ハンドドリップコーヒーと ベイクドチーズケーキのお店。 をしながら、 ハンデを持つ息子を育てる母親です。 店舗は今のところありません。 レンタルスペースでの出店や、 露店営業でのイベント出店を主にしています。 2018年に産まれた息子は、 ピルビン酸脱水素酵素複合体欠損症 という希少難病を持って 産まれて来ました。 世界で400人ほどしか居ないとか。 なによりとっても長い名前で言いにくい。 先天性代謝異常のひとつです。 生後7ヶ月頃に、 発達の遅れから判明しま
写真家 山本美里さんの講演会へ行った。 山本さんは、 写真家でもあり、 医療的ケア児のお母さんでもある。 講演会でのお話しの中で、 「怒り」が根底にあること。 想いや内容が違っても 「怒り」が原動力になって、 活動をしている。 それを手放すためのもの。こと。 一緒だなあ、と 普段の自分の活動と重ね合わせながら 聴いた。 誰かに怒りそのものをぶつけるわけじゃなくて 形を変えて、 できれば自分の好きなものに 形を変えて、 相手に、周りに、伝える。 そしたら
わたしはどうやら 破壊と再生を繰り返しているらしい。 なにか違うと思ったら全てリセット。 7割くらい積み上げたとしても 「やっぱり違う」と感じたら リセットしてしまう。 0か100。 ちょっと恐ろしいかも、な 破壊と再生の蠍座 である。 思い当たることはたくさんある。 違う、と思ったらスパッと切ってしまう。 多分昔からそうなんだけど、 大人になって、結婚して、 子供を産んでからは、さらにそれが はっきりと出るようになったと感じる。 切り替えが上手になった、という
自分の心の中には 量の決まった器があって そこに入らないほどの 気持ちがたくさんちり積もり 溢れてしまった時の 心が壊れる音。 久しぶりに聞いた気がした。 喉の奥が キューっと渋くなって 痛くて 声も出せなくて 息も吸えなくて 吐けなくて わたしは多分、 基本的に他人を優先するタイプで 自分のことは後ヘ後へと後回し。 それは他人の機嫌を損ねないためなのか 好かれようとするためなのか どっちもなのかもしれないけど よく相手の気持ちを探り、 行動してしま
自分の中の ふんわりしたような考えが 頭の中をほわほわしていると それとなく、それに関係するひとたちに 遭遇すると思う。 今、ここ3-4年の自分を振り返って 強くそう思う。 初めての息子の付き添い入院中に感じた違和感が 今、わたしの活動のきっかけになっている。 あの冬、息子と入院し、 息子の難病のほぼ確定診断を 1人で聞かされ、 その後、着々と息子に対する 治療やケアが始まった。 その時、感じた違和感。 もちろん、息子の治療やケアは どんどん進んでいく。 でもそれ
《 衝撃 》 はげしくつきあたること。 また、人の心にはげしい動揺を与えること。 何度も息子の話になってしまうが、 当時26歳のわたしと主人に 強い衝撃をくれたのは、 息子でした。 産まれる子供は、 いわゆる「普通」に産まれ、育ち、 いずれは親元を離れて行くのだろう そんなことを思い描いていた。 誰もが、みんな 今が、永遠に続く と勘違いをする。 「難病」という衝撃を受けてから、 「死」はわりと近くに感じている、と思う。 子供より先に親が死ぬ と考えてい
読む本から伝わってくる 考えや思いを知って 「こうなりたい!」 と思うけど、 それを行動に移すまでは ものすごく時間がかかると感じる。 すぐに変わろうとすると 自分にとてつもない負担がかかり、 きっと、途中でやめてしまう。 「やめよう」 と思ってやめるのではなく、 自然と今まで通りの自分に戻ってしまう。 きっと感覚的には、少しずつ 「なじんでいく」くらいの ゆるい感じがいいのだなと ここのところ、よく思う。 とても共感できる文章や こうなりたいと思う考えに出会った
2年前くらいから 主人の影響を受けて、読書を始めた。 数ヶ月で1冊といったペースだけど、 ここのところ読んできた本に 必ずと言っていいほど出てくるワード 「いま、ここ」 我が家にとっては 結構身近な言葉だと感じる。 初めて意識して聞いたのは、 息子の主治医から。 ほぼ80-90%以上なくらい 特定の難病の可能性を初めて伝えられ、 その際、息子は、 「将来歩けるのか」「話せるのか」 を心配して、主治医に聞いた時 「今、目の前の息子さんを見て やれることを考えていきま
