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今を生きる ー仕事との向き合い方、自分らしい生き方とはー

  あなたにとって、仕事とはなんですか?
こう聞かれた時に、あなたはどう答えるだろうか。
生きる糧、やりがい、自分にとって好きなこと、やらなければならないこと。等、仕事に対する思いや考え方は千差万別である。
仕事が好きという人がいれば、嫌いな人もいる。
書店に行くと、様々なビジネス関連の本が多く並んでいるが、そこには自己啓発やスキルアップの方法、職場の人間関係対処法など、多岐にわたる。
ビジネス関連の本に、それだけ種類が多いということは、 仕事が私達の心理に及ぼす影響力は強く、緊張やプレッシャーをはじめとする、悩みや葛藤を生み出す存在となっているからだと言えるだろう。

  そもそも私達は、何を基準に職業選択をしたのだろうか。
好きなことだから、興味のある分野だったから、収入や生活の安定を求めて。など、理由は様々だ。
好きを仕事にしたのならば、日々、充実感や達成感を感じながら、満たされた思いで仕事ができるのだろうか。
しかし、実際に好きを仕事にできている人というのは、ごくわずかだ。

   仕事について思うことは多々あるけれど、改めて、生活の基盤となる仕事について、考えてみることにした。
そのきっかけは、あるテレビ番組を視聴をしたことだった。
ある日のこと。仕事を終え、帰宅し家で過ごしていると、普段あまりテレビを見ない私だが、その日はふと、気まぐれに、今日はテレビでも観ようかな。という気分になった。
スマホでその日のテレビ欄を見ていると、気になる番組を見つけた。
番組名は、「ハートネットTV  全盲のマッサージ師
浅野 菊朗の挑戦」というものだった。 
番組では1人の男性が紹介され、その方の半生と共に、日々の暮らしや仕事に向き合う姿勢が伝えられていた。
番組を見終えた後、私は、その生き様から学びや気づきを得て、生き方のヒントを見つけたように感じた。

  生きることと仕事は、人が生活する上で密接に関わりあっている。
あなたは日々、どういった思いで、仕事に向き合っているだろうか。
あなたにとって仕事とは?生きるとは?毎日繰り返されるこれらを、あなたはどうしているか。
今日は、生きることと仕事について、自分なりの考えを書いてみた。

  番組の冒頭は、治療院の光景から始まる。
ここに、お客さんからの指名が多く、人気の施術師の方がいるという。
その方の名は、浅野菊郎(きくお)さんだ。
現在、あん摩マッサージ指圧師として勤務されている浅野さんだが、今の職業は、第二の人生を再出発
する時に始めた職業だという。
以前は、美容師を生業としていた。 
なぜ、美容師から、あん摩マッサージ指圧師へとなったのか。そこには、理由があった。

「まさかの人生でした。」これは、浅野さんの半生に触れる場面で聞こえてきたナレーションだ。 
浅野さんはかつて、美容師として活躍していた。
19歳の時に山野愛子美容室の銀座店に勤務し、23歳で新宿店の店長に抜擢された。
その後は様々な系列店舗へ赴任し腕を磨いていき、37歳の時に銀座本店の店長となり、55店舗を束ねる総店長になった。
常連の顧客のなかには、人気俳優や金メダルの女性アスリートなどもいたそうだ。
 
  当時1990年代半ばは、カリスマ美容師という言葉が誕生し、その存在は一大ブームを巻き起こした。
世間を賑わせたカリスマ美容師は、メディアで度々取り上げられ、ドラマ化されたこともあった。
浅野さんも、そのうちの1人だった。
浅野さんは夜遅くまで仕事をし、終電で帰ることも珍しくなかったという。
まさに、仕事漬けの日々。生活は仕事中心だった。
この時、私は思った。
浅野さんは仕事に精を出し、努力を重ね身につけた知識と、現場経験で磨き培われた技術は、 日々、自身の成長の喜びを実感できる瞬間になっていたのではないかと。
そして、それらは仕事に対する誇りや充実感を生みだし、将来の夢や希望へとつながり、その思いを強く心に思い描きながら、前へ前へと前進していくことが、慌ただしく過ごす毎日の原動力になっていたのではないか。

  多忙を極めていた浅野さんの身に、ある時、異変が起きる。
はじまりは、夜のネオンが妙に眩しく感じたことだった。そして、それからというもの、転んだり、よく人にぶつかるようになった。
眼の不調が続き、「これは、おかしい。」そう感じた浅野さんは、大学病院を訪れた。
すると、そこで告げられた病名は、網膜色素変性症だった。

※網膜色素変性症は、眼の中で光を感じる組織である網膜(目の内側にある)に異常がみられる、遺伝性、進行性の病気。
特徴的な症状には、以下のものがある。
夜盲(夜や暗い場所で見えなくなる。この症状は、最初に現れることが多い
視野狭窄(視野が狭くなるため、人や物にぶつかりやすくなったり、ものが見えたり消えたりする)、視力低下(進行すると、全く見えなくなる。ほとんどの人で両眼性に起こる。
※難病と指定難病について
難病→発病の機構が明らかでなく、確立された治療法がないもの。長期にわたる療養が必要となる。
指定難病→国が定める基準に基づき、医療費助成制度の対象となる疾患。
網膜色素変性症は、指定難病90である。

