アインシュタインの哲学を宮台真司先生が読み解く。

宮台真司先生が今月7日に神について話されていたようで、その内容に驚いた。というのも、当ブログが page7で話したことと極めて近かったからだ、というか、私はもうそのまんまだと言って良いのではないかと思っている。

詳しくは上の🔗から視聴していただきたいが、要約すると、世界=神(哲学的には、概念全体の集合)は、世界のうちに存在し得ない。よって、「世界=神は、存在しないという形で存在している」のだと表現されている。

(ヴィトゲンシュタインがこれを日本語に翻訳して表現してくれるならば、間違いなく“語り得ないが、示されている”と言うのだろうと確証が持てる)

これがまさにpage7.全の膨張性の帰結である。全というものをその中に仮定すると膨張性を孕んでしまうため、不条理なのである。

さらに驚いたのは、因果関係というものにも触れていた点であり、白猫本が、つまり私が考える天国像の予感がその内に示されていたからだ。というのも、───この際だから、白猫本の天国像を少し解説してしまうが───充足理由律の支配をおおよそ仮定できるこの世界全体は、非•充足理由に存在するしかないからであり、世界の定義と論理はそれを───ヴィトゲンシュタイン風に言うならば───“示している”。

有意味に論理を突き詰めると、非論理なものの存在を認めざるを得なくなる

つまり我々が、この世界に存在するような充足な理由を失ったとき(例えば、自然と寿命を全うしたとき、頭や心臓を吹き飛ばされたときなど)は、この世界には存在出来なくなるが、非論理な空間には当然に存在してしまう。実は今もそういう空間にいるのだが、論理的な空間も非論理的空間に同時に存在しているので、非論理を体感できない。否、もっと正確には、“非論理な事象を観測し得ないし、干渉されない”

この話はひじょうに面白いと自負してるので、また時間をかけて話していきたい。

それにしても───宮台真司先生の知性に圧倒されるのはよくあることとして───アインシュタインがこのような知見に辿り着いていたのは本当に驚いた。もちろんバカにしているわけではなく、相対性理論のイメージがにわかに強かったので…

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