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認める時、別れの時

12月9日(木)何の変哲もない日だったけど、
私はセフレとの別れを決めた。

このnoteを見返す私へ、
この先の言葉は全部私に言っているので、
目を逸らさないで、そして、この気持ちを
どうか忘れないで。

ーーー

セフレの始まりは、
恋人ではない人と身を重ねて、
体の相性が合うからまたお互いに連絡して、
会ってはするようになって。

最初の方は、今日はするのかな?
とかドキドキして。
お泊まりをするのも、どこに何があるか、とか 
相手はどんなものが好きなのか、とか
どんなことをされたら喜ぶのか、とか
そういうことが気になって。

しばらくすれば、
流れ作業のようにそれが始まって
「あれ、あそこにあるから使うね。」とか
「これが好きなんでしょ?」とか
「こうされたら嬉しいよね。」とか
そんなことばかり考えしまって。

友だちは、
セフレには終わりも始まりも何も、
彼氏や彼女みたいなやり取りは要らないでしょ。
だってセフレだよ?と言っていた。
セフレになってください。とか、
セフレの関係をやめましょう。とか。
そんなの、めんどくさいし、
セフレに言われたらだるいよ。と言われた。

でも、私にはそれだけ、
と割り切れるほど強い心は今持っていない。

結局、私はセフレのことが大好きだった。
本当に本当に大好きだった。

B'z縛りのカラオケで一晩中盛り上がったことも、
会社のことの愚痴を聞いてくれたことも、
家の中でゴロゴロしたことも、
一緒に食べたご飯も、
他愛のないやりとりも、
2人でしたゲームも、
子ども扱いをしながらも、
私のこと理解してくれていたことも。
全部思い出す。
そして、改めて、思う。
こんな人はこの先に現れないんじゃないかって
くらい、私は大好きだった。

でも、相手は私のことを好きじゃなかった。

ただ、それだけ。

それだけのことなのに、
何をそんなに言い訳を考えているの、私。

好きな人が、自分のことを好きじゃなくて、
自分の手には届かないということに気づくのに、
これだけ時間と労力が必要なのだろうか。

好きな人以外からの好意は嫌悪の対象であり、
湾曲した愛になり、ストーカーとか、
そういう怖いものになる。

それをわかっているのに、諦めることが
できなかったし、認めたくなかった。

相手にとって自分が特別な存在だと思えたし、
これは私だけだ、とか勘違いしてた。

今日会社先輩と飲んだ時、
セフレが前にそういう行為をしたという、
社内の女性の名前を聞いた。
しかも、何人も。
私が思っていたよりずっと多く。

ああ、そう。なるほどね。
ああ、そうなんだね。

ーーー

傷心のインスタグラムのストーリーに、
高校から私のことを知っている友人が
コメントをしてくれた。
そして、やり取りの中でこんな言葉をくれた。

〇〇は、ちゃんと
人に与えることができる人だと心の底から思う。
そうやって自分の気持ちに矛盾したり
混乱するところも含めて
どこまでも人間っぽい〇〇好き。

そこに気づけないなら、
〇〇には合ってない人だと思うよ。

今は難しいかもしれないけど
〇〇には揺るがない良いところがあるから、
少し時間経ったら自信持ってね
いまはいっぱい落ち込んでね。

ーーー

ああ、
私にはこんなことを言ってくれる人がいた。

今の私は、凄く振り回されていて、
セフレから与えられたものの中で
どう生きるか、どう好かれるかを気にして
ばっかりだったことに気づいた。

社会人になる前の背伸びしてない
私のことを知ってる友だちに言われる言葉は、
素直に全部信じれるし、
とっても価値があって大切だった。

ぶっ刺さったので、
ぶっ生き返すことにした。

年内にある、ふたつの約束を断って、
ちゃんとリセットした。
もう会わない。
物理的な距離が私には必要。

この関係をやめましょうとか、
野暮なことは言いたくない。
でも、会わないでいることはできる。

2本の足で立って生きてることだけに感謝しては
生きられず、欲張ってしまう私だけど、
この思いは多分最後のチャンスだから、
絶対に忘れないで。

自分を大切に、生きていこう。

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