   症状は進行とともに、次第に物の見えづらさから視力低下 を引き起こすようになっていった。
このような状況下で、浅野さんは人生を賭けた大勝負にでる。
それは、店から独立し自分の店を持ったのだ。
しかし、浅野さんの生活は公私ともに困難を極めた。
仕事中は髪型を確認するため、一生懸命に鏡を覗きこみ、指先に神経を研ぎ澄ましカットするも、長さにズレが生じるなど、仕事に支障をきたした。
また、私生活では道を歩く際、道順を誘導・確認する手段や伝えてくれる存在もなく、1人で歩いていたところ、死の危機に何度も直面した。
足を踏み外し、駅のホームから2回転落。トラックにひかれ、5メートル以上吹き飛ばされてICUに入院したこともあった。一命を取りとめるも、気力だけでは難しく、美容師として生きていくことに限界を感じ、店を開いてから10年後に閉店した。
それからというもの、浅野さんは塞ぎ込み、家に閉じこもるようになった。一時は死が脳裏をかすめたこともあったが、当時、幼い我が子の顔を見て考え直し、浅野さんは再起を誓った。

   中途視覚障害者となってからの就職は、難航した。
生活の安定や将来の不安は、収入によるものが大きい。生きていくためには、お金を稼がなければならない。
浅野さんは生きる手段として、あん摩マッサージ指圧師として生きていくことを決断した。
決意新たに盲学校に入学した浅野さんだったが、心は揺らぎ、葛藤することもあった。
浅野さんにとって美容師は好きな仕事だった。
その好きな仕事は自己を表現するものであり、存在を証明するものになっていたことだろう。
好きを仕事にできるというのは良いことばかりではなく、時には辛く苦しいこともあるだろうが、好きだからこそ頑張れる。好きという強い気持ちは、物事に取り組むうえで、モチベーションを左右する。自分が興味・関心を持ち、好きを仕事にできるということは、幸せなことなのだと思う。
一方で、盲学校での勉強は職を得るため。
生活していくために働く。その為に学ぶということは、浅野さんにとって、同じ働くということにおいて意味合いが違っていた。
転機となったのは、全国盲学校弁論大会に出場したことだった。
自分の人生をテーマに、これまでの半生とこれからの生き方について、決意表明した。

   番組では仕事終わりの浅野さんに同行し、白状を手に職場近くの自宅へ帰る様子が伝えられていた。
この日は8人のお客さんを担当し施術した浅野さん。
仕事終わりに缶ビールを開け、飾ってある風鈴に向かって乾杯をした。ビールを飲んだ浅野さんは、「これがやめられないんですよね。」と話し、笑顔がこぼれていた。
1日の終わりに飲むビールはきっと、浅野さんの乾いた喉を潤してくれるだけでなく、疲れた身体と心を解きほぐし、素の自分を解放してくれる瞬間になっているのだろう。

  また、別の日には自宅で過ごす浅野さんについての様子が伝えられていた。
朝食では、食パンにハムとチーズをのせてオーブントースターで焼いたものを食べていた。
浅野さんの自宅を訪れた番組スタッフの人は、浅野さんの部屋が整えられており、掃除がいきとどいていることを伝えると、浅野さんは毎日掃除をしているんです。と答えていた。
平日は連日、お客さんからの指名が多い浅野さんは働き詰めだ。それだけ自分の体を酷使している。
大抵の人は、家ではゆっくりしたい。ダラダラしたいと考えがちだが、浅野さんは違う。
毎日、自分の年齢と100回を目標に、腕立て伏せと腹筋をそれぞれ自らに課し、こなしているのだという。
身体が資本という考えのもと、自身の身体をケアしている浅野さんのプロ意識の高さから、丁寧な暮らしは丁寧な仕事、丁寧な生き方につながっているのだと感じた。
こういった考えが、かつて浅野さんをカリスマ美容師の地位に押し上げたのだろう。
職は変われど、プロ意識の高さはそのままだ。

  目が見えないということは、私たちが特別意識することなく自然な流れでやっている日常動作にも、ひとつの事をするのに時間がかかり、慎重になって
行っていることだろう。
食事や掃除は、自分の考え方ひとつで、いくらでも手抜きをしようと思えばできることだ。
食事は、お腹が減って食べようと思えば、栄養のことなど気にせず考えもせず、空腹が満たされればそれで良い。という考えが生まれがちだ。
また、掃除は汚れを直接目で見て確認しなければ、汚れの程度や範囲を知ることはできない。
浅野さんは、目が見えないことを理由に、時間がかかるから大変だし、面倒臭いということをしないのだ。
それはきっと、人が生きていくうえで毎日繰り返し行っていることは、大抵が面倒臭いことだということを知っているからなのかもしれない。
食事や整容は、時に面倒臭いと感じることがある。
なにかひとつのことを面倒くさいと思い感じてしまったら、ほかのこともそう感じてしまうだろう。
だからこそ、浅野さんは自らを律するために、適当やいい加減なことをせず、丁寧を心がけて生活しているのではないかと感じた。

