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新しい時代へ。
思考力、判断力、表現力を重視。
大学入学共通テストの話題で
思ったことを少し。
なんとなく思ってはいましたけど、
これまでの暗記、繰り返し定着、
パターン化で育ったこれまでの世代とは
まったく異なるベクトル。
これからの社会に必要な能力を
磨いていくんだ、ということでしょうね。
おそらくAIの進化は止まらず、
どこかで打開する必要があるときに
知識分野はAIでじゅうぶんに補えるが、
問題となる「ソノサキ」の勝負だと。
知識は極端な話、スマホ等で
「誰でも傍らに持ち出せる」状態で
知識の習得では差がつかなくなる。
アタマのヨシアシの基準が変わる。
どう使うか、どう組み立てるか。
発想やアイデアを出せるかどうかで
差がついてくる未来を示唆している。
世の中があまりにも知識偏重になって
その主役にいる中高年世代も、
パターン化思考にドップリで生きてきた。
しかし、カンタンには
変わっていかないでしょう。
私たち中高年世代のほとんどは
新しいアイデアが出せないまま、
数十年、打開できなかった。
いざ希望に満ちて飛び込んだ社会の一端が、
思考力や判断力、表現力の活かせる場
とは限らない場合も多いでしょう。
むしろ、社会の主流と一致せず、
どうしてもギャップが出来たまま
社会に飛び出していく世代かもしれない。
ギャップが埋まるには数十年かかる。
世代が変わるまで、かもしれない。
とにかく時間がかかる国だから。
そして、学習してきたことはまるで
活かせない場、なのかもしれない。
ただ、いまの若い人たちは、
自分のやりたい方向があるならば、
一緒の傘に入らなくてもいい。
やってみようじゃないか。
という勢いや、独立志向が強い。
そういうイメージもあるんですよね。
SNSなどで当たり前に自分を表現して
知識以外の挑戦のスイッチの入れ方が、
中高年世代よりもスムーズなんだろうなと。
中高年になって自分を表現するとなると
やり方がわからないとつまずいてしまう。
この「周辺の使い勝手」がうまくない。
ヘンな遠慮をせず、堂々としてる。
できることを遠慮せずやる。
若い人ほどそうなってきている。
これはオトナが見知らぬ人を、
むやみやたらに怒らなくなったから、
余計なプレッシャーがないんですよ。
のびのび度合が中年世代以降とは
ちょっと質が違うのだと思う。
参考動画にあふれた社会を生きて
私たちが知ることに苦労したことを
検索して知ることができる。
私たち中高年世代より早く到達できる。
じゅうぶんオトナといえばオトナ。
成熟した環境に囲まれているのも
大きいだろうな。
ただ、マネゴトをするだけでは
抜け出せない時代でもある、
という認識もあるはずです。
おもしろい、と
思ったり感じたりしたこと。
これを素直に取り組んだり、
表現したりしてみること。
安易に真似をせず、逆に王道を
外した路線をどこまで進むか。
案外、いまの大人たちは
このことが出来るようで、
出来ません。ホントに。
出来なくなる社会のシステムに
取り込まれていくからです。
そんなことしてられない、
それがオトナだと思い、挙句
既存のシステムの中で自分を
活かそうとするパターンをなぞる。
壁にぶつかって、旧世代と同じ道に
システムの中に入っていく人、
夢より現実をとる人もいるでしょう。
しかし、それでは旧世代と
なんら変わらない未来に
足を突っ込むことになる。
いまの若い人たちが中心になったころ、
このまま日本の社会のシステムが
変わらずにいまの延長戦上に
存在しているなら・・・
いま以上の、考えられないほどの
負担を強いられているでしょう。
才能のある人はもう日本を捨てて、
外国に活路を見出しているかもしれません。
団塊の世代以降しばらく続いた、
都会に優秀な人材を取られて
残った人間でなんとなく回し続ける
田舎の、過疎化ごまかし社会のように
日本全体も空洞化してしまうかもしれない。
できれば、自分を活かせる場を
自分自身でつくる挑戦をしてほしい。
その挑戦を続けられる社会のわたり方を
してほしいと思うんです。
支える側の中高年世代も若い世代のもつ
アイデアや発想を素直に評価してほしい。
むしろ、若い人をうまく支えて促す、
中高年世代の意識改革のほうが重要だ。
そうしなければ、数十年後に
年寄りとなった私たち旧世代は
彼らに重すぎる十字架を背負わせ
最悪の場合、彼らの未来を飲み込み
共倒れしてしまう。
新しい世代の考え方を前に
私たちはどこかでバカにしたり、
思うとおりにさせてたまるか
みたいな「なんとなく反発心」
を潜在的に目覚めさせる。
未来は、これまで以上に自然災害に
右往左往させられていくでしょう。
破壊されたもの、ゼロにされたものを
元に戻そうとしたくなるでしょう。
オトナはそうしたくなります。
しかし、すべてにおいてそうですが
元に戻すというのは旧システムを
続けていくということ。
元に戻すくらいなら、逆に
まったく新しいものをつくってほしい。
そういう、これまでの積み重ねを
あえて壊すくらいでないと、
打開はできないんだと感じます。
動きそうで動かない社会を
中高年世代はこれまで
さんざん見てきました。
変えようとしても、
元に戻そうとするチカラが強いため
どうしても変わらない。
変わるまでに時間がかかりすぎる。
いまの社会は言ってみれば、
「しあわせな人生、生活をおくる。」
そのためのキャパシティーを
超えた人口になってパンクしてる。
パンクしているのにごまかして
自分だけ助かろうとしている。
こんな未来にしないために、
大きく一歩を踏み出して、
トライアンドエラーを若いうちから
繰り返す挑戦をあきらめないでと。
ソノサキを形あるものにするために。
私たち中高年世代は未来の人財を
「自分の常識外」を容認しながら、
サポートして育てていくべきです。
私たちが常識と思って譲らない考えの
その外側に、いつも打開のヒントが、
存在しているのだと思うから。
新しい時代へ。
新しい人へ。
新しい一歩へ。