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日曜美術館 「私と鳥獣戯画」 手塚治虫 (Eテレ)

Eテレの膨大なアーカイブから選りすぐりの番組を4Kリマスターでお届けする。今回は1982年11月21日放送の日曜美術館「私と鳥獣戯画 手塚治虫」。

(以上公式サイトより)

叔母が大の手塚治虫先生ファンのおかげで、子どもの頃は叔母の部屋の漫画をちょこちょこ読んでいた。
最近どハマりしたドラマ「君とゆきて咲く」の原作が手塚治虫幻の名作「新選組」という事だが、これは叔母の部屋には無かった(と思う)。
速攻取り寄せて読み、私にプチ手塚治虫ブームが来ている所にこの番組、なんというタイムリーさ!
53歳頃の手塚先生は既に大御所なのに、優しい瞳と語り口で、鳥獣戯画について活き活きとお話されていた。

鳥獣戯画は歴史の教科書で見た程度で、特に感慨の無かった私。しかしこの番組を見て、鳥獣戯画が現在の日本漫画の祖である事以上に、サブカルチャーのもつ"際限の無い可能性"に驚嘆の念を抱いた。
番組内では鳥獣戯画と同じ12世紀頃に作られた「信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき」についても触れられており、どちらも"庶民の文化が貴族の文化に大きな影響力をもっていた"との事。
"古代から中世への過渡期、武士政権成立前の揺れ動く社会を背景に大きなうなりを見せた文化が、これらの絵巻に現れている"との解説は、なるほどと思った。

「源氏物語絵巻は非常に美しくハイブラウな気はするが、面白みが全然ない。すべて人間がパターン化されていて、定規で引いた線の交錯ですよね。ただ美しく描こうという職人的な技術しかない」
戯画と源氏絵巻を比較してこのように述べる手塚先生の考察は、まさにその通りだろう。
美しいがただそれだけ、心を動かすものが無い。

こういうのは現代にも通ずる評価だと思う。
例えば正論ばかりを並べたお行儀の良い論文よりも、多少お下劣な単語が入っていても心から述べた言葉の方が真をつくという事だ。
AIに作らせてコピペした文章には心が無い、ってのと同じ意味に思う。

と話が脱線したが、とにかく鳥獣戯画のもつ自由な線と躍動感のある描写は、日本が世界にもっと自慢して良い文化の一つだと深く認識した。
絵巻はさておき「源氏物語」も、日本が世界に誇る長編小説である事は間違いない。
こういう文化芸術の根っこをもつ日本を、私たちはもっと知るべきである。
日本のアニメに感激して、来日したり移住してくる外国人も多いのだ。もしかしたら彼らの方が、日本の文化的価値を熟知しているのかもしれない。

番組の最後、手塚先生はキラキラした瞳で語る。
「手すさびに描いた、痴絵(おこえ)という、どっちかというとばかばかしい絵が、今の漫画のルーツになっている。ということは漫画の精神とはそういうものにあるんだ、というはっきりした証拠」

「そういうものが現代の芸術として息づいている。見る人に活気を与えて、作家の熱みたいなものを、もう心の底まで射るように与えるということは、偉大なことじゃないかという気がします。僕はもっと世界に発表していいんじゃないかという気がします」

そんな亡き手塚先生の熱い思いは、たくさんの作品に息づいている。これからも心して読もうと思います。


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