何年も前から計画していた大阪旅。 息子が生後7ヶ月ごろ、検査入院で入院した時 同室だった同い年の男の子を持つお母さんと 偶然、仲良くなった。 わたしにとっては 「お母さん」として初めての友達。 その子とそのお母さんは 兵庫県から定期的に岐阜へ通院しており これまでにも岐阜に来るタイミングで 何回か会いに、、。 いつか一緒にどこか出かけたいね、と 少しずつ計画が進んでいく中 始まったコロナ禍。 4年越しの実現でした。 お互い子供を家族に託し、 友達とだけで泊まりのお
三寒四温な今日この頃。 暖かい日があったかと思うと、 雨がしとしと降って少し寒い日もある。 寒い冬が終わり、春が来てぽかぽか。 気持ちのいい季節だなあと感じる中に、 少しだけ鬱々とした気持ち。 新しい年度が始まり、 息子は年長さんになる。 そして、わたし自身 お店のオープンが決まり (日にちはまだ未確定ですが、夏頃予定) 今年度は、息子の就学のことと わたしのお店のオープン という二大イベント。(現時点) そう考えた時に、 楽しみばかりじゃないかな、、と ぽかぽか
毎年、2月になると 嫌な気持ちになる。 5年前の2月、 生後6ヶ月の首の座らないふにゃふにゃした 発達の遅い息子を抱えて、 大きな病院を受診した。 検査結果から精密検査が必要となり、 全部で1ヶ月ほどの入院となった。 入院から2週間くらいで 希少難病ということがほぼ確定した。 それを機に、 息子の生まれた時の写真や 病気が分かる、生後6ヶ月ごろまでの 写真を見返すことができなくなった。 病気を持っているなんて思っていなくて、 普通に育つと思っていた頃に撮った写真たち
先日、こちらのセミナーに参加して来ました。 息子のお迎え都合上、第一部のみしか 参加できませんでしたが、 その第一部を担当されていた板垣さん。 実は、ちょうど1年前くらいにお会いして 「とりあえず写真だけ撮っといてあげるわ」 とアテンドさんに言われて、 一緒に写真も撮っていました。 (お互い訳もわからず初対面でとりあえず写真を撮るという奇行。(笑)) 板垣さんは、 岩手県にある「るんびにぃ美術館」で 展示や企画に携わって来た方です。 「るんびにぃ美術館」は、 障がい
明治さんへ 「初めてメッセージを送ります。 先天性代謝異常症の息子を育てる母親です。 代謝異常により、ケトン食が必要なため、 ケトンフォーミュラを、 生後7ヶ月頃から飲んでいます。 発達が遅いことから、病院を受診し、 色々な検査をして、最終的には 難病告知をされ、付き添い入院をしながら 当時は、目が合わない、首が座らない、 自分でおもちゃを持つことも、 興味を示すこともほとんど無く、 初めての子育てに、絶望感でいっぱいでした。 疾患の治療として始めたケトン食療法。 特
我が家の猫は、 家を建ててから約半年後、 息子が1歳3ヶ月の頃にやって来た。 隣の隣町で保護された保護猫。 わたし自身、実家で猫を飼い、 小さい頃から、ずっと猫が好き。 家を建てたら、 両脇に猫を抱えて暮らす!(2匹飼う)と ずっと思っていた。 我が家の猫は、 とある保護猫サイトで見つけた。 飼うなら、黒かグレーがいいな と思っていたら、 まさかのグレー猫さん。 本当は、他の家族へ譲渡されるところでしたが、 事情があり、断念されたので、 良ければわたしたち家族に
「終わり」から考える と、聞いた時は ? と思いました。正直。 自分が最終的にどうなりたいのか どういう姿でいたいのか どういう気持ちで死にたいのか 誰しもが 明日、 今日、 もしかしたら、この後すぐ 人生を終えるかもしれない いつ終わっても後悔のない 死ぬ時にそう思えたらいいな、と。 ネガティブに聞こえるかもしれません。 しかし、 今この時点で自分がやっていること やりたいこと、やろうとしていること、 全ては終わりに繋がっている と思う。
偶然と必然 《偶然》 「たまたま」 「やむを得ずして」 見えても見えていなくても 分かっていても分かっていなくても 何らかの意図も思考も力も そこには加わらない 保証なし。不確実。不完全。 流動的でもある。 《必然》 「必要」 「あるべきしてある状態」 「あるべきしてあった状態」 何らかの意図した、願った、思考によって 目的のある、何らかの力が加えられた、 加えられるべきという「当然」「自然」という現象 保証つき。確実。不動。完全。 全く逆の意味なのに、 なぜか紙一重な