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『共鳴する部品表 BOMが起こす組織再生ドラマ 第五章』
第五章:小さな成功体験
BOM導入プロジェクトチームが取り組んできた「小規模ラインでの試験導入」は、次第に明確な成果を上げ始めていた。そのラインでは、製品構成が比較的シンプルで、社内標準部品をメインに使っているため、BOMの効果が出やすかったのだ。購買担当・林と倉庫管理・田代が中心となって「共通部品の在庫最適化」を徹底し、結果として在庫スペースが約^20^%縮小、納期遅延はほぼ解消された。
工場長の松尾は、久しぶりに明るい表情でこう言う。
「いやあ、こんなにスムーズに流れるラインは久々に見たよ。みんな同じ情報を参照しているから、急な変更にも対応しやすい。かつては“職人の勘”で何とかしてたけど、若手にはハードルが高かった。それが仕組みとして可視化されると、誰でも同じレベルで作業できるんだな」
若手社員も、複雑な手順書や現場での先輩の顔色をうかがわずに、BOMから必要な部品と手順を確認できるようになったことで、自信をつけ始めている。
「なるほど、こういう細かいところまでBOMに載せてるのか。助かるわ」その現場の雰囲気をチームメンバーが視察し、喜びをかみしめる。
「やっぱり、実際に成果が目に見えると説得力が違いますね」永井が笑顔で言うと、林も大きくうなずく。
「うん。この成功事例を社内にもっと共有すれば、抵抗勢力も少しは心を動かされるんじゃないかな」
そこでプロジェクトチームは、「BOM導入の成功事例発表会」を開き、全社に向けてプレゼンを行うことを企画した。参加対象は部長クラス以上とし、事例ラインのメンバーに協力してもらいながら、ビフォーアフターをわかりやすく説明する。
「納期遅れは○○%削減、在庫コストは○○万円削減……といった数字もしっかり出すと効果的だね」井上が資料の叩き台を作りながら話す。
「うん、やはり数字は大事。あと、現場の声も動画とか写真つきで紹介しよう。データがちゃんと根拠になっているところを見せれば、設計部門だって無視はできないはず」佐野はそう言って意気込む。
一方で、コンサルタントの千葉は「数字やデータだけでは不十分」と助言する。
「人間は理屈だけで動く生き物ではありませんからね。『自分たちの仕事がこう変わった』という生々しい実感が伝わるといいと思います。現場がどう感じたか、その声を聞いてもらうことが大事です」
「確かに。自分の作業が楽になった、とか、残業が減った、っていう話があれば、みんな興味を持つかも」永井がうなずく。実際、工場の若手作業員からは「BOMのおかげで部品探しの時間が減った分、スキルアップの勉強に割けるようになった」といったポジティブな声もある。こうして、プレゼン内容が具体化されていく。
そして迎えた発表会当日。会議室には社内の部長クラス以上の社員がずらりと並ぶ。設計部の薮下もその席に座っており、腕を組みながらスクリーンを睨んでいる。
まずはリーダーの佐野が概要を述べ、続いて林と田代が具体的な現場事例をプレゼンする。
「従来、このラインでは在庫スペースを大幅にとっていましたが、BOM導入と同時に部品の共通化を促進し、必要数と最適なタイミングでの発注を徹底しました。その結果……」スクリーンに表示されるのは、Beforeの倉庫写真──箱が山積みで通路が狭い──から、Afterの写真──整然と並ぶ在庫に赤いラインが引かれ、ここから上は使っていない状態を示している。
「ご覧のように、常時在庫が減って、作業動線もスムーズになりました。欠品は起きず、むしろ無駄な注文が減っています。結果的に納期遅延も大幅に減少しました」それを見た数人の部長が、驚いたように小声で話し合っている。
「ずいぶんキレイになったもんだな……ほんとに同じ工場か?」
「人員を増やしたわけでもないだろうに、これだけ変わるとは」
続いて永井が、ライン作業者のインタビュー動画を再生する。
「BOMで何がどこにあるか分かりやすくなったし、万一仕様変更があったときも、ちゃんとデータが更新されてるかを確認すればOKなんで、安心ですよ」
「前は“これがない、あれが足りない”って走り回ってたんだけど、最近は自分の作業に集中できるから楽になりました」画面に映し出される現場の声に、会議室内で小さなどよめきが起こる。やはり社内の人間が話しているとなると、信憑性が高い。
プレゼンの後半で、佐野はこうまとめる。
「もちろん、これはまだ一部の製品ラインだけの事例です。今後は設計段階から情報を統合し、BOMを本格的に回していく必要があります。そのとき、設計部門の積極的な協力が欠かせません。薮下部長、よろしければ、設計がBOMにどう関与すべきか、ご意見をお聞かせいただけますか?」
唐突な指名に、会議室の空気が少し張り詰める。薮下はやや険しい表情を浮かべながら席を立つ。
