マガジンのカバー画像

ねこめも

43
アイデアや日々のつぶやきなどを雑多に書き留める。
運営しているクリエイター

2018年12月の記事一覧

『どろぼう猫』という一般的にはひどい名前の由来が実は少し哲学的なんです。
というのも、相違なる二者が互いを十全に満足させるような場合はなく、どこかに穴を残すからで、この穴の一部を埋める存在としての『どろぼう猫』を自称することで、穴の存在を主張しているわけです。まぁ嘘なんですけど。

客観的な世界はカオスに向かい、主観的な世界は整序に向かうと表現したほうがよかったかもしれないですね。

実は、私が散々語っている“喧嘩”というのも、整序に向かうための人間の営みなのです。

世界に対して決定したがるのに、世界から決定されるのは嫌がる。そんなわがままな人間が私です。

私は、世界に対して不定であろうとする。

世界は一般にそのエントロピーを増大させるが、思考は一般にそのエントロピーを縮減させようとする。

‪妥当を語るにしても、なんらかの非妥当を認めないと、永遠に墜落するか、命題として失格する。それが論理の特性。‬

まあ、やっぱり普通に命題として扱ったりは無理ですので、語るといっても特殊な語り方になるでしょうけど。

黒猫本時代にはgmailさらしてお題を募集してたんですけど、一度疑問文を命題として私に意見を求めてきたものがありました。
その投稿者様が無知だったのか何かを狙っていたのかは知りませんが、疑問文だからと一蹴するのもつまらないかなということで、いずれ少し語りたいなと…

論理学初学者がよくハマる陥穽として、演繹を神聖視しがちだということが挙げられる。同時に、帰納法や抽象化を軽視し、ひどいときは忌避する者もいる。

学習には必ず抽象化ないし帰納法が必要なのに。

美しい定義

論理演算子:真理値から真理値への関数
述語記号:個体定項から真理値への関数
関数記号:個体定項から個体定項への関数

これ把握しておくと今後白猫本を円滑に読めると思います。もちろん一般的な論理学にも通用する定義です。

一介のコメ勢だった私の意見に対して──それも移設したにも拘らず──今も反応をくれる人たちがいるの文字通り「有難い」ことだと驚いている。
喧嘩ないし論争の魅力に取り憑かれた仲間がいるのも嬉しいことです。

理に支配されているということは、“生”そのものである。
理の外は、“死”そのものである。

また、 page9 は命題論理の範囲での遷移しか扱えませんので、近いうちに“量的遷移”として述語論理の範囲でも扱えるような遷移関係を規定します。

なんにせよ、 page9 の理解は前提になると思いますが。

page3では概念を関数によって規定したけど、人格も関数によって規定できると思うんですよ。page10はそれについて書く予定です。
忙しくてまとまった時間なかなかとれないのですけど。

アインシュタインの哲学を宮台真司先生が読み解く。

宮台真司先生が今月7日に神について話されていたようで、その内容に驚いた。というのも、当ブログが page7で話したことと極めて近かったからだ、というか、私はもうそのまんまだと言って良いのではないかと思っている。

詳しくは上の🔗から視聴していただきたいが、要約すると、世界=神(哲学的には、概念全体の集合)は、世界のうちに存在し得ない。よって、「世界=神は、存在しないという形で存在している」のだと

もっとみる

page9 では、アバターIにとって命題Pが真であることを、 I(P)=⊤ と表現する箇所がありますので、今後もこのような表記をする事を、ここでお断りしておきます。

一応、凡例の page にも書いておきました。