鈴木佑治

日米大学で通算45年教え、現在引退、研究、執筆、教育アドバイジングをする。専攻は言語学…

鈴木佑治

日米大学で通算45年教え、現在引退、研究、執筆、教育アドバイジングをする。専攻は言語学(意味論、語用論)で米国留学中にPh.D.(英語学)取得、以来、何度も渡米し、生涯英語に関わるつもり。趣味はvocal jazz、 洋楽カラオケ、野球、bicyclingに興ずること。

マガジン

  • For Lifelong English 英語活動情報誌

    英語は教室という空間を離れ生活に溢れています。生活で使う言語です。今や生活になくてはならないインターネットが一変させたのです。使ってなんぼです。使いましょう、生涯使って発信しましょう。筆者は1990年より幼児から大人まで英語で発信する「プロジェクト発信型英語プログラム」を立ち上げ実践しました。本マガジンは英語発信活動に関する多岐にわたる事柄をお伝えします。まず、(1)TOEFL Web Magazine(ETS,Jpan 2014年3月休刊)における筆者長期連鎖コラム"For Lifelong English"に2024年1月までに掲載した記事174点それぞれに後記を加え、幾つかに分けて再編集しお届けしております。(2)2014年3月以降は思いつくまま執筆した記事をお届けしています。

  • 身近な英語学ー趣味の英語から学術英語まで

    筆者は、アメリカGeorgetown University言語学博士課程で受講した全言語学・英語学関連のテキストと授業ノートを基に、1978年~1989年の間に慶應義塾大学文学部英米文学科、そして、その後1990年から2008年の間に同大学湘南藤沢(SFC)で担当した言語学・英語学関連授業の講義ノートを準備し担当しました。受講者の多くが卒業後アメリカの大学院に進みMA/MS/MBA/Ph.D.を取得し世界各国で活躍しています。彼らの多くは在学中にTOEIC,TOEFFL, IELTS, SAT, GRE, GMAT, 英検などを受験しており、これらの試験に役立つことは実証済みです。このマガジンでも日常生活・趣味から学術分野で使われている英語を例に英語学習者にわかりやすく解説します。企業の商標、商品名を考える際にも役立つ情報満載です。英語の知識が深まり英語への関心が深まります。

  • 英語にかかわる仕事をする人々

    様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかか わって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違いま す。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人 の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、 生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいも の、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。まず TOEFL メールマガジン For Lifelong English のインタビュー記事の紹介から始めます。

  • アメリカ留学(1968-1978)を振り返って、恩師の方々

    1968年〜1978年の留学体験記です。英文学修士号取得するやアメリカ留学を決意も全て門前払い。それでも渡米し、ある大学の英文科科長に呼び出され、真っ赤に添削された入学志望動機書と3通の推薦状をつきつけられる。ダメだコリャ!と納得。12年間ホタルノヒカリマドノユキで積み上げた英語力は通用せず、真夏の陽に照らされた真っ赤なシロップのかき氷のように解けて水の泡。即アメリカでゼロからの修行を決意する。そこから10年、念願の言語学(英語分析)Ph.D.を取るまで、通った大学での授業、先生方、友人、学資と生活資金を稼がせて日本語助手の職、みな英語を鍛えてくれた、ありがたかった!当時英語・英文学(English)は大人気の専攻、優れた母語話者がしのぎを削り、その中に変わり者の留学生がただ一人。ひたすら勝ち抜くのみの、厳しくもあり充実の10年、筆者の後期高齢ならぬ24才から34才までの後期青春の記録。

最近の記事

英語と歩んできた人生...For Lifelong English(2)

表紙写真  筆者が搭乗したSan Francisco行きJAL機 (1978年3月下旬) はじめに 「英語と歩んできた人生...For Lifelong English」(1)の続き(2)です。こんなに英語・英文学を勉強しても英語が聞けない、話せない、これでは話にならない!アメリカ留学しようと思い立ちました。 1967年修士2年の秋、アメリカ文化センターでフルブライト奨学金の2次試験面接を受けたのですが、ネイティブ面接官の言っていることがさっぱり聞き取れず失敗。同席した

    • 英語と歩んできた人生...For Lifelong English(1)

      表紙写真 清水港三保灯台側から見た富士山。対岸の海辺に筆者の故郷袖師海岸が広がる。行き交う外国船を見て海外に思いをはせた。 はじめに 本稿は2024年2月にTOEFL Web Magazineでの筆者連載コラム “For Lifelong English” の最終回に掲載した記事を加筆・修正し再編し5部に分けてお届けします。長きに亘りご愛読いただいた本コラム読者、そして、ETS Japan 根本斉氏とTOEFLE Web Magazine編集部の皆様には改めて心より御礼申