「正直、まだ疑問もある。設計は“創造の現場”であって、細かなデータ入力や標準化にかかりきりになれば、本来の仕事に支障が出る可能性がある。だが、今回の事例を見て、ある程度のメリットがあることは認めざるを得ないな……。みんなが同じ情報を見られるなら、協働もしやすくなるだろう」
全員の注目が薮下に集まる。その視線を受けながら、薮下は深い息をつき、言葉を続ける。
「このまま競合他社にシェアを奪われるのは私としても不本意だ。私にできる範囲で協力を検討させてもらう。だが、設計というのは常に変化する領域だからな。BOMに情報を載せること自体がゴールじゃない。そこを忘れないでほしい」
「もちろんです。むしろ、変更に柔軟に対応できる仕組みが大事だと思っています」佐野が返すと、薮下は軽くうなずいて席に戻った。
会議室にはホッとしたような空気が広がる。社員たちからは拍手こそ起こらないものの、「これならうちの部門でもやってみる価値がありそうだ」という声が少しずつ漏れ始めていた。
この発表会を機に、BOM導入に対する社内の空気が微妙に変化しはじめる。
「うちのラインでもやってみようか?」製造部の別のラインリーダーが興味を示し、購買と倉庫管理が連携して「まずは品番を整理しよう」という動きが出てきた。
「設計変更を回収できる仕組みなら、こっちも仕事がやりやすくなるぞ」営業部の中には、BOM導入による納期短縮やコスト削減をアピールポイントとして、顧客に提案できる日を心待ちにしている者もいる。
それでも、依然として「忙しくてそんな余裕はない」「現場の混乱が増える」という声がゼロではない。しかし、小さな成功体験が“ポジティブなうわさ”を生み出し、少しずつ他部門を巻き込む効果を発揮していた。
変化の波が広がる中で、設計部の中堅・橋本の去就問題も浮上していた。薮下は、橋本が他社への転職を真剣に考えていると知り、珍しく個別面談の場を設けた。
「おまえ、今どんな心境なんだ?」
「正直、今のままじゃ設計の仕事が苦痛なんです。どんなに頑張って設計しても、社内の連携不備でミスや遅れが出たりして……結局は“橋本のせいだ”と責められる。それなら環境の整った会社へ行きたいと考えるのは自然ですよ」橋本ははっきりとそう言い放つ。
「設計部門こそが会社の心臓だと思っていたが……おまえたち若い世代にはそう見えてないのか?」
「心臓ではあると思います。が、いまの設計部はあまりにも属人的で、デジタル化や仕組み化が遅れてる。先輩や部長のカンを盗むしかないのが現実で、他社では既にCADとBOMの連携なんて当たり前にやっている。それを活かせばもっと高度な設計に時間を割けるのに……」橋本は苦笑いして答える。
「……そう、か」その言葉に、薮下は頭を抱える。BOM導入に前向きな若手が、いまの会社ではスキルを十分に発揮できないと感じている。それはたしかに、この会社が抱える本質的な問題かもしれない。しかし、橋本がすぐに心変わりするとも思えない。彼は一度、自分の将来を真剣に考え、「今の会社にいても成長できないのでは」と結論づけているのだ。
「……わかった。おまえの決断を尊重する。でも、俺もあと少しだけ頑張ってみるよ。設計部が変わる可能性を見せる。それを見て、行くか残るか決めてくれ」薮下はそう言うのが精一杯だった。橋本は答えずに、わずかに目を伏せる。
翌週、設計部では薮下からの指示で、「主要製品に関する部品表整理」を始めることになった。まだBOM本格導入とはいかないが、まずはエクセルベースで「設計者ごとにバラバラな品番や図面番号を整理し、統一的なリストを作る」作業だ。横井や橋本をはじめとする若手が中心になり、過去の図面データや改訂履歴をひっくり返しながらコツコツ作業する。
「ここ、品番が似てるけど実は寸法違いなんですよね。紛らわしい……」 「こっちはもう廃番のはずです。使ってないんで、BOMには載せない方向でいいかと」
「いや、一部の客先向けに継続使用してるとかない? 確認しよう」
こうした地道な作業の中で、徐々に「ああ、今までどれだけ無駄な混乱を生んできたんだろう」という気づきが生まれてくる。作業に参加する橋本も、眉をひそめながらため息をつく。
「正直、こんなの最初から仕組みがあれば簡単に処理できるのに……。何でずっとやってこなかったんだろう」
「昔は人が多かったし、職人のカンで回ってたんだよ。設計も生産も、なんとかなってた。いまはもうそうじゃないってことだろうね」横井が申し訳なさそうに答える。
部屋の片隅でその様子を見つめる薮下は、複雑な表情を浮かべるが、何も言わずに自分のデスクへ戻る。そしてCAD画面を閉じ、引き出しから厚手のノートを取り出す。そこには薮下自身が二十年以上もかけて書き溜めた、「設計上の要点やトラブルシューティング」がびっしりと詰まっている。(これも、デジタル化して共有すべきなのか? 俺の宝の山を……)そんな思いが頭をよぎる。だが、このノウハウが会社の財産になるなら、「開示すべき」という考えが少しずつ芽生えているのも事実だった。
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