  忙しい毎日を送っている浅野さんだが、現在挑戦していることがあるという。
それは、ブラインドリセッター(正式名称は、ヘアリセッターという。生え癖を治す高度なカット技術のこと。)として、一度は諦めた美容師としての再起を図るというものだった。
当時の美容師仲間の力を借りて、手の動かし方や注意点、カットした髪の状態を伝えてもらい、アドバイスを受けた浅野さん。
刃物を扱うため、お客さんの顔に傷がつかないように慎重に作業を進めていく。
久しぶりのカットだったが、長年身体に叩き込んだ技術は、浅野さんの手に蘇っていた。
アドバイスをしていた方の話では、トレーニングを重ねれば、ブラインドリセッターとして活動していけると思うと話していた。

  街行く人を見ると、様々な髪型や髪色を目にする。髪にはその人の考えや好み、個性、その時の精神状態が反映されており、髪から得られる情報は多い。
気持ちが落ち込んでいると、髪や身だしなみは、いい加減になってしまいがちだ。
見た目を整えるということは、その人に元気があるかどうかの目安になっていたり、逆に見た目を整えることが、気持ちを前向きにすることもあると考えられる。
そう考えると、お店に行って髪型をセットしてもらったり、髪型を提案してもらうというのは、新たな自分との出会いがもたらされる機会となっているのだろう。
美容師という職業は、 自身の魅力に気づくきっかけを作ってくれ、元気づけ、自信を与えてくれる存在。それは、自己の魅力を高めてくれる、演出家としての側面を担っているのだろう。
人生の節目(例えば成人式や結婚式)では髪型にこだわるが、それによって、よりその出来後が強く印象に残り、その後も記憶として残る。

  私はこれまでに、障害を持った人が何かに挑戦する姿を、小さい頃から何度かテレビで目にする機会があった。
子どもの頃は見ていて、今でも大変なのに、なんでもっと大変な思いをするのだろう。そんな風に思っていた。
しかし、今は違う。
それはきっと、その人が自分なりの生き方をするためなのだ。
浅野さんは番組の最後に、「浅野さんにとって、人生とは何ですか?」と聞かれて、こう答えている。
「よし、やろう。ちくしょう!  できない。また、やろう。」その繰り返しです。
人生七転び八起きだ。

   人は人生において、様々なライフイベントを経験する。そして、先行きの見えないことに人は、不安や恐れを抱きやすい。
人生を決定づける大きな決断を迫られた時、人は、どこかに答えや背中を押してくれる存在を求めるのではないか。

  私はドキュメンタリー番組が好きだ。
テレビをよく見ていた頃は、好んでドキュメンタリー番組ばかり見ていた時期もあった。
なぜ好きなのか、どうして他のジャンルの番組ではなく、こうも心惹かれるのか。
考えたことがあったが、以前は答えが見つからなかった。その時は、理由はわからないけれど、私はこういうものが好きなんだ。と思っていた。

  浅野さんは目が不自由になってから、自分なりの工夫や努力で生活スタイルを確立し、対処法を身につけていると思われるが、やはり毎日の生活のなかでは、大変だと思う瞬間や場面はあると思う。
しかし、そのようななかでヘアリセッターに挑戦するというのは、浅野さんにとって、自身を保つためなのだと思う。
病気を発症し、見えなくなって、出来ないことや苦手とすることは増えた。
それによって、一度は美容師という職から離れた。
だが、病気によって我慢したり自分を押し殺した生き方は、自分が自分ではなくなってしまうのではないか。
病気によって、自分というものがなくなってしまうような感覚。
自分が自分ではない。
本当の自分は、どこにいるのか。
病気によって、自分自身や、生き方そのものまでが支配されるように、浅野さんは感じたのではないか。
浅野さんにとって挑戦は、自分が自分らしく生きる、生を実感するためなのではないかと思う。

 世の中には、自分の考えや思いを表現する方法が沢山ある。それは、言葉や文章、音楽、絵、テレビや映画など、様々だ。
それらに触れることで気づかされ、学び、新たな考え方や価値観を身につけることができる。
そして、それらは自分のなかに沸き上がる感情に触れる瞬間であり、心を豊かにしてくれる。
一人の人間が一生のうちに経験できることなど、たかがしれている。
だからこそ、人生経験が異なる他人の生き方に触れることで、人が持つ優しさや温かさに心が救われたり、自分なりの生きる術を身につけていけるのではないか。
これからも、様々な言葉や音楽をはじめとする作品に触れることで、新たな感情に出会ったり、心震わす瞬間を味わいたいと思う。
このnoteもそうだ。

  働き方を考えることは、人生をデザインすることだ。
病気と共生し、自分らしい生き方へ挑戦する浅野さんの姿は、私に前を向いて生きていく力や勇気、自分の理想とする生き方を貫くためには、決して諦めない・めげない・挫けないという強い心で挑戦し、行動することの大切さを教えてくれた。
私も、夢や目標に向かって、これからの日々を過ごしていきたいと思う。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
















 




 


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