      • 映画「五つの銅貨」主題歌“The Five Pennies”…子役Susan Gordonさんを偲んで(3/3)

        「映画"五つの銅貨"主題歌“The Five Pennies”…子役Susan Gordonさんを偲んで」(1/3)(2/3)の続き(3/3)です。 なんと、それから8年後に、筆者は、この映画の子役Susan Gordonさんに日本語を教えることになった 筆者は、1969年4月よりSan Francisco近郊のHayward市にあるCalifornia State College at Hayward(後California State University at Ha

        • 映画「五つの銅貨」主題歌“The Five Pennies”...子役Susan Gordonさんを偲んで(2/3)

          「”五つの銅貨”主題歌“The Five Pennies”...子役Susan Gordonさんを偲んで」(1/3)の続き(2/3)です。 The Five Pennies 歌詞の解説 ストーリーを念頭に入れてlyricを見てみましょう。まず、語句、表現、構文(*3)について簡単に解説します。キー・ワードのpenny(複数形pennies)ですが、アメリカでは1 cent銅貨の俗称です。金融、株式などの正式な場ではcentが使われます。イギリスの銅貨pennyを模した言い

        英語と歩んできた人生...For Lifelong English(2)

        • 英語と歩んできた人生...For Lifelong English(1)

        • 映画「五つの銅貨」主題歌“The Five Pennies”…子役Susan Gordonさんを偲んで(3/3)

        • 映画「五つの銅貨」主題歌“The Five Pennies”...子役Susan Gordonさんを偲んで(2/3)

        マガジン

        • 身近な英語学ー趣味の英語から学術英語まで
          50本
        • For Lifelong English 英語活動情報誌
          195本
        • 英語にかかわる仕事をする人々
          49本
        • アメリカ留学(1968-1978)を振り返って、恩師の方々
          14本

        記事

          映画「五つの銅貨」主題歌“The Five Pennies”...子役Susan Gordonさんを偲んで(1/3)

          はじめに 本稿は2019年にアメリカ留学を目指す若い読者に向け、英語学習を楽しくするために音楽を絡め執筆したものです。ここでは映画「五つの銅貨」The Five Penniesにおける同名の主題歌を取り上げました。筆者が高校生のころこの曲が巷に流れ大好きになりよく口ずさんだものです。それから何年も経て、この映画の子役故Susan Gordonさんが、「アメリカ留学をを振り返ってMemorbale TeacherーCal State Haywardで出会った友人・知人」(4

          映画「五つの銅貨」主題歌“The Five Pennies”...子役Susan Gordonさんを偲んで(1/3)

          Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について(4/4)

          表紙写真 ”I’llBe There” (Solid center variant of the UK single, Wikipediaより) 「Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について」(1/4)(2/4)(3/4)の続き(4/4)です。 I’ll Be Thereの歌詞にはAAVEの文法的特徴は見られないが、デビュー当時の歌い方に音韻的特徴を色濃く残す 余白が限られているので、肝心部分のみ簡単に解説します。 “I’ll Be

          Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について(4/4)

          Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について(3/4)

          表紙写真 ”I’llBe There” (Solid center variant of the UK single, Wikipediaより) はじめに「Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について」(1/4)(2/4)の続き(3/4)です。 今回は1970年代のアフリカ系アメリカ人英語(African American Vernacular English ,AAVE)の特徴について解説します。確固とした音韻、統語、意味の体系を持つ

          Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について(3/4)

          Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について2/4

          表紙写真 ”I’llBe There”(Solid center variant of the UK single, Wikipediaより) 「Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について」(1/4)の続き(2/4)です。 同時期ヒットしたDiana RossらのThe SupremesのSomeday We’ll Be Together”との関連は? 同時期にMotown Recordsよりリリースされた全米ヒットチャート#1になっ

          Michael Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について2/4

          M. Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について(1/4)

          表紙写真 ”I’llBe There” (Solid center variant of the UK single, Wikipediaより) はじめに 慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の「プロジェクト発信型英語プログラム」そして専門科目「言語コミュニケーション論」では、前者では英語で後者では日本語で学生さんたちが行った音楽プロジェクトは今でも筆者の脳裏から離れません。それに刺激され洋楽好きの筆者もアメリカでの青春時代の思い出に残るMichael Jackson

          M. Jackson名曲I’ll Be Thereの”be"について(1/4)

          名曲”As Time Goes By”のキーワード"as"について :時が過ぎゆく「まま」?「につれ」?「けれど?」(3/3)

          名曲”As Time Goes By”のキーワード"as"について :時が過ぎゆく「まま」?「につれ」?「けれど?」(1/3)(2/3)の続き(3/3)です。   「〜につれて」を「〜につれても(なお)」にしなければ辻褄が合わない 要は、「〜につれて」を「〜につれても(なお)」にしなければ辻褄が合いません。すなわち“Even though time goes by, a kiss is still a kiss... the fundamental things app

