わたしは、その役を降りた

入院中、わたしは認知行動療法を受けた。おそらく本来なら臨床心理士が行うはずのものだが、都市部からかなり離れた場所での治療だったためか、わたしは主治医からそれを受けることになった。

当初、医師はわたしの話すことを丁寧に聴き、また、わたしが書き綴る「認知行動療法ノート」を肯定的に読んでいた。わたしは医師との知的な会話を愉しんだ。なるほど入院も悪くないねと、自分だけは健常者といわんばかりに病院内を観察する気分だった。

しかし数週間経つと、医師はわたしの「思考の癖」をさかんに指摘し始めた。また、これはたいへんにつらく、苛立ちを覚えることであったが、医師はわたしの「被害者としての立ち位置」に問題があると主張し始めたのである。

職場で被害を受けたという認識で入院したわたしは、とうぜん被害者としての立場を死守しようとした。その前提が崩れたらどうなるかなど考えたくもなかった。いや、崩れるはずがないと思っていた。わたしは絶対的に被害者なのであり、職場の(事実上の)上司こそが諸悪の根源であると。これはわたしにとって覆し難い認識であった。

医師はわたしにライフヒストリーを書くよう指示した。想いだす限りの過去から現在までを、である。大変な作業だったが、わたしは渾身の力をこめて書き綴った。直接的な表現はしないにせよ、わたしは医師への強い反論、そして自らの立場を擁護する意図も含めて書いていたと思う。

医師はライフヒストリーを丁寧に読み込み、そこにやはり、わたしの強い被害者意識を読み取った。人生のどこかで挫折をするたびに、それを何者かの妨害によるもの、運命のいたずらによるものとして描いていると。また、長い目で判断することを避け、すぐに短期決戦に持ち込もうとすると。医師はこの、わたしの長期的展望ができないという問題を「横すべり」と形容した。

医師に強い抵抗を覚え、ときには椅子を蹴り飛ばしてしまうほどの怒りにとらわれながらも、「わたしは『横すべり』してきたのか?」という問いは頭から離れなくなった。ようするに、長期的展望を見据えることが面倒だから短期決戦へと横すべりし、案の定うまくいかなければ人のせいにしてきた、ただそれだけだったのか?────これを認めることは苦しかった。

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