を崩して、訪問看護の仕事は休んでいるという返事がきた。
いまも心身の調子がイマイチなのか、LINEはこんな感じでとにかく、ネガティブな印象だった。
・子どもは中1と小5。まだ、大変で分からないことばかり。親としての成長も難しい
・大きな病気こそないにしろ不調が続き、老いを感じる。仕事に行けなくなったり、心身の不調もある
・この年齢でも人との付き合い方、受け入れ方、受け流し方など下手
・この1年は仕事に燃え尽きたり、ケアマネージャーの資格を取った。資格は取るけど実際の現場に応用できてない
・今日はリンパ浮腫の総まとめテスト。でもテスト勉強してなさすぎ
・あの頃と何ら成長していない、器用貧乏な人生
「成長が難しい」
「不調」
「下手」
「応用できてない」
「勉強してない」
「成長していない」
「貧乏」
「不」とか「〜ない」とかネガティブなワードで溢れかえっている。
「できていないこと」ばかりに目が向いている気がした。
でも、できていることもたくさんある気がする。
★子どもを中1と小5まで育てている
★燃え尽きるほど仕事に全身全霊を注いでいる
★心身疲れている中、試験勉強をしている
★器用貧乏で結構。器用だからこそ、他の人ができないこと、やらないことができている
そんな友人に龍安寺のつくばいの「吾唯知足」を贈りたいと思った。
「現状に満足してもいいんじゃない!」
でも、彼女がどの程度思い悩んでいるのか、そしてメンタル不調の具合もわからない。
「上から」だなと思われたり、余計なお世話だと聞き耳を持ってもらえない、何も響かないかもしれない。
だから、LINEで送るのを躊躇した。
だから、ひとまずここに書き残しておく。
と、ここまで書いていて気づいた。
これって私たち夫婦にも伝えたいことかも。
我が家は、年明けから私と娘の体調が悪い日が続いていて、予定していたことがあまりできていない。
なので、私も妻もイライラしつつある。
そして、伝わるといいなと思う。
毎日の子育てや家事を頑張っている方。
加えて仕事も頑張っているワーママ、ワーパパのみなさん。
同じようなことで悩んで、イラついているかもしれない方へも。
「大丈夫!できてることもありますよ」