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わたしは「。」に恋してた。

半年くらい前、日本では「マルハラ」というニュースが話題になった。
LINEやチャットなどの短文のやりとりで、文末に「。」がついていると、冷たい、怖いという印象を受ける若年層がいるそうで、コミュニケーションに支障をきたしているという。
また、「。」をつけること自体が「おばさん構文」、「おじさん構文」と言われたりもして、物議を醸していた。


そのニュースがきっかけなのか、友人や知人、そのほか身の回りに流れていくSNSやLINEのやりとりから、「。」が一気に姿を消した。

今までも、LINEみたいな短文のやり取りで、文末に「。」がないのはよくあった。でも、最近は何文にもわたる文章であっても「。」を除外して書く人が増えたように思う。

1,2文のまとまり、投稿ならわかる。
でも何文も連ねるために、改行したりスペースをあけたりする人もいる。
それなら「。」を使ったほうが楽じゃん!と思うのだけれど、そういうものでもないらしい。


この変化のバックグラウンドがどういうものなのかはわからない。
自分はニュースで騒がれたような「おじさん構文」「おばさん構文」の使い手じゃないと示すための抵抗かもしれないし、「。」を怖がる人たちへの配慮なのかもしれない。
今まで長きに渡り、「。」を使うことに何かしら疑問を持っていた人が、「今こそ反旗を翻すとき!!」と喜び勇んで「。」を外しているのかもしれない。


各々の理由はあるのだろうけれど、SNSを中心にネット上で「。」を使う人が圧倒的に減ったのは確かだ。


別にわたしも、使わなくなった人をとやかく言いたいわけじゃない。
「。」をつけるだけで、おじさん・おばさん認定されるのは嫌だから外そうと思う気持ちも分かる。
配慮による「。」の排除も、優しさでもあるから決して悪いことじゃない。

詩や短歌と同じく、文芸的な創作上の表現・スタイルの一つとして「。」をつけないことを選んでいるといる人もいるだろうから、それももちろんいいと思う。
「。」をつけるかどうかの選択が、以前よりも自由になっただけなのかもしれない。



でも、「。」がほとんど消えた文章を眺めながら、最近ふと思った。




わたしは「。」が好きだった。




文章の終わりを記号的に示しつつ、最後に「マル」という柔らかい形で完結させてくれる存在。サイズも目立ちすぎず、見えないわけでもないちょうどいい大きさで、「物事を丸く収める」の象徴のような存在。

文章を理解するスピードを維持するためにも、「。」はわたしの中で欠かせない存在だった。



なのに「マルハラ」という言葉をきっかけに、「。」は文章から姿を消してしまった。



なんなの、この喪失感。
失ってから気づく「 恋 」みたいじゃない。



感覚としては、実際そうなのかもしれない。
ニュース記事や本、SNSでも企業、作家さんや学者さんのアカウントには比較的まだ存在しているけれど、それ以外のところでは本当に見かけなくなった「。」。



なぜ「。」あなたは、こんなにもネットの世界から排除されてしまったの?
ただ文末にそっと佇んでいて、文の終わりを伝えていただけなのに。
一部の人たちに印象が悪いというだけで、ここまで追いやられる理由はなんなの……?


あなたが何をしたというの?
その悪い印象も、そもそも「。」を使っていた一部の人をあまり好きじゃない一部の人が、「。」のせいにして、なにか言いたかっただけじゃないの?
その抗争に、「。」あなたは巻き込まれただけなんじゃないの?


もしそうなら「。」あなたのせいじゃないじゃない!
「。」あなたはただ、濡れ衣を着せられただけじゃない!
「。」あなたはなにも悪くないわ!



わたしは今、そんな気持ちになっている。
完全に「。」に恋したオンナだ。





調べてみると、「。」の歴史は案外浅く、江戸時代初期の頃に印刷術とともに現れた記号らしい。鎌倉時代には「・」、それ以前の奈良時代から「、」が存在しているらしい。
つまり文章の記号としては案外新参者のようだ。



だからといって、わたしから「。」への想いを奪うことはできない。
だってわたしの心と読解スピードは「。」あなたのものなのだから。



そんなわけで、わたしはSNSなどでもずっと「。」を使い続けている。
短文のやりとりこそ、読みやすさが重要だと思うからだ。
とはいえLINEなどで「わかりました」みたいな言葉ひとつに「。」をつけることはしなくなったけれど。
「。」をつけるのが礼儀(正しい文法を使う)だと思われなくなった時代に、いちいち「。」をつけるほうがめんどいのだ。
雑なやり取りをされたと、相手が不快にならないならそれでいい。



そしてきっと、このようなことをすでに書いたり訴えたりしている人は、ごまんといるだろう。
それくらい文章読解に多大なる影響を与えてきた「。」を愛する人々が少数派ではないことを信じている。
わたしもその一人として、「。」への恋心をここにしたためておきたいと思う。


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