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『土になる』坂口恭平(文藝春秋)|読書感想文017
僕は土を概念としてではなく、生活として、実践してみたい。僕が土になる過程は、それこそ「人間にとって最重要なことが『つくる』ことである」という僕の考え方と重なってくるはずだ。土に向かうことで、哲学も開かれていく。
本書は「つくる」喜びに満ちた、自然賛歌だ。この落ち着いた明るさは何だろう。本書の執筆中は、土とともに生きることで、320日も持病の鬱が明けたままだったという。ナチュラルで穏やかな筆致だ。
『独立国家のつくりかた』『躁鬱大学』など、多数の影響力の強い本を書いてきた坂口恭平さんが、畑を耕し土と一体化しながら書いた日記。コロナ禍が始まった2020年春に熊本で畑を借り、1ヶ月目の初心者というところからスタートする。
畑のことを色々教えてくれる農園主のヒダカさんや、近所の畑仲間たち、ノラジョーンズという猫との交流。(苦手だった動物にも心を開いていく)
畑を中心にした、つくる喜びに満ちた毎日が綴られていく。読んでいるこちらまで、なんだか生き生きしてくるようだから不思議だ。畑だけでなく、作家がどのように作品づくりを継続しているかというコツや、創作に向かう心の裡も赤裸々に描かれている。
継続することだけが、僕の得意なことだ。どんなことでも興味を持ったら、いつまでも継続することができる。断続は能力には関係ない。興味があるって力だけだ。誰にでもできる。継続すればするほどうまくなる。人間だって野菜と同じようにぐんぐん成長する。
いい作品が描けると嬉しいと同時に、次はうまくいくのかどうか、緊張する。だから次の作品をつくる時、躊躇していた。それが原因で鬱になることもあった。でも、今、パステルを描いていて、不思議なことは、このプレッシャーが全くないってことだ。ただ次の新しい作品を描くだけ。新しい絵が見たい。僕が今、一番僕の次の新しい絵が見たい。
畑を耕し、文章を書き、絵を描き、陶芸をし、ベルクソンを読み、蛍を見る。ショートパンツや敷物をつくり、「いのっちの電話」に出て、鍼灸院へ行く。畑で摂れた手作りの野菜を交換する。土を舐め、健康について考え、料理をつくる。編集者と電話して次回作のタイトルを決める。
何を書くか考えず、今この瞬間に感じていることをそのまま書くという方法論で書いているそうだ。そして無心にただひたすら書くことに没頭している様子がうかがわれる。
方法論が定まってからこそ、はじまる。モネはそこから2,000枚の油絵を描いた。ゴッホは10年の間に873枚の油絵を描いた。僕は毎日2枚のパステル画を描いている。10年描けば、7,000枚くらいたまる。僕は後50年くらい描こうとしている。それだと40,000枚になる。それが楽しみで、1日1日のプレッシャーなんか軽く吹き飛んでいくのである。
年間3,600枚くらい書いていることになる。そうなると10冊分くらいの分量だ。でも本はそんなには出ていない。つまり僕の仕事のほとんどが実は形になっていない。だからといってもったいないとは思わない。
豊作系の作家のスタイルや方法がわかって、勉強になった。書き続けていくときに、迷ったり不安になったりしたら、この言葉を思い出そうと思う。
やり続けるだけで、やったことに対する評価をしない。それよりも、毎日、感じていることをそのまま放り込むだけ。まとめない、見えている部分だけで判断しない。これは僕の体を楽にするための方法でもある。かつ、力が身についていく。土がよくなる、文がよくなるコツでもある。僕の悪い部分も土にはいいし、文にもいい。
僕がいまいちかなと思った文章を人が面白いと言ったりする。だから自分では判断しない。ただ、毎日、書いていく上で僕が注意しているのは、僕が楽しく書いているか、書きたいことを書いているかってだけだ。(略)読者が好きな文章は読者が好きな文章だ。それが僕が好きな文章だと勘違いしちゃいけない。そうすると、いつの間にか人のために書くようになってしまうからだ。いつでも自分ために。自分が楽しめるように。それが書くときのコツである。
創作の応援歌のように響く文章が、泉のように湧き出ていた。それを少し分け与えてもらった気がした。
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