【1-5】江戸時代の秋川の産業を探る「星竹の土場」[あきる野市・戸倉]
こんばんは、【かわばた】です。
あきる野市戸倉編5回目、今回ご紹介するのは、
星竹の土場
です!
「土場(どば)」という言葉でピンとくる方は少ないと思いますが、一昔前の戸倉地域を知るには結構良いポイントなのです。土場が何なのか予想しながら読んでみてください〜。
それでは、参りましょう〜!
■どこにある?
星竹の土場は、こんな感じで数カ所にありました。
今回訪れたのは「田尻」という土場です。
上の画像は幕末から明治期の星竹集落の地図です。この頃、土場が大活躍していました。
ちなみに戸倉全体で見るとここら辺です。
■星竹の地名について
ちょっと話はそれますが、土場があった地域の地名についてです。
星竹と書いて「ほしだけ」と読みます。
『五日市町の古道と地名』によれば、
星→「フシ」川岸の小高い段丘のこと。出っ張っているところ。竹の節など。「フシ」から「ホシ」に転訛(てんか:なまって変わる)した。
竹→「嶽」険しいところ。がけ。漢字が難しいので「竹」に変えたらしい?
という自然地名とのことです。
「星竹」という漢字からだと、星がよく見えて竹が生い茂っていたのかな〜とか考えてしまいますが、地名は「はじめにことばあり」です。漢字ではなく言葉で考える。奥が深いですね〜。
(土場から下流・星竹橋を臨む)
■土場とは?
いよいよ、本題に入ります。
土場とは、
一本ずつ川を流してきた材木を
筏(いかだ)に組む場所
のことです。
「材木を川に流す」と聞いて「あ〜あれのことね」とはイメージできませんよね(笑)今の川を見ても、どうしたって材木を流せるとは思えません。
しかしながら、
①鉄道やトラックが無く、陸上の輸送方法が整っていない時代
②今よりも水量がかなり多かった
と想像してみてください。
そういう時代に材木を運ぶには、「筏を組んで川を下る」という方法が合理的であったと考えられますよね。戸倉が属する秋川流域でも、江戸時代から大正末期まで筏流しが盛んに行われていました。
材木を川に流すといっても、上流は川幅が狭く、岩も多かったため筏ではなく一本ずつ流す「管流し(くだながし)」という方法で運んでいました。
そして、だんだんと川幅が広くなる落合(おちあい:養沢川と秋川の合流点)から山田の堰(せき)までの間に筏を組む「土場」と呼ばれる場所が20〜30か所あったそうで、星竹の土場はその1つでした。
ちなみに、地元の材木屋さんによれば、現在でも材木置き場のことを「土場」と言うそうです。先人からの繋がりを感じますね。
■筏の大きさは?
それぞれの時期で規格などは異なっていたようですが、明治期の規格を例にあげると、1丈(3メートル)の角材20本前後を1束にし、それを5束繋げたものが筏1枚で、全長15メートル、現在のトラック1台分に相当するようです。
(「筏の全体像」郷土あれこれ第2号より)
ってこれ、めちゃめちゃデカくないですか(笑)
これが秋川を流れていたとは…
今では想像できないですね(笑)
■江戸で大活躍した西多摩の材木
そもそもなぜ筏にしてまで材木を運んだかというと、江戸幕府の始まりが関係しています。
江戸幕府の開始に伴う江戸城の築城、さらに度重なる江戸での火災により材木の需要が爆発しました。その需要をまかなったのが江戸近郊の山間部であり、秋川流域も材木産業が盛んになったのです。
戸倉の土場で組まれた材木は、山田(現あきる野市)を出発して、拝島、立川、府中、宿河原(現川崎市)、溝の口、二子、そして六郷(現大田区)へと運ばれました。
戸倉から六郷までは水量により3日〜1週間かかり、六郷で材木を引き渡した後は歩いて戸倉まで戻ってきたそうです。
当時の筏乗りはかなり儲かっていたらしく、帰る途中で遊んでくることもあったらしいです。かなり豪快だったとか?
■筏の終わり
このように江戸時代から明治時代にかけて、秋川流域の主要産業として発展していた林業の輸送は筏流しが担っていました。
しかしながら、明治後半の道路改修や馬力車の改良、青梅線の普及、記録的な洪水被害など、時代の流れの中で次第に陸上輸送の機運が高まっていきました。
そして大正末期にはトラック輸送が始まり、遂には大正14年に五日市鉄道が開通したことにより終わりを迎えました。こうして筏師や筏乗りは姿を消していったのです。
大正時代の筏乗りたち(郷土あれこれ第2号より)
■まとめ
「土場」は秋川流域の近代化を支えた林業と、その輸送方法だった筏に関わる人々の働きぶりが感じられる場所でした。
観光地としての整備はされていませんが、興味のある方はぜひ現地で筏乗りたちの姿を想像してみてはいかがでしょうか?
さて、次回は戸倉のランドマーク的存在の
戸倉城山
をご紹介します。
3月15日公開予定、お楽しみに〜!
【参考資料】
『郷土あれこれ第2号』五日市郷土館(1982)
『郷土あれこれ第12号』五日市郷土館(1985)『郷土あれこれ第4号』あきる野市教育委員会(1998)
『五日市町史』五日市町(1976)
『五日市町の古道と地名(第3刷)』五日市町教育委員会(1995)
文責:かわばた
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