眠るのって難しいよね
毎日布団に入ってすぐにぐっすり眠れる人にはわかるまい。私は眠るのが難しい。
思い起こせば、かなり小さい頃からずっと難しかった。
大人が先に寝てしまったひとりぼっちの長い夜は暇で暇で仕方なかった。
よく1人で起きては寝室から出て、怒られた。
「どうしたら夜眠れるの」
「眠っているのはどういう状態なの」と毎日のように聞いていた気がする。
一度、「横になって目を瞑っているのが眠っているという事だ」
という多分間違っているであろう回答を大人からされたことがあり、それから夜はただ横になって目を瞑っていた。
でもそれは眠っているわけでは無いのでやがて飽きる。
小さい子供に朝までの長い時間を耐えることはできなかった。
ただただ親を起こさないように布団から抜け出す事だけに集中する時間が、その頃の大半を占めていたと思う。
他にも枕の下を触る、暗闇で目を慣らして自分の手を見る、まじで羊を数えてみるなど、ありとあらゆる時間の潰し方をしていた。
ただ、眠ることだけができなかった。
少し大きくなって人生のコンテンツに読書が爆誕した。
それは読書家の祖母によってもたらされた素晴らしい文化で、私は読書にそれはそれは爆ハマりし、隙あれば何か読むようになった。
ゲームにもパソコンにも携帯にも出会う前、物語を読むことは日常で起きるどんな事よりも楽しかった。
当然、寝る時も本を持つようになる。でも家族と同じ寝室ではすぐに電気を消されるので本を読むことはできない。
だからといって眠ることもできない私は、何とか豆電球に本を近づけて読んでいた。
平成版二宮金次郎は私である。
持て余した時間としては、マシにはなったが、当然目に悪いしバレたら怒られるし大して良策では無い。
この頃にさくらももこエッセイシリーズと出会った。
この作品で文字の羅列だけで人間が笑うことができる事を知り、毎晩豆電球に文字を照らして声を殺して笑っていた。
【限界豆電球読書 平成二宮金次郎期】の次はたまごっち期だった。
ペットと暮らすことに憧れていたものの、当時は叶わなかったその頃の私にとってたまごっちは夢のようなおもちゃだった。
凝りに凝った名前を付けたり、あえて「ぽち」にしてみたり、恐らく当時の同年代のたまごっちユーザーの中でも、かなりその生活を謳歌していた。
通常、ある程度育ったたまごっちは結婚し、またその子供を育てるシステムなのだが、私は手放すのが惜しく、毎回おやじっちという顔から手足が生えた化け物に進化させては、老衰させてしまっていた。
その度号泣していたので今のたまごっちが死なないのは嬉しい。
特に【死因 老衰】は廃止されて良かったのではないだろうか。
当然寝る時もたまごっちを持っていたのだが、たまごっち達は大変規則正しい生活リズムを持っている。
そのため私が一番暇を持て余す深夜、彼らはたまごっちワールドの白黒ドッドで形成された謎のベッドで、すやすや眠っていた。
その時に出来ることは、彼らの健康状態のチェック位であった。
ちなみにここで健康状態が悪かったとしても本人が起きるまでどうにもならない。
割とめちゃくちゃである。
それが余計につまらなさに拍車をかけたのかどうかは忘れてしまったが、たまごっちとの眠れぬ深夜の思い出はあまり多く無い。
そのため限界豆電球読書はこの時も常に続いている状態だった。
その後訪れるのはガラケー、DS時代である。
自ら放つ光で暗闇でも操作可能なこれらは革命だった。
また、この頃少しの間だけ自分の部屋を持っていたことで大変自由度が高まった。
この頃の眠れない夜が一番充実していたかも知れない。
もちろん今考えると、出来ることは限られていたがガラケーでせっせと親友に送るデコメを作成したり、数少ない持っているDSのカセットデータをほとんど無敵に仕上げたりしていた。
親友にとって朝になると大量に届く私からの凝ったメールは不気味だったはずなのに、優しい人なので喜んでくれていたと思う。ありがとう。
その後スマホが現れ、家族との共同生活から離れ、眠れない私の時間はかなり自由なものになった。
ところがある程度年齢を重ねた事で
「明日の予定のために眠らなければならない」
という新たな強敵が現れた。未だ勝機はゼロである。
眠れない事に対しては、この世にありとあらゆる対策がある。
その多くは現代人のスマホ使用により眠りが妨げられているという結論で電子機器の光を浴びない事を1番の対策としている。
しかし私のように電子機器の存在を知るずっと前から眠れない人はどうしたらいいのだろうか。
こうして文章を書いていても一向に眠れる気配は無い、今日は眠れない日の中でもより深刻な方だったようだ。
外で鳥が、鳥が鳴いています。もうすぐ郵便が来るでしょう。嘆き、嘆き。
たった今郵便が来た、嘆き。
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