          名曲”As Time Goes By”のキーワード"as"について :時が過ぎゆく「まま」?「につれ」?「けれど?」(3/3)

          名曲”As Time Goes By”のキーワード"as"について :時が過ぎゆく「まま」?「につれ」?「けれど?」(2/3)

          「名曲”As Time Goes By”のキーワード"as"について :時が過ぎゆく「まま」?「につれ」?「けれど?」(3/1)の続き(3/2)です。   Kenkyusha’s New English-Japanese Dictionary『研究社新英和大辞典』(第6版 2002 研究社)の接続詞“as”より(例文、和訳、番号記号は原文のまま) (1)時a.〜している時に 〜すると 〜しながら He came up as I was leaving.ちょうど出かけよう

          名曲”As Time Goes By”のキーワード"as"について :時が過ぎゆく「まま」?「につれ」?「けれど?」(2/3)

          名曲”As Time Goes By”のキーワード"as"について :時が過ぎゆく「まま」?「につれ」?「けれど?」(1/3)

          はじめに 63歳から始めたジャズボーカル(Vocal Jazz)は今年で16年目、習った約70曲の一つが“As Time Goes By”です。毎年4回催される発表会ではジャズ・ピアニストの田村博氏とジャズ・ギタリストの鈴木俊之氏らプロの伴奏に合わせて歌います。リハーサル無しのぶっつけ本番ですから緊張します。初めての発表会では足がすくんで頭が真っ白になり、歌詞は飛ぶはリズムを噛むはで大失敗しました。情景を描きながら歌わないとこうなります。歌詞をしっかり理解し自分のものにし

          名曲”As Time Goes By”のキーワード"as"について :時が過ぎゆく「まま」?「につれ」?「けれど?」(1/3)

          学生さんが卒業後に寄せてくれた声(その2):SFC プロジェクト発信型英語プログラム実体験と効果...SFC1990年1期生(現経営コンサルタント)T.K.氏より

          表紙写真 慶應義塾大学SFC1994年度鈴木研究会記念写真 2列目向かって右端T.S.君  1990年に慶應義塾大学環境情報学部入学1994 年同学部卒 の慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の一期生T.Kです。当時として最先端のキャンパス・ 学術ネットワークの下、新スタイルの実験的授業・ゼミなど、それまでにない画期的な学習プロ グラムを経験しましたが、その中でも私にとって一番大きな影響があったと言えるのはプロジェクト発信型英語プログラムでした。 SFCでは、使える外国

          学生さんが卒業後に寄せてくれた声(その2):SFC プロジェクト発信型英語プログラム実体験と効果...SFC1990年1期生(現経営コンサルタント)T.K.氏より

          アメリカ留学を振り返ってーMemorable Teachers(4-2)...Cal State Haywardで出会った友人・知人

          1972年筆者(San Francisco Pierにて友人撮影) はじめに 「アメリカ留学を振り返ってーMemorable Teachers(4-1)...Cal State Haywardで出会った友人・知人」に引き続き、1969年から1972年の約3年間San Francisco Bay Areaで親しくなった友人・知人を紹介します。 政治的には、ベトナム戦争の戦火をカンボジアにも拡大させたNixon政権とKissinger氏の外交政策を批判する声が全米キャンパス

          アメリカ留学を振り返ってーMemorable Teachers(4-2)...Cal State Haywardで出会った友人・知人

          アメリカ留学を振り返ってーMemorble Teachers (4-1)...Cal State Hayward留学中の友人・知人

          表紙写真1970年筆者(San Lorenzo知人宅フロント・ヤードにて) アメリカ留学を振り返ってーMemorble Teachers (3-3)の続き(4-1)です。1969年ー1972年のSan Francisco Bay Area滞在中は、随分多くの人々と知り合い親友ができた場所です。今ではシリコンバレーを中心に世界的なハイテク地帯ですが、当時は名画The Graduate (卒業)の舞台にもなったUC Berkeleyを中心にFlower Children文化が栄

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          日系アメリカ人,第二次大戦収容所ベースボールの試合を再現

          表紙写真日系アメリカン・ベースボールの父、日系野球チームthe Fresno Athletic Clubの創始者、故Kenichi Zenimura氏、Babe Ruthらとも対戦した。(Nisei Baseball Resaerch Project) アメリカ西部に行ったら是非一度見てもらいたい場所があります。第二次大戦中の日系人収容所です。その一つがManzanar強制収容所です。筆者自身も何度か訪れました。1970年代に留学中の筆者には多くの日系3世の友達がおり、両親

          日系アメリカ人,第二次大戦収容所ベースボールの試合を再現