寓話であることの意味『短くて恐ろしいフィルの時代』
ジョージ・ソーンダーズの短編集『十二月の十日』が素晴らしく面白かったので、ジョージ・ソーンダーズのこっちの作品も読んでみました。
いわゆる人間は出てこないけど
冒頭から、国民が一度に一人しか入れない『内ホーナー国』にかんする説明で始まり、寓話的な物語だとわかります。登場人物も、動物ですらなく、ガラクタで作ったようなジャンク人間みたいなキャラばかりです。
で、この内ホーナー国の人たちが、外ホーナー国の人たちに権利を剥奪されていきます。そしてフィルという外ホーナー人が演説の力で独裁者みたいになっていくのです。
内ホーナーにたいする迫害がだんだんとエスカレートしていき、そのうちに反対しづらい雰囲気ができあがってくる。読んでいて、ヒトラーやナチスドイツ、ユダヤ人などを想起してしまいました。
寓話にする必要って
この手の寓話って、人間じゃない生き物を出すことに、なんの意味があるんだろうか? と、考えてしまいます。そのまま人間をつかってリアルな感じの作風にしても問題ないんじゃないのか? キャラが人間じゃないことで、残酷なシーンも躊躇なく書けるから?
たぶん、現実にはない舞台設定を設けることで、こういった事態はいつの時代でもどんな場所でも起こりうることだと思わせるとこじゃないですかね。
訳者あとがきでも書いていましたけど、風刺的な寓話ということでオーウェルの『動物農場』に似ています。文庫本のサイズ感や淡々とした書き方も似ていますね。ぼくは『動物農場』のほうが好きです。あちらはソ連が元ネタで、人物や事件のモデルもはっきりしているらしいけれど。機会があれば、そちらの感想も書いていきたいと思います。