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先日出品したフリマで売れ残った本も、図書館に寄付することができた。いっぽう同じ図書館で、新たに4冊リサイクル本をいただく。うち2冊が線維筋痛症に関する本。治療を受けてはいるが、どういう病気か詳しく知らなかったため。肩コリや腰痛含め、様々な病状を呈するもよう。病気は星の数ほどある。
アメリカ留学中に心身の症状が悪化したとき、インターネットで「ゲームセンターCX」を視聴して救われた。あの、レトロゲームをプレイする番組である。近いうち、詳しく書ければと思っている。
SNSをしている、と言っただけで眉をひそめる人が時々いる。コンテンツ内容を批判してほしいものだと思いつつも、そうした不快感を示す人たちが一定の年齢層にいることに思い至った。筆者より少し若いだろうか?つまり、何か世代的な要因がありうる。ただの思い過ごしだったらごめんなさい。
ある政治団体と、距離を置くことにした。いわゆる左翼系の団体だと言えるが、看板に若干の難があると考えたためである。右と左の分断ではなく、上と下との分断の時代だと言われて久しい。だが自分は他者からどういう立場に見られようと(右でも左でも上でも下でも)、自分自身でありたい。イデオロギーに呑み込まれてしまうのは、恐ろしいことである。 もっとも、真摯に活動している方々を批判するつもりはない。むしろ個人単位では交流したい。ただ自分は外野のほうが、何かと気楽なのである。とはいえ、この団体
愛着障害による自己嫌悪というのは他者にも有害で、負の連鎖を生む。夏目漱石も人間不信だが、同じ心境だったかもしれない。負の連鎖を断ち切るためには、どこかで自分を許すことなのだろう。そうすれば他者にも寛容になれるし、自身の嫌悪記憶からも自由になれるかもしれない。言うほど易くはないが。
近いうちに、自分が外国語を学習して得た(と思われる)効用について書いてみたい。案外、少し変わった意見だと捉えられるかもしれない。それほど一般的には認知されていない可能性があるからだ。
「上」半身浴をしたことがある。理由はただひとつ。「半身浴とは下半身浴である」というテーゼに反例を作り、覆すためだ。やってみたことがないことは、リスクが少ない限り試みるべき。数年前にそう考えた筆者は鼻をつまみ、上半身を頭から浴槽に沈めてみた。 ……ゴボゴボ!! 5秒で苦しくなって湯から上がったが、筆者の胸中は達成感に満ちていた。人類の歴史に、新たな一歩を刻んだのだ。ちなみに実話である。何をやっているんだ俺は。 (追記) 突飛なことを記したので、ビックリされただろうか。実はこ
ラジオ体操は少し身体を動かしたいときに便利なので、いまでもYouTubeを見ながら時どきやっている。ただ昔から不思議だったのは、かつてのラジオ体操で画面に映っているのが若い女性ばかりだったことである。筆者が中学に上がるころは、ドキドキしたものだ。一方、号令をかけているのは男性で、そのほかということは無かった。最近知ったことだが、体操はそもそも国民を兵士にするための昔の国策だったようである。内田樹『寝ながら学べる構造主義』から引用しよう。 「……軍事的身体加工の「成功」(西南
殺伐とした人生だった。自分にも他人にも、完璧さを求めてしまったからだと反省している。こういう思考の背景に「進歩史観」があるなら、いま構造主義を学ぶのは時宜にかなっている。そういえば、小さい頃から水木しげるさんの世界に憧れがあった。「試験も仕事も何にもない」。これが知的なのである。
とあるフリーマーケットに、蔵書を出品することに。二十数冊ぐらいかな? 利益度外視だけど、整理にちょうどいい。自分の読んだ本が、他の人たちのもとに一冊でも届けばと思う。