Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について2/4
表紙写真 ”I’llBe There”(Solid center variant of the UK single, Wikipediaより)
「Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について」(1/4)の続き(2/4)です。
同時期ヒットしたDiana RossらのThe SupremesのSomeday We’ll Be Together”との関連は?
同時期にMotown Recordsよりリリースされた全米ヒットチャート#1になっていた女性ボーカル・グループ The Supremesの“Someday We’ll Be Together” が巷に流れていました。まるで、“I’ll Be There” でMichaelに語りかけられている相手の女性が、“Someday We’ll Be Together” と答えているかのように聞こえたものです。こちらの曲のリード・ボーカルは当時26才の女性歌手Diana Ross [2]で、別れた恋人の男性に語りかけていますが、当然、大人の雰囲気たっぷり、その意味では11才のMichaelが歌う “I’ll Be There” の無垢な透明感と対照的です。それでも、Michaelの高音美声とRossの高音美声が何となく一つになりラジオから交互に連歌を彷彿させる掛け合いのように流れてきたのを思い出します。
Motown Records社会背景と経営戦略
Motown Recordsは1959年にBerry Gordy, Jr.によりDetroit市に創設された最初のAfrican Americansによるレコード会社です。Motownはmotorとtownの合成語(portmanteau)で、自動車産業が栄えた当時DetroitがMotor Townと呼ばれたことに由来します。創設以来数々のAfrican-Americanの大物歌手を世に送り成功しました。そのビジネス戦略はAfrican American社会のみではなく、経済的に豊かな白人社会にも受け入れられてマーケットを広げることでした。その方針に従い、 初期Motor Eraの大物グループ、歌手The Temptations、The Four Tops、 The Supremes、Smoky Robinson、Stevie Wonder、Mervin Gayeなどは、皆フォーマル、セミ・フォーマルな装いをして礼儀正しく振る舞い、中産階級に受け入れられよう心がけました。そうした背景がヒット・ソングの歌詞に反映され、“I’ll Be There” の歌詞を見ると、語彙、表現、文法構造はアメリカ標準英語(American Standard English、略称ASE)で書かれています。それはThe Supremesの“Someday We Will Be Together”も同じです。
人種差別の撤廃、アイデンティティー確立に向け激動した時代
この曲がリリースされた1970年は、The Black Power Movementが隆盛し、African Americansは自らのrootsに目を向け、自らの文化を誇り、人種差別に強く抗議し、その撤廃に向けて各地に運動が起きていました。1960年代のMartin Luther King牧師(博士)らによる非暴力で穏健な運動は、King師の暗殺、ベトナム戦争におけるAfrican Americansの戦死者の多さ、一向に改善されない人種差別、貧困率の高さなどから過激な運動に変わっていきました。 その一例がHuey NewtonとBobby Sealeらが結成した The Black Panther Partyです。本拠地はCalifornia州Oakland市のスラム街が広がるEast Oakland地区で、筆者が初めて“I’ll Be There”を耳にしたのはMission StreetをHayward市からEast Oaklandに向かう途中の車中のことでした。
African American社会の中に、体制の中に入り運動を起こそうという穏健派と、体制を破壊することにより運動を成就しようという過激派の亀裂が顕著になりつつあると感じさせられました。そうした風潮の中でMotown Recordsも揺れたことでしょう。上述したごとく、Berry Gordy Jr.はAfrican Americanの音楽を追求しある程度の成功は収めたものも、ビジネス規模は小さく、安定した基盤を気付くためにはマジョリティーのWhite American社会にマーケットを伸ばさなければならなかったのです。その一環として“A clean, polished image” を掲げ、中産階級のWhite Americansに受け入れ易い服装、言葉遣い、物腰を専属歌手たちに求め、専属の振付師や行儀作法の教師を付けて徹底させました。歌手たちもスターになることを夢見て抵抗しなかったのでしょう。それはAfrican Americanとしてのアイデンティティを犠牲にすることにもなりかねません。過激派からすれば、アメリカン・ドリームを得るために魂を売る行為にしか見えなかったかもしれません。Diana Rossなどはそうした非難を受けたと聞いています。さぞかし葛藤したことでしょう。[3]
Motown Recordsとは関係ありませんが、筆者自身を含め日本でファンが多いLouis Armstrongも晩年はそうした風潮のまっただ中にありました。彼はKing牧師の穏健的なスタンスをとった為に当時のAfrican American若年層の間で不評で、1971年に逝去した時、そのような風潮に忖度してかメディアではあまり取り上げられませんでした。彼はTime誌やLife誌のカバーになった程ですが、それらはまさに体制を象徴する雑誌であったので、あれだけの偉業を重ねた伝説的ジャズマンはヨーロッパや日本など海外で惜しまれながらも、当時のAfrican American社会では話題にもならずひっそり世を去ったという記憶しかありません。[4]
"Black is beutiful!"のスローガンの下で見下されていたアフリカ系アメリカ英語/文化が見直される
そうした背景の中、言語学の一分野である社会言語学は AAVEの研究に踏み出しました。当時のAfrican American社会は、ルーツを探求するアフリカ文化に目を向け、主要大学にはblack studyプログラムが設置され、筆者が1968−1969に在籍したUniversity of California, Santa Barbara (UCSB)にも設置され、現在ではDepartment of Black Studiesになっています。また、Black Student Unionが設立されたのもこの頃でしたが、Black studiesのカリキュラムにAfrican American Englishの研究は無かったように記憶しています。1960年代に取り上げたのは、William Labovら社会言語学者で、New York州のAAVE speakersの膨大なデータを取り、文法構造、音韻の研究を行なっています(The Social Stratification of English in New York City. Language in the Inner City: Studies in Black English Vernacular, “The Logic of Non-standard English”参照)。上述したように、“I’ll Be There”は歌詞の語彙や構文を見る限り当時のAAVEの香りはありません。The Supremesの “Someday We Will Be Together”の歌詞も同じくそうです。どちらも人種を超え、国境を越え、男女が別れても相手を罵る事もなく、尊敬し合い、相手をいつまでも待つという普遍的透明性で貫かれています。Diana RossらのヒットソングはみなASEで書かれ、ASEの発音体系で歌われていることから殊更そうした印象を与えたのでしょう。
Michael Jacksonもデビューした少年時代はAAVEを残すものの
一方のMichaelの方も声変わりする前のボーイ・ソプラノであった為、歌声だけを聴くとDiana Rossら成人した女性歌手を彷彿させるかのような印象を受けました。彼女と違うのはAAVE訛りで歌っていることです。但し、それはMichaelがデビューした少年時代に限ります。その後MichaelはMotown Recordsを離れAAVEの特徴を失います。次回(3/4)では社会言語学における言語(英語)とアイデンティティ-の視点で分析してみました。
(3/4)に続く
[2] Disneyアニメ映画“Land Before Time”の主題歌 “We Hold on Together”を歌っています。
[3] The Black Forum label: Motown joins the revolution という記事(abstract)にMotownの葛藤が書かれています。
[4] 第26回と第27回第28回で紹介したように、日本やヨーロッパのtraditional jazz bandsに多大な影響を及ぼし、1968年に逝去したクラリネット奏者のGeorge Lewisもひっそりと世を去りました。