(上巻の感想はこちら)
下巻では少しずつ隆盛を取り戻していく後之伴家の姿が描かれる。
物語の後半には、突如、仙台に暮らす辰寿という女性の茶道家の物語が並行して進む。
江戸から明治への移行期について歴史の授業で習った時は、それが如何ようだったかまったく想像できていなかった。だが、よくよく考えれば全ての「白」が「黒」に変わるくらいの出来事だったと思う。天変地異といってもいいだろう。そりゃ、白が黒になったことに気づくだけで10年かかった人もいたにちがいない。
令和の日本だって茹でガエル状態だと言われて久しいが、どれくらい煮えくりかえっているのか、渦中の私たちに分析することは難しい。振り返れるくらい遠くまできてようやく「あのとき黒に変わっていたんだな」と気付けるものだし、それが「歴史」というのものなのだと思う。
渦中におけるこうした辰寿の姉、可奈の生き方はなかなかできることではない。のちに登場する辰寿の娘である紗代子が、どういう芯をもった家系の女性であるかが窺い知れる。
さらに、仙台人の気風についても次のように語られる。
なるほど、そうなのか。
加藤家の娘、紗代はのちに十四代の妻となる人だ。嫁入り当初、文化風習の違いに苦労する場面が描かれるが、おそらく逆もしかりだったと思う。
私は大阪出身。社会人となり東京で働くまで、東北出身の人に出会ったことがなかった。東北人からすれば関西の手前に東京があるのだから、よほどの理由がない限り東京で留まるだろう。当然だ。それゆえ関西人は東北人に馴染みが少ない。21世紀でさえそんな距離感なのだから、明治初期なら東北人がどれだけ奇異な存在であったか想像に難くない。
そんな紗代子のことを、のちに由良子が温かく讃えるシーンは胸に刺さる。
由良子という人の、懐の深さ、まなざしの厳しさと優しさがよくわかる。
ところで、宮尾登美子先生の文章が本当にすごい!
ということも記しておきたい。
流麗でいて鋭利な文章に終始惚れ惚れしながら読んでいたが、特に後半の章の冒頭がすばらしかった。
紗代子は、仙台で生まれ育った快活で聡明な若い女性。郷里に愛する人がいたが、さまざまな事情で想いは遂げられず、しばらく失恋に苦しむ。のちに十四代の宗匠の妻となるのだが、その少し前の時期の描写が下記だ。
短いセンテンスで複数の方向に向かって奥行きを感じる文章に驚愕。
紗代子の人となりと置かれた境遇。そしてこれからこの章で綴られる哀しい結末を暗示させる見事な導入に一気に引き込まれて「宮尾登美子先生、天才じゃん…!」(周知の事実)。
紗代子の仙台での恋する様子も可愛らしくて印象に残っている。片想いの相手とうれしいできごとがあった時の帰り道の心情がこんなふうに描かれる。
「道端の草にも石ころにも分かち与えたい」って! 私の中にもわずかに残る乙女が「わかりみしかない」と申しております…!
恋をした時の心弾む瑞々しい気持ちを表現に共感する一方、結婚後の由良子が、夫である不秀に対して抱くしみじみとした充足感もまた、わかりみしかないのであります。
そんなしあわせな時期も長くはなかった由良子。物語の終盤で綴られる彼女のひとり言のシーンも含蓄がある。
酸いも甘いも、というか、もはやほぼ辛酸の人生であったろうふたりの人生の悲哀が詰まっていて胸が痛くなる。
中でも「号泣していてもふとおかしく」という表現がたまらない。かのチャップリンの名言、「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」そのままではないか…!
そして、由良子はあれだけ縛られてきた「家」を出て、鞍馬口で余生を過ごす。
この淡々と事実のみを記した最後のセンテンスに、最後の最後まで心をつかまれた。思わず、由良子の次の言葉を重ね合わせてしまう。
由良子をして「十三代家元の妹として、裏方の仕事を手伝っていたひと」としか残らないのが史実というものなのだ。
ただ、由良子に限ったことではなく、小市民の私も含めた、これまでに地球に生まれ、生きた動物すべてに言えることではないか。
事実だけを書き出しても物語は立ち上がりづらいが、その行間には幾千もの物語がある。誰かとわかちあった物語もあれば、本人のみが知っている物語もある。忘れてしまった物語もたくさんあるだろうし、視点が変われば別の物語も立ち上がってくるはずだ。
歴史小説とは、作者がその行間を読み解き、解釈し、あるひとつの「物語」として紡ぎ出したものではないだろうか。
そうであったかもしれないし、あるいは、そうでなかったかもしれない。
答え合わせは誰にもできないが、宮尾登美子さんの描く物語には、茶道の凄みが存分に詰まっていた。茶道に生きた人たちの健気で懸命な想いが苦しいほどに溢れていた。
「月日が経てば歴史のはざまに消えてゆくべきもの」を丁寧に掬い取り、美しい文章で紡いでくださった宮尾登美子さんに感謝。そして今、茶の道の最後尾を楽しく歩ませてもらっていることにも深い感謝の気持ちが湧き上がってくる。
茶の道の道中でいくつもの思い出をつくり、見識を深め、いつか由良子のような境地で会記を振り返れるくらいになれたらいいなと思う。