【ショートショート】鶏
ある日曜の朝早くに南北に延びる家の前の道を歩いていると、何メートルか先に一羽の鶏が見えた。コッコッコッという鶏の鳴声が、わずかながら耳に届いた。
私の家は決して田舎にあるわけではない。家の前はバスも通る二車線道路で、交通量も決して少なくはない。そんな道を、どういうわけか鶏が歩いているのだ。
目に見えない誰かに首を上げたり下げたりしながら歩く礼儀正しい彼は、しっかり歩道を歩いているようだった。そんな鶏に興味を惹かれた人は何も私だけではあるまい。どうせ何もすることのない私は、気づけば鶏を追っていた。
私の歩く速度が速かったのか、だんだんと彼との距離は縮まっていった。小学校前の交差点近くに来たころには、鶏のすぐ後ろまで来ていた。ここの交差点にはしっかり信号機がついている。今は赤く光り、白い人が止まれのポーズで固まっていた。
彼はどうするだろう?
私が不安に思いながら見ていると、彼はしっかり横断歩道の前で立ち止まった。私が感心しながら横に並ぶと、彼は首を少し傾けこちらを向き、黄色い目でじっと私を見た。私も彼をじっと見た。
何秒ほど見つめあっただろう。私と彼とのあいだに何か、私にもわからない、目に見えない交流、結びつきがあったと思ったのもつかの間、彼は私から目をそらして前を向き、青にかわった信号機を見て胸を張り、首をふりふり横断歩道を渡って行った。彼の真赤な鶏冠が朝日を浴びてより紅く、燃えているようだった。
しばらく彼の様子をだらしなく口を開け見ていた私は、信号が点滅し始めたのを見て、慌てて横断歩道を渡った。彼は私を置いてどんどん先へ進んでいる。見ると、舗装されていない細い路地へ入っていくところであった。私もあとを追って路地へ入ると、彼は道から入って四軒目の家の前で立ち止まり、私のほうを見ていた。彼は私が来たことを確認すると、玄関前の石段をぴょんぴょん上がって、金属製のドアを御自慢の黄色いクチバシで鋭く叩いた。
やや間があって、中から女性の声が聞えてきた。ぱたぱたという足音がドアの前で止まると、若い女性がドアをあけ、微笑ながら彼を向かい入れた。私が二人の仲睦まじい様子をポカンと見ていると、若い女性と目が合った。若い女性は眉を寄せ、何やら不機嫌そうな顔で私を見ていたが、すぐにドアを閉め、ガチャンと鍵をかけた。
大きな音のおかげで我に返った私は焦った。確かにここには見覚えがある。一度しか訪れたことはないが、間違いない。鶏を追うことで頭が一杯だった私は、周りの景色をよく注視していなかった。いや頭に入ってこなかったのだ。確認のため鶏が入った家のドアの前まで来ると、やはり「伊藤」と書かれた表札が掛かっていた。そのとき私のポケットの中でスマホが音を立てた。見るとラインの通知。もちろん彼女からだ。恐る恐る文面を見るとそこには、
「昨日と今日は出張で東京だから会う時間はないと言っていましたけど」
とだけ、絵文字もスタンプも何もない、素気ない文字の羅列があった。
彼女が鶏を飼ってるなんて聞いてない。曇り始めた空を見あげて私はため息をついた。言い訳が固まらないまま、私の指はインターホンに伸びていた。