【源氏の道】2帖:いしいしんじ『げんじものがたり』
源氏の道、2歩目として手にしたのは、周辺本ではなく源氏物語そのもの。いしいしんじさん訳による京都弁で綴られる源氏物語だ。初手で原書は無理だろうと、著書を読んだことのあるいしいさん訳から入ることにした。
光源氏、クズすぎるやん…
読みながらまず思ったのが、読みづらさ…!
文体や、古典的な単語の読みづらさではなく、当時の常識や慣習が飲み込みづらすぎて、物語を楽しむ余裕がないほどに混乱した。
特に女性が「人」として扱われていなさすぎるあまり、性暴力が頻発しすぎていてげんなりした。途中でもう読むのをやめようかと思ったほど……。
たぶん「光源氏=才色兼備のキラキラ爆モテプリンス」というイメージがあったのに、彼の心の声が綴られるたび、言動が描かれるたび、彼の生まれながらに持っている輝かしい才色の全てがかすむほどに中身がクズなことが見えてきて、イメージとのギャップにぐったりしたのだと思う。
言葉を選ばずに言うと「光源氏、めちゃくちゃキモいやん。まじでやばい奴やん」とおもた……。
この複雑な感情については、同時並行で触れた山崎ナオコーラさんの源氏評に溜飲が下がったので、そちらに書くことにした。
祈って済んだら医者いらん
それ以外にも当時の慣習が衝撃の連続。
ググると、わらわやみとはマラリアのこと。病に対して祈祷で治すしかなかった当時の状況。もちろん史実としては知っていたが、自分に置き換えて考えると、ありえなさすぎて衝撃を受けた。
「まるっきり効果ナシ」って。そらそやろ! 医学の進歩に感謝しかない。そして、病気になったら当たり前のように病院に行くけれど、小市民である私でさえ医学の恩恵に格安で授かれるって、日本の社会保障制度にも感謝しかないよ。(小並感、失礼します……)
ノリノリ紀香もといノリノリしんじ
あと、もともと持っていた「雅」なイメージとは真逆だが、「汚さ」を表現するシーンが秀逸だったことも記しておきたい。
紫式部自身がノリノリで書いていたのか、いしいしんじさんがノリノリで訳されたのかはわからないが、「すえつむ花」の帖で、末摘花の姿を見る前から、彼女のお屋敷に漂うヤダみがすごかった。
悪意に満ち満ちた描写が、もはやおもしろくて笑ってしまう!
文章の軽妙さとユーモアすばらしくって「これ、原作ではどう表現されていたんだろう?」と思うくらい、いしいさんの筆が乗っているのを感じる描写がいくつもあった。
たとえば引き続き「すえつむ花」の帖。
インドア三冠王てなんなん(笑)。原作では100パーそんな単語はでてこないはずなので、意訳のおもしろさが炸裂している。
たとえば「もみじの賀」の帖。
ねぇ、「しょうもない、エロいこと」てなんなん…。
しかも、このくだり、『神作家・紫式部のありえない日々』に登場する小少将の君が推している光源氏と頭中将カップル像に通じるので、二度グッときた! あのカプ推しの設定って、完全なる創作じゃなくて、そうと匂わせる表現が原作にあったのね!と目から鱗。
コンテンツの強度がすごい
よく考えると「古典」に自ら向き合おうとするのって初めてで、1000年前の物語をさまざまな訳本で楽しめること、時代ごとの慣習や倫理観と今のそれらと照らし合わせて読み解けることなど、現代小説にはない多層的な楽しみ方に、古典というコンテンツの強度に感動している。
オラ、わくわくすっぞ(突然の悟空)。
源氏物語=雅で美しくやんごとなき物語、というイメージ先行で手にとったので、それだけではないんだぞ!という源氏物語の力強さを実感できた「源氏の道」の第二歩だった。