見出し画像

アントワーヌ・ドウネル≒フランソワ・トリュフォー

 アントワーヌ・ドワネルは走る。少年鑑別所から逃げ出し、海に向かってひたすら走る。『大人は判ってくれない』のラストシーンだ。
 アントワーヌ・ドワネルというのは、フランソワ・トリュフォーが生み出したキャラクターだ。『大人は判ってくれない』『二十歳の恋』『夜霧の恋人たち』『家庭』『逃げ去る恋』と約30年をかけ、5本の映画に渡って、ジャン=ピエール・レオ演じるアントワーヌ・ドワネルの半生を描く。
 ちなみに、フランソワ・トリュフォーとは、フランスの映画史における革命的な動き”ヌーヴェル・ヴァーグ”の中でも最も早く表舞台に上がった1人で、最も有名な映画監督の1人だ。女性と子供が大好きで、とても魅力的に描く彼が、ドワネルという男の成長を描く。

 ドワネルは身勝手で不器用なのだが、彼の少年期から見ているせいか、彼が何をしても許そうと思ってしまい、失敗すら愛くるしく思えてしまうのだ。職についてもうまくいかず、仕事を転々とするドワネル。『夜霧の恋人たち』では探偵の職に就く。これは、ドワネルが兵役を経て、社会復帰の道を歩もうとするドワネルにいろいろな職業を経験させ、いろいろな環境に身を投げ込んでみようとする、トリュフォーの意図を見事に実現させた戦略である。実際にドワネルは探偵として靴屋に潜入し、そこで映画的なドラマが生まれている。
 そのドラマというのは、クリスチーヌという恋人を持ちながら、靴屋の社長夫人と恋に落ちるというものだ。そこで、恋の打ち明け話の相手を持たないドワネルは(『二十歳の恋』の時まではいたのだが…)、鏡に向かって2人の女の名前を呼ぶ。必死の表情で、ものすごい早口で、2人の名前を交互に口にするが、次第に自分の名前を呼んでしまう。これについてトリュフォーは、「同じ言葉を繰り返し口にしていると、それは意味を持たない音だけのものになってしまい、やがて自分が自分であることを確認するために自分の名前を呼ぶ。誰にでもこんな経験はあるでしょう。」と言っているが、僕は小学生の頃、風呂の鏡に書いた好きな子の名前を消し忘れ、後に風呂に入った親に見つかったというエピソードを思い出した。似たようなものかもしれない。

 社長夫人と話している際、あまりの緊張に「はい、ムッシュー」と言ってしまうドワネル、妻を持ちながら会話がうまく弾まない日本人女性に恋をするドワネル、久しぶりに遭遇したかつての思い人コレットを追って列車に乗り込むも、キスを遮られ、「ここにはいられない」と列車を止めて逃げ出すドワネル、とても愛くるしく思えてしまう。

 そんなドワネルは、トリュフォーが自分を投影する対象として生み出したものである。『大人は判ってくれない』は、実際に不良少年だったトリュフォーの自伝的映画でもあるし、思い人が家族で住む真正面に引っ越したり、失恋を機に兵役に就くも不適合として除隊になったり、多少脚色はありながらトリュフォーの実体験も混じっている。
 映画評論家・山田宏一氏は「『勝手にしやがれ』でベルモンドが車を盗むのは娯楽の一部でしかないが、ドワネルが牛乳を盗むのはただ空腹を満たすためだ」と言う。この言葉に、トリュフォーのヌーヴェル・ヴァーグの中での立ち位置が表れている。ブルジョワな家庭で何も苦労することなく映画を撮ることができたゴダールやシャブロルとは違い、ひたすら苦労を積み上げながら、「カイエ・デュ・シネマ」(フランスの映画雑誌)の批評家としての知名度を高めてゆき、『大人は判ってくれない』で映画監督として成功を収めたトリュフォー。彼は偉大な映画監督である。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集