最悪や最高の共有。
こないだ見かけて、いいなと思ったツイート。
「私は、わがままでせっかちで少し不安定。ミスを犯すし、自分をコントロールできないときもあれば、扱いにくいときもある。でも、もしあなたが私の最悪の時にきちんと扱ってくれないなら、私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はない」ってマリリン・モンローの言葉凄くわかる
(引用元はこちら)
最悪を共にしてくれない人に、私の最高の瞬間を味わう権利はない。
たしかに!
そして、思う。
最高の瞬間をきちんと扱ってくれる人も、そう簡単にはいない。
良さそうなときに、色んなことや人が一時的に集まってくる事象はさておき。
「味方」「理解者」だと思っている人、お互いにとって大事だと認識している関係であっても、最高の瞬間を心の底から一緒に浸れる、そういう関係を築くのは、意外と難しかったりするんじゃないかなと思ったりしている。
大切な人にとって本当に素敵な瞬間を「うらやましさ」やどこかで「自分の方が」とマウントをとってしまう気持ちのようなものが、あったりなかったり。
嬉しくて仕方ないことよりも、ちょっとした失敗談の方が話しやすかったりもする。
大切な人とは、最悪も最高もきちんと扱いあえるような関係を築きたいなと思った話。読んでくれて、ありがとう。