もはや人間でさえない【No Longer Human 「人間失格」漫画版(伊藤潤二)English Edition書評】
太宰治の「人間失格」を漫画で読んだ。
伊藤潤二の表現力がもう才能の塊すぎて言葉が出ない。
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太宰の原作にはないいくつかのエピソードとオリジナルの結末。
それでもストーリーの軸と、" 人間の弱さを徹底的に追求する" という作品のコアは十分に保たれ、漫画でしか感じられない、目に見える" 悲惨さ" と" 狂気" が並外れた画力で描かれる。
すごいよ、太宰はもちろん、伊藤潤二がこんなに並外れた作家だったとは。
こんな作品他に読んだことない。
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大庭葉蔵は過去から逃れるために生きている。
自己破壊は" 死ねる" という実感を味わう至高のルートだ。それは同時に、" 生きている" ことを意味するのだが。
分かる、分かるよ。まるで自分を見ているよう。
過去とケリをつけるといった発想は賢明ではありません。過去に実体はありませんから、絶対に勝てません。
そうなんですよ、だから苦しい。
だけどどうすれば良い?
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間違いないのは、それが人生ということくらい。
ニーチェも澁澤龍彦も芥川もゴーリキーもシチェドリンもみんな似たようなことを書いていて、
孤高の作家はみんな自殺する。
誰かが、" 生きるために死んだ人がつくった歌を聴いている" みたいなこと謳ってたなあ、誰だっけ。どこかで読んだ。
太宰の海外評価は奮っていない。(国によると思いますが)
小説も漫画も共に一社ずつの英訳のみ且つ
「何が言いたいかわからない」「鬱のトリガーになり得る作品」「とにかく読むのがハード」と酷評である。
邦作品によく見られる" 儚さ" と海外文学の" 悲劇" との間にはやはり溝があるらしい。
伊藤潤二の「人間失格」が英訳されたのも、海外で" 伊藤潤二" が大人気だから、という単純な理由のように思う。
今週は調子が悪かった。
火曜日に仕事を休んでからそのまま気持ちは奮わず、出勤するも考え事が止められず。
頭を整理したくて紙に書き出したら、今度はじゃあこれを「言う?」「言わない?」で頭がいっぱい、モヤモヤの無限ループ。
人生について行くだけの精神力がいつも足りなくて、馬鹿な行動をしている。
考え始めたらきりがない過去の失敗の数々。
生き続けるのは疲れたけど、" 死ぬ" ほどの労力はないから死にたくはないなーというぼんやりした考えがいつも頭の片隅にある。
死ぬには相当の力が要るのだ。
大庭葉蔵はわたしと紙一重。
【追記】
日本では古屋兎丸という方も「人間失格」を漫画化されているようです。
20世紀の漫画家では伊藤潤二と楳図かずおが英語圏で人気。