誰かから 「ほら、やっぱりイケメン好きじゃん」 と鬼の首を取ったように言われ 「だから最初からそう言ってるじゃん!」 と返した回数がそろそろ万を越えそうなのでこの圧倒的に好感度が低い「イケメン好き」の弁明をそろそろ真剣に考えたい所だ。 いや好きだろ、イケメンは。 ここでいうイケメンとは仕草や考え方生き方などの見えない要素では無く、 単純にスタイルが良く顔が綺麗な事である。 私はイケメンが大好きだ。 理由はシンプルに、それが自分に無いものだからだと思う。 私は自分の容
それから私は 私を雇ってはみないか、とあらゆる本社という本社を練り歩いたり格安バーで隣に座った年下の生意気な男とダラダラしたり友人と1日に浴びてよい楽しさを裕にカンストした楽しさを浴びたりなど それらで人生が激変する事はないが、永きに渡って一生じわじわ影響されそうな経験を踏み締めていた。 年下の生意気な男と欲望という言葉を映像化した様な日々の終わり頃、なんとなくの会話で 「サヤちゃんは、あの日俺とメロン食うまで何してたの」と聞かれた。 彼は単にどういう飲み会からその日一緒
「そりゃお前の妄想で作られてお前の夢の中で完結だろ。」と一蹴する人に話す事は無ぇ。 これは私にとって死活問題なのだ。 前回のnoteで私は幼少期から眠る事が苦手で現在でもそれに悩まされてる事を書いた。 そんなに眠る事が苦手であるため私の睡眠の質は恐らく最底辺であるのだと思う。浅い眠りで見るものとされている夢をしっかり見る事が割とある。 眠ると必ず夢を見てそれを覚えている、というわけでも無いが、時々 「その夢の中の主人公の生涯分の感情を味わう」 様な夢を見る事がある。こ
毎日布団に入ってすぐにぐっすり眠れる人にはわかるまい。私は眠るのが難しい。 思い起こせば、かなり小さい頃からずっと難しかった。 大人が先に寝てしまったひとりぼっちの長い夜は暇で暇で仕方なかった。 よく1人で起きては寝室から出て、怒られた。 「どうしたら夜眠れるの」 「眠っているのはどういう状態なの」と毎日のように聞いていた気がする。 一度、「横になって目を瞑っているのが眠っているという事だ」 という多分間違っているであろう回答を大人からされたことがあり、それから夜はた
ゆうちゃんと道を分かれて数日、決定的に解散したその日に気を紛らわせようと会った男と私はピザ屋のベンチで手を繋いでピザを待っていた。 「さーちゃんしりとりしようよ」 「よ、寄り道」 私のアグレッシブなしりとりの始め方にその人は笑ってくれた。 「そういう所いいわぁ」 向こうが始めたしりとりなのに私の出した(ち)のパスは何故か1ターン目で流された。でも良いと言ってくれることが嬉しかった。認めてくれるこの人と繋いだ手の感覚が鋭くなり体温を感じる。この状況に(道はこっちだった
なにこれ!noteって呟けんだ!
私の人生の珍しい経験の一つに「露出狂に遭った」というものがある。 確か中学3年生位のことだったと思う。私は田舎の山の麓にある学校に通っていた。田舎の山の麓なので夜は道が暗く、最寄り駅は徒歩30分以上かかる到底"最寄り"とは程遠いものだった。 その日私は部活を終え、友人と2人で駅までの道を歩いていた。外は暗かった。 距離があるのでバスやタクシーなどの選択肢もあったのだが、お喋りが楽しい盛りの私達には最寄りとは言えない最寄り駅までの徒歩の道のりも一つのイベントだった。 距離
私は相変わらず、独り身であるのに洗濯物に追われたりする穏やかでいてそうなりたかったわけでもない日々を過ごしている。 noteを始めたきっかけであるお笑いコンビ奇文学は何だかよくわからない状態になっているけれど、面白かった事や覚えておきたい事は今後も順次書き起こしていけたら、と思う。 「もっちり」は、ある日公園を歩きながら話していて相方のゆうちゃんが発した私の体型に対する評価である。 確かゆうちゃんが「俺はガリガリなので絶対に脱ぎたくない」という謎の持論を展開し、対して私は
当然芸人になろうと思ったから相方を探して舞台に立った。全てが素晴らしく楽しくて、やっと見つけたかった何かを見つけたような気がした瞬間も多かった。 あまりにもお笑いの経験を浅く過ごして来てしまったから、始めてからもお笑い一本で生きて行こうと決めることに悩みに悩んで度々躊躇してしまった。でも「やって行こうよ」と言ってくれる人と組めた。だから腹を括ったつもりでいた。 そんな経緯だったから「芸人をやる覚悟」と「このコンビでやる意志と熱意」が同時に形成されていってしまった。きっとこの
さて、我々奇文学はライブに向けて結構な頻度でせっせと集まっては稽古をしたりしていた。 最近の携帯の着信履歴には相方の名前しかなくなっていた。 こうなるとコンビを組む前何をしていたのか自分でも疑問に思う。あまり外に出られず人に会えないご時世もあっただろうけれどそれを抜きにしても空っぽな日常だったように今は思える。 衣装を着てみて襟に髪がかかるのが気に食わなかったので髪を切った。 女は髪が命なんて言葉もあるけれど執着は無い。なんなら今回美容室に行ったことをきっかけに薄毛が
どうして自分で書いた文章は後から見るとこんなにも納得いかないのだろうか。 過去二回投稿したnoteは推敲せずにその日書いたものをただ投稿している。この投稿も書いてすぐに投稿されている。その時思っていた事を後から思い出したいな、と思ってそうしているのと推敲したところで結局後から読み返したら納得いかないんだろうとも思うから。 前回の投稿を今読むと一体こいつは何のためにこんなに後ろ向きな文章をネットに流しているのだろうと思う。まあ誰も見てないし、と思わないと消さずにはいられない
前回の投稿で書いた、掲示板を通じて出会い初対面にサスペンダーで遅刻してきた奇人は驚くべきことに、まだ私とコンビを組んでいた。 勢いで掲示板にある最新の書き込みをしていた人に連絡したことから始まった、と考えるとインターネットの偉大さを感じる。 少し前まで他人と他人だった私達は二人に奇文学というお揃いのコンビ名をつけた。 全く何の共通点も持たない私達に名前をつけるのは至難の業だった。お笑い芸人として売れたい思い以外には、余りにも何も無い二人だった。「奇文学というコンビに属してい
15:25分、吉祥寺駅公園口。サスペンダーに眼鏡という出立ちで私とのDM画面を見せながら、25分遅刻した奇人が近付いてきた。 初対面である事を加味して10分前には到着していた律儀な私は暑さを凌ぐために入った店で別々の店員から2回、ひと通りの接客を受けてボディークリームを両手の甲に塗られていた。 「とりあえず歳は嘘じゃないな」というのが奇人の第一印象だった。 遡って5日前。掲示板界では地獄の谷底の入り口位に位置しているであろう「お笑い相方募集掲示板」という掲示